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第1章 ペイントボマー事件
頭が痛む。その痛みは鐘の音にも似ていて、意識は、退屈なホームルームに出席している日頃のこの時分よりも、かえって鮮明になっていた。相沢仁は、その見え過ぎる目でもって、現実の世界を見つめなければならなかった。
クラスメートが、天井に立って、騒然としている。教壇や机も、蛍光灯みたいに垂れ下がっている。誰も彼もが、何もかもが、逆様だった。いや、違う。逆様なのは自分の方だ。身の回りを、眼球だけで眺め回す。頭の上にはワックスが綺麗にかけられた床があり、爪先はシーリングファンに向かって伸びている。喘いで喘いで、咳き込んだ。その無骨な痛みは、それでも身体から背中を切り抜くよう。その背に背負われた掃除用具入れは、アルミ缶のように潰れている。さながらおしめを取り替えてもらう赤子の体で、大きな身体が掃除用具入れにめり込んでいた。
数秒前に、何があったのかを思い出す――
あまりにも美しい――一本背負いだった。
仁は、その武芸を放った彼女に、ダビデ像を見出した。そして同時に、その武芸を被った自分に、ゲルニカを見出した。教室を対角線上に横断し、挙句掃除用具入れに突っ込んだ、悲愴なる我が身。どうしてホームルームが、柔道の授業に変わり果てたのか。その疑問を踏み潰すかのように、眼前の床に、ずしりと上履きが差し出された。
黒いセーラー服姿の一人の女子が――こちらを見下ろしていた。彼女が長身だからなのか、こちらが倒れているからなのか、きっと両方なのだろうが、空に開かれた目に監視されているような気分になる。その目の目尻は垂れ下がっていたが、本来柔和な印象を与えるはずの造形なのだが、今やそれはシンボルでしかなく、そしてフレームでしかない。開け放たれた窓から桜色の風が戦ぎ、その艶やかで長い黒髪が、しめやかにたゆたう。彼女は、無言だった。充血し潤む瞳、軋る歯をひた隠す固い唇。まるで、舌を切り落とされた痛みに、ひしひしと耐えているかのように、ただひたすらに無言であった。
わからなかった。あんなにも気弱だった彼女が、どうしてこうも変わったのか。そんなことよりも、どうして自分が一本背負いを見舞われなければならないのか。相沢仁には、わからなかった。進級早々机の上に、白い百合が俯く花瓶を贈与された、たった一人の女子生徒。そんなたった一つのいじめを、どうせどうにかなるいじめを、見て見ぬ振りをしていただけだ。たったそれだけの理由でもって、しかも何故だか、自分だけが投げ飛ばされた。他のクラスメートや担任は説教だけで済んだのに、どうしてこんなありがたくもないVIP待遇を受けるのか。相沢仁には――見えなかった。
2013年4月、高校2年生の春の事――
相沢仁は――幼馴染みと再会した。
そして――
初めての失恋に――直面した。