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『ぴんぽ~ん』
応答があった。聞いていて、鼓膜に引っかかることなく脳へと染み入る、そんな軟水のような声だった。父曰く、今年の風邪は喉からくるらしい。「あの野郎……」仁は思わず呟いた。秀一は、その横着な頭から食らうようにして、インターホンへとむしゃぶりつく。
「岡島秀一で~す。進路希望調査の用紙~。お届けにあがりました~」
『あれれ? ピザなんか頼んでないよ』
仁は、血管の切れる音というものを、生まれて初めて聞いた気がした。
「進路希望調査の用紙だ! どこをどう聞き間違えたらイタリアンに変わんだよ!」
門をずっこんばっこん蹴る、柄の悪い男。傍から見たら取り立て屋である。そんな彼をコメディアンに変えるようにして、インターホンは愉快に笑った。
『その声は秀一くんだね。シンロキボーチョーサノヨーシ? 何だそりゃ? まぁいいや。玄関の鍵は開いてるから、どうぞどうぞ入って入って』
「ミートソースにしてやりてぇ……」秀一は、タバスコを一気飲みしたような声と息を吐き出すと、門を押し開け、玄関の前へと進んで行った。仁もそれに続く。家に入る前からこんなんじゃ、果たして先が思いやられるな。そもそも両親は不在なのか。いずれにせよ、あんな問題児を飼育するんじゃない。そんなことを考えながら、玄関の引き戸を開ける秀一の背中を眺めていたが―
「うっひょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―っ!」
その喚声に圧倒されたかのように、眼前の人形は海老反りの体を見せつけて、そのまま耳を掠め、視界の裏へと飛び消えた。一瞬間の、出来事だった。仁は、在りし日の悪友の面影を呆然と眺めながら、横断歩道の供花のように立ち尽くす。
「いてててて……」
足元―もぞもぞ動く、小さな影。
そいつは、ウサギの着ぐるみパジャマを着ているばかりか、ごついプラスチック製のブーツを履いていて、その靴底には、スキー板が装着されている。そういった装備と、奥の階段に縦一直線に刻まれた二本の擦り傷から察するに、どうやらスキージャンプを試みたらしい。仁はスキージャンプに明るいわけではないが、スキージャンプ用の板はもっと幅広で長いものだし、ブーツも踵が板に固定されない仕様になっていることぐらいは知っている。それに、角度のついた踏み切り台に相当するものがない階段では、滑り台の代わりにはなっても、ジャンプ台の代わりになどなろうはずもない。飛躍したのはその思考であり、遥かにK点を越えていた。仁は、こめかみをほじらずにはいられなかった。しかし、捨て置くわけにもいくまいと、壊れた器を扱うようにして、ぎこちなく手を差し伸べる。「怪我はないか?」そう呼び掛けると、一対の黒い瞳が、上目遣いでこちらを捉えた。そして、じっとじっと凝視する。ずっとずっと、凝視する。いつまで見てんだ、何か文句あんのかよ……。ついに仁は、抑えきれずに渋面を作り出す。しかしその渋みには、どこか甘みも滲んでいた。珍味であるが故に、熟したその実を、強烈に意識せずにはいられない。それでも頭を、何考えてんだと横に振る。そして、その葛藤自体が邪であると痛感する――




