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BLACK RING  作者: 墨川螢
第3章 サックガーデン占拠事件
142/148

3-53

 ちょっぴりイントネーションが耳障りな砲声の中で、標的の髪は吹き飛ばんばかりに逆立って、血と汗の重みでもって、ばらばらと破片のように肩に降る。が、粉塵の中から姿を見せた無傷の戦車が、ゆったりと砲身を向けるようにして、その顔が、こちらへと向けられる。その表情は、あの夜の市役所で見た戦車の砲口よりも、何十倍も機械的だった。

「ビービービービー、さっきからうるさいよチーちゃんは。駄目な子で、死に損ないの癖に。大人しく見てなよ。それでそのまま――音もなく消えちゃいなよ」

 悠の言葉に、千尋は足元を一瞥する。が、見られる足元はとうにない――存在が怪しい膝元さえも、今をもって消え失せた。情け容赦のない陰陽師に遭遇した悪霊の気分である。悠の言う通りこのままでは、退散する(いとま)もなく、未練もろとも消滅するより他にない。じゃっかしいアホンダラどつきまわしたろか! 随分といい度胸をしている陰陽師に、拳を叩き込んでやりたくなる。だがしかし、その拳に掛ける者に、最早矯正を強制することが出来ない事を、彼女は染み入るように知っていた。まるで、決まってただいまの時には台所で味噌汁を作っていた母親が、温かい湯気と香りだけを残して、ふいに蒸発してしまったかのようだった。その音のなさが、帰らぬことを告げている。そのようにして、自分の中から――猛者たる自分が消えていた。泣きたくもなった、叫びたくもなった。だが今は――そんな失せ(もの)を探している時ではない。今、何をすべきか。包丁も鍋も、葱も味噌もあるはずだ――

 そして、手を切り焼いた、そんな女の子の時が――母親にだってあっただろう。

「悠、あなた、青田買いって……わかんないわよね。強い人を相手にしたいのなら、仁を生かしておくべきだわ。仁は絶対に強くなる。勝負の世界の住人として、何より仁の幼馴染として保証する。メリットがあるでしょう。あなたのためよ。仁を殺さないで」

 勇気を出せ――

 手も足も出ないのなら舌を出せ――

 この馬鹿を、滝川悠を――騙して騙して騙し倒せ。

 こんな状況のせいで、あの雄弁なグラサン野郎が羨ましくなる。千尋は、唾の散弾を放ちながら喋くった。だがしかし――

「知ってる知ってる、悠でも知ってる。そんな顔で『絶対』なんて言っちゃう子は、絶体絶命のピンチなんだよ」

『お母さんのレバ刺しを食べたのはお父さんなんだよ!』そんな生肉臭い台詞を吐きかけられたときの母親の瞳が、今目の前において据わっている。夕飯どころか、臓腑を抜かれた気分になる。

「大体さ、悠のためのトリートメントなんて言うけれど――チーちゃんが、自分以外のトリートメントを考えるはずがないじゃない。たとえばさ、あの夜あの市役所で、チーちゃんは本当に、悠のために戦っていたのかな?」

 臓腑を――刺し貫かれた気分だった。舌の音が、一瞬にして乾固する。傾げられた首や持ち上げられた語尾を押し返す『YES』など、そこには露ほども残ってはいなかった。

 悠の言う通りだ――

 私は、私自身のために戦った――

 そもそも私は、誰かのために戦ったことなど――一度もない。

 彼女にとって、正義なんてものは、都合のいい資格に過ぎなかった。都合よく――戦場に立てる資格に過ぎなかった。やむを得ず武力を行使した自衛隊員が、実は喜んで暴力を行使していたとしても、国民はその裏の腹を発見できないだろうし、自分達の権利さえ守られれば、笑顔でその肩を叩くだろう。また戦場へ、隊員を送り出してくれることだろう。

 赤霧島の四合瓶はランドセルに忍ばせて、バスの中では痴漢をされたと嘘泣きし、いらん担任の車のブレーキパッドにはオイルスプレーをぶっかける。欲しい物を手に入れるためならば、小学生の頃でさえ、これぐらいの事はやってきた。しかし、そんな悪しき物心がついた自分では、彼を手に入れることができないのではと恐れもした。彼は、正義のヒーローだった。亀女といじめられていた彼女を救ってくれたヒーローだった。その左腕で彼女を庇い、その逞しい肉体で屹立し、その鋭い眼光を突き付けて、いじめっこを決して寄せ付けなかった。母以外には鬼瓦だった父にさえも認められ、彼にならば母の心配の種を任せられるとまで言わしめた。恐れながらも駄目で元々と、大きくなったらお嫁に貰ってほしいと告白した。しかし彼は、彼女を一言の(もと)に袖にした。彼女に正義がなかったからではない。『強い女の子が好きだから』。その言葉は、真っ平らだった彼女の胸を貫いた。だがその心臓は、大きく大きく高鳴った。強ければ――悪でもヒロインになれるのだと。

 故に彼女は強くなった――喜び勇んで、その武力ならぬ暴力に磨きをかけた。たった一片の欠けも許さずに、それどころか常に鋭さを追求した。それなのに――彼はその正義を捨て去った。いじめられているクラスメートを救いもしない悪だった。いじめられている彼女を再び救いもしない極悪だった。気に食わなかった。他人が正義であろうと悪であろうとどうでもいいが、彼だけは、正義でなければ気に食わなかった。あのままの彼が欲しかった。ついに悪しき彼女は、神の十字架よりも、鬼の髑髏に祈りを捧げた。彼に正義の心を呼び戻せ。私の初恋を叶えるため。私の夢を叶えるため。

 彼女は思う。私の真の姿を見抜ける者がいたとして、そう例えば、私をヒロインとする小説の読者みたいな存在がいたとして、きっと彼等は、私をビッチだのヒドインだのと謗るだろう。その通りだ。その通りに悪く言われて然るべきなのだ。なぜなら私は、自愛と遊喜だけが友達の、そんな『悪の味方』なのだから。悪く言われて然るべきなのだ。しかし、悪く言われても、叱られるべきではないだろう。それでも叱ると言うのなら、彼等にこんな風に言ってやる――


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