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『それは――叶わぬ願いだ』
閻魔は、裁きの神は――残酷な現実を言い渡す。
『『全能の逆説』なるものを知っていよう。……知ってはいないか。では、全能たる者は、重過ぎて誰にも持ち上げられぬ石を、果たして創ることができるのか? そのような石を創れぬのであれば、無論その者は全能ではなく、逆に創れたとしても、その石は持ち上げることが出来ぬのだから、やはりその者は全能ではない。貴様の夢は――論理的に有り得ぬ夢なのだ』
それは――夢のない現実だった。
「そ、そんな! 5つのリングを揃えれば、夢を叶えてくれるんじゃなかったのっ!?」
良くて観客悪しくて背景の千尋であったが、その冷酷な物言に、大人になりたくない子供がネバーランドの裏側を知ったかのように、むきになって我儘を吐きかけた。閻魔がこちらを一瞥する。
『そうだ、そのように鬼達も言ったはずだ。だがしかし――『どんな夢も叶う』とは言っていないはずだ。妄言多謝、そう謝っておくべきなのか?』
この詐欺師爺、裁かれるのは貴様だ、地獄の釜にぶっ込まれろ、散々ファンタスティックな世界を見せておいて、最後の最後でリアリズムか! 思わず千尋は、手元の瓦礫を掴み上げる。が、その手からさえも威気が逝き、瓦礫をぼとりと取り落とす。今目にしている現実こそ、論理的に有り得ない夢だろう――
本来ならば、人間中の誰よりも、憤慨すべき人間が――澄み切った笑みを浮かべていた。
「謝らなくていいよ。気付けなかった悠が――駄目な子なだけなんだから。なるほどなるほど、そうだよね。神龍もサイヤ人は倒せないもんね」
滝川悠は――その隻眼で、温かな夢よりも、冷たい現実を直視していた。それどころか、『1+1=2』を理解したエジソンのように、二度も三度も頷いていた。その瞳の中、閻魔のその輪郭が、毛を刈り取られた羊のように、ぶるりと一度、震えた気がした。
『――して、他に夢はないのか? ないのなら儂は消えさせてもらうとするが、それではあまりに曲がない。その怪我くらい、治してしんぜようか?』
ややあって閻魔は、均したような声で、そのように提案した。が――
「ああ、これはいいよ。答案についたペケみたいなものだから。取り消すなんていけないよ。それにね――もう新しい夢ができちゃった。でもでも、それを叶えてもらう前に、訊きたいことがあるんだけど」
悠は、唇を尖らせ訊き返す。
「夢を叶えた後なんだけど、このブラックリングはどうなっちゃうの?」
『参加賞としてくれてやる。もっとも、五つ揃っていても、今後金輪際、儂を呼び出すことは叶わぬがな』
「ふぅん、わかったよ。じゃあじゃあ、あっぷあっぷプランはいけそうだね」
そんな溺死しそうなプランで大丈夫かしら……。千尋はそう思ったが、質疑応答を済ませた悠は、尖らせた唇から、軽快な口笛を一度吹く。その一つの音符は、一羽の黒鳳蝶となって宙を舞う――
「この世界で、悠よりも強くない子を――きれいさっぱり消しちゃってくれるかな」
翅を広げ、ゆらゆら漂うその蝶は、それでも確かに――己が額に落ち着いた。千尋は、口をあんぐりと開け放つ。そんな夢が正夢になったとしたら……。それを思うと、無意識に吸い込んだ空気は、肺の中に留まらず、体温を道連れに、足の裏から抜けて行く。「ゆ、悠! あなた何をっ!」叫ばなければ、すぐにも存在そのものが失せそうだった。
悠は顔を巡らせる――大海原に大志を張るような、そんな笑顔を見せ付けて。




