表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLACK RING  作者: 墨川螢
第3章 サックガーデン占拠事件
138/148

3-49

 初恋をしたのは、忘れもしない小学校4年生の夏のこと。6年生の登校班の班長に、亀女だとからかわれ、登校拒否になった自分を、彼が救い出してくれた。救い出してくれただなんて、健康な第三者が聞けば、浮かされた物言いに他ならないが、それもそのはず、そのときから彼女は、『守ってやる』という彼の言葉に高熱を発し、初恋の病を患った。深窓に籠城した令嬢が、救世主を求めて焼け付く白日の下に飛び出したところを見ても、両親が、断固として祖父母の消息について言及しないところを見ても、あんな脆弱なウィルスにやられてしまう程、その病弱極まる身の上は、生まれ持ってのものだったのかもしれない。しかし彼女は、ワクチン接種により、免疫をも生まれ持っていた。前後不覚になったとしても、(くそ)と泥の地面を這っても進み、手前の欲したものを鷲掴む。そんな精神を、時代にさえ恐れられた不貞浪人により与えられていた――そんな悪の精神こそを、与えられていた。

 それこそが――正義の味方の正体だった。


 目覚まし時計のアラームは、いつも無慈悲な響きでもって、人の眠りを剝ぎ取るもの。昨日の自分が慈悲を持ってセットした無慈悲ならば、甘んじて受け入れる気にもなるのだが、自分ではない何者かがそんなことをしようものならば、慈悲も無慈悲も、木刀の一本足打法で叩き返してやりたくなる。しかし、そんな闘争本能に火がつく前に、その後頭部を蹴り上げられて、山野井千尋は跳ね起きた。後頭部を両手で抱え込みながらも、その視線を上半身ごと、右へ左へと振り回す。傍から見れば、起床早々腹筋トレーニングを始める脳筋女の体だったが、何もそこまで、ストイックというわけではないらしい。

「何よ……これ」

 それ故に、寝坊助らしい言葉を漏らす。だが、その瞳に映るものは、怒り狂う目覚まし時計などでは断じてない。それ故に、一般人らしく息を呑む――

 映画館、恐らくここは映画館――ビアガーデンみたいに、ポップコーンメーカーみたいに、変わり果ててしまった映画館。そんな風に見えてしまうのは、その胃がぺしゃんこになっているせいもあるのだろうが、彼女を取り巻く光景は、洒落にならない程に、あくまでも壊滅的だった。天井や壁が失せ、剝き出しになった屋外の景色に、床から湧き出す爆発が、ひっきりなしにむしゃぶりつく。それこそ映画のような光景だったが、四角く平らな世界に閉じ込められてはおらず、かと言って演劇にしては、それこそ真に迫り過ぎている。闇色の風雨は刺すように冷たく、這い寄る炎は叩くように熱い。

 ふいに頭を痛みが刺す。後頭部を抱えていた両の手を、掌紋へ浸み込む瑞々しさに、水を掬おうとするように合わせて見れば、自分の顔が、血塗られた鏡に映っていた。するとまた、頭に痛みがやって来て、それは一陣の寒風のように、眼底に固く積もった埃を刮ぎ取り、瞳の外へと掃き出した。見下ろす手鏡の中、彼女は彼女に変わっていく――振り下ろした金棒の向こう、血化粧をした笑顔を掛けて、丸い眼鏡に縁取られた両の目で、こちらをしかと見下ろす、滝川悠に。

 が、塵芥を金色(こんじき)に炒る炎を透かして見れば――その顔に眼鏡はなく、左目もなく、血化粧はしているものの笑顔もない。まるでスキップをしていたら何かを蹴飛ばして、後方に転がって行ったらしいそれが、空き缶だったか小石だったか犬の(ふん)だったかが気になって、とりあえず立ち止まって振り向いたかのような、そんな剝げた表情があるばかり。右の瞳に映る自分が、ともすれば吸い込まれて、左の眼窩から排泄されそうだ。無論そんなことはなかったが、しかし悠は、ややあって、捩じっていた首を正面(まとも)にし、握った左手に眼を落とす。そこに握られているものは、血に汚れている金棒などでは断じてない。それは、この時に至ってこそ誠の清純さを獲得する、夢というものに他ならない。千尋にはそれがよくわかる。確かめるように開かれた悠の左手、その手の内を讃えるようにして――5本の指のそれぞれに、ブラックリングが輝いていた。黒き髑髏達は一様に沈黙し、祝杯の美酒を観照しているかのようにして、ただただその双眸に、赤・橙・青・緑・黄金(おうごん)の色を収めた、五色一和(ごしきいっか)の光を宿している。頭の中、彼の言葉を反芻する。ボロボロの着物を着て、吐き気がする程の醜悪な笑みを見せた、あの小柄な鬼の言葉を、反芻する――

 ブラックリングを5つ全て揃えし(とき)――汝の夢は成就する。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ