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BLACK RING  作者: 墨川螢
第3章 サックガーデン占拠事件
135/148

3-46

 相沢仁は――目を覚ました。

 ヘリコプターの破片とともに、宙に投げ出された一つの影。その影は、人間の形を、もとい、女性の丸みを有していた――

 空に引っ張られる、美しき長い黒髪――

 どんなに離れていても、見紛うはずはない。そこにいたのは――

 初恋の最愛の幼馴染――山野井千尋、その人だった。

「悠を見なって――相沢仁くん」

 夢のような現実が降って来た。しかし同時に、悪夢のような現実が湧いて来た――滝川悠は、隻眼をもってしても、しかと現実を見据えていた。左の眼窩が吐き出す血潮。が、そんな飢えた赤子の駄々になど、構う素振りは微塵も見せず。

「テスト用紙がひらひらしてたら、答えが書き込めないじゃんか」

 悠が左手を振り下ろす。人差し指の黒き髑髏が、その双眸から、血の涙を撒き散らす。が、その指令を受けた竜巻が、仁に襲い掛かることはなかった。その長大な身が傾げられた先には、風を呼び込みテスト用紙をひらひらさせる、開け放たれた窓がある。

 その窓は、思えばずっと前から、開け放たれていた――

 けれど小僧は、恐れていた――

 その向こうの空を、恐れていた――

 窓からも眼を伏せ、瞼を下ろし、そこに黒い地獄を創り出し、鬼の怒号に耳を塞いだ――

 けれど少年は、今思う――

 そこに本当に――地獄はあったのか?

 むしろそれは、地獄でさえない――

 あの竜巻は、窓を穴に変えるだろう、空を赤に染めるだろう――

 それこそが――(まこと)の地獄に他ならない。

 今ならまだ間に合う――小僧が叫ぶ。

 小僧に胸倉を掴まれ揺さぶられ――少年は今思う。

 あの窓は、帰るべき場所――

 そこから続く空路(そらじ)なら、どんな天候が顎門を開げていようと、恐れる事など何もない――

 飛べ――

 飛び立て――

 飛び立つべきだ――

 飛び立ちたい――

 相沢仁は――今まさに、そう想う。

「千尋おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――っ!!」

 業風のオーケストラ、塵芥のワルツ、それら遮る物の一切を貫いて――叫びと身体が跳躍する。竜巻に挑み掛かり、絡み付くように、怒り狂う風の中を、鯉の如く泳ぎ昇る。その瞳には、今まさに堕ち()く最愛の影が刻まれている。が――その眼底からは、嘗て墜ちた最愛の影が、焼き払う炎のような光の中から浮かび上がる――

 意外に居心地のよかった六畳一間の安アパートの一室。せっかく掃除してやった事務所の隅っこで、粗相をやらかしていた三下野郎。そして今、ピストルをこちらに構えたその男の腕の中、生まれたての小鹿のように、ぶるぶる震えるかわいい女。初めて見るこの光景。しかし直観は、極めて冷徹に、その真相を言い渡す――これは、自分が伝説の極道だった頃の、最期の記憶に相違ない。額の中央を、痛みが穿つ。口角は、木の葉のような、そんな感覚に浮き上がる。それは、前世の喜悦に他ならない。しかし一方で、石のような、そんな感覚に沈み込む。それは、生まれ変わりの憤怒に他ならない。前世と生まれ変わり。答えと答えが火花を散らす――

 ふざけたことを言ってんじゃねぇ、悲劇のヒーローを気取ってんじゃねぇ、勝手にハッピーエンドにしてんじゃねぇ! 相愛だろうと片恋だろうと関係ねぇ! もう二度と、いいやこの俺は、相沢仁は――ヒロインを置き去りになんかするものかっ!! 

 彼の雄叫びが、六畳一間を(いかずち)の如く切り裂いた。その前世の情景は、炎のような光の中へと還って行く。砲弾程にも広がっていた額の痛みもまた、溶け入るように消えていく。するとその頭の中に、鐘の()が鳴り渡る。そして、洋々とした青空を照らし出す朝日の如く、鐘の()の余韻を帯びながら、彼自身の声に似た、しかし別人のものとも聞こえる声が――『餞だ』と迫り上がる。


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