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BLACK RING  作者: 墨川螢
第3章 サックガーデン占拠事件
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3-39

「わかってくれたみたいだね。これで――テストになるっていうものだよ」

「泣けてくるぜ。テメェにテストされるなんてな。あまりにテイストが悪過ぎる」

 そこまで言わせる大馬鹿が、そんなお洒落を気取ったジョークを味わうはずもない。ただリングの指をパチンと弾くと、仁の身体を収容していた大太刀が、血痕の中に沈み込み、その血痕もまた、床に浸み込み消え失せた。

 仁は、拳を固めた。その目には、憎いあん畜生の顔が映っている。『鬼さんこちら、指鳴る方へ』そんな風に囀るような、楽し気な笑顔が映っている。

「さあさあ頑張っちゃうぞ、ホイッスルしちゃうぞ」

 それを言うならハッスルだ。仁は気勢を削がれそうになる。

 しかしそれでも――ホイッスルは鳴らされた。悠の身体から立ち昇っていた、緋色を発する光の霧が、さながら噴火の時が来たように、血気盛んに噴き上がる。

「わかるかな――どこから来るか、わかるかな?」

 そんな霧の中、影絵と化した悠は、歌いながら首を振る――

 光り輝く血痕が、吉兆を告げる流れ星であるかのように、軍師の面持ちで待ち構えていた仁だったが、その夜の空は、希望の光を隠蔽する、そんな昼の空へと変貌した。しかしながら、青く晴れ上がった空ではない――赤く腫れ上がった空である。天井を押し上げんばかりに噴き上げられた光り輝く緋色の霧は、やがて垂れ込め、そして戦場を席巻し、視界をレッドアウトに陥らせる。この光の濃霧の中では、同じ輝きを持つ血痕を、見出すことなど不可能だ。木を隠すのなら森の中、あんな馬鹿でも思い付く作戦に……。仁は、己が浅薄に唇を噛み締めた。しかし、状況は切迫している。牙を突き立てるべきは自分でない。わかっているはずなのに、考えに考えて、考えがこんがらがり、犬歯が唇の皮を突き破る。そんな彼を、赤い霧は無邪気に笑う。

「ゴリラさんも夢中になっちゃうね」

 それを言うなら五里霧中だ。しかしゴリラさんは、夢中で活路を求索する。だが、そんな(みち)などありはしない――どこもかしこも赤い霧に塞がれて、どこもかしこも赤い刃の壁に見えてくる。ゴリラさんは両の拳を握り締める。進めやしないのに握り締める。

 そうすると――

「かわいいかわいいゴリラさん――美味しいバナナをあげましょう」

 そんな声が――一筋響いた。

 仁は食い付くようにして、その方向へと視線を投げる。して見ると、そこへ赤い霧を突き破り、言葉の通り、随分と美味しそうなバナナが投げ込まれる。口にすれば、途端に天国へぶっ飛ぶことだろう。茶色い筒に導火線――そこには、ダイナマイトが舞っていた。赤く小柄な灯火(ともしび)は、ポッキーゲームの如く、あっという間に導火線を食べこなし、茶色い細身の恋人にキスをする。有頂天になったカップルは、周囲を焼く炎を撒き散らし――赤い光の霧さえも駆逐した。そして仁は目撃した。己が頭上に開かれた、今にも血の雨を降らさんとする、巨大な赤い雨傘を。

「わおわお! 何かな何かな!? 花火大会でも始まっちゃう!?」

「室内で花火大会なんて、それはもうテロだろう」

 思わず突っ込んでしまった仁。眼と眼がごっちん正面衝突。間延びするひと時に、一生分の後悔を味わった。こちらとそちらの状況を見取った悠が、左手を振り下ろすと、頭上に広がった血痕から、無数の刀が降って来た。当て逃げ上等と言わんばかりに、仁は一目散に逃げ出した。悠は、双肩に控える血染めの手を、その背中に差し向けようと動いたが、赤き霧に代わって戦場を支配した黒き煙が、彼を手厚く匿った――

 それを待っていたかのようなタイミングだった。悠は、逃した獲物の気配を追い、己が腰元を浸した黒煙に、未だ気付いていなかった。その中を泳ぐ、ひと際色濃い黒影は尚の事。獲物ではなく、捕食者の気配を彼女が察知したときには――その頸動脈へ、既にナイフが飛んでいた。まるで、似鯉が飛沫(しぶき)を上げて跳ねたよう。その白光りする腹も、突出した口吻も、狙い澄ました蜻蛉も、やがて黒き淡水の帳に隠される――

 仁はまるで亀のように、遠く離れた座席の陰に身を隠し、そんな光景を覗いていた。やがて煙の波乱は、静かな流れへと凪いで行く。流れの中に、突き立てられた杭が見えてくる。その二本の脚は、それ程静かに佇んでいた。しかしその頂より、蜻蛉の羽音がはためいた――

「じゃ~んねん」

 悠が、その顔を露わにする。歯を剥き出しにした、素敵な笑顔を露わにする。その白い歯で――見事にナイフを噛み止めて。それに(とど)まらず、あろうことか、板チョコのように噛み割った。ガムのCMの出演依頼も殺到しそうな、そんな颯爽とした光景だ。それでも口内の切先を吐き捨てて、「美味しくない」と言い捨てる。そして、その丸眼鏡のレンズの端に、おかしなお菓子をお届けした、闖入者の影を引っ掛ける。煙の切れ目を横切った、駿馬の尾っぽを引っ掛ける。その左手がハンドルを開けるように捻られて、同時にブラックリングが振り回した赤色光に反応し、双肩に控えた五枚刃の手の平は、それぞれ五枚()のファンに形を変える。そして巻き起こされた猛風が、容易く煙を吹き飛ばす。忍ぶ影が、その姿を見せつける――

 真っ逆様に落ちながらも――

 天国も地獄も見やしない――

 見つめるは、射ると定めた標的のみ――

 ダーツの矢を引き絞り――橘理奈が姿を見せた。


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