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「よけてばかりじゃ――ぶっ殺せないじゃん」
すると、武道館の天井から血の珠が滴るようにして、そんな声が、まさに頭の上から落ちて来た。恐る恐る首を捩じり、喉を反らせ、視線を持ち上げ見てみれば――今取り付いている背凭れの上に立った悠が、右手の大太刀を、天井を突かんばかりに振り被っていた。思わず鳴いた喉めがけ、今度は凶刃が落ちて来た。肘掛を片手で掴み、相手の身体に巻き付けるようにして、仁は身体を逃げさせる。目標を失った大太刀は、座面と床を叩っ斬り、綿やコンクリートの埃を巻き上げる。相手は更に、罠へと続く糸を繰るように、リングの左手を打ち下ろす。と、その左肩の辺りに控えていた血染めの手も、さながら蚊を叩くように打ち下ろされる。すぐ隣の座席の肘掛に足をかけ、拳を固め、憎たらしい丸眼鏡の丸顔を吹き飛ばそうとしていた仁だったが、仰向けで六つ裂きになった自分が瞬時に脳裏にへばりつき、さっと身を翻し、更に隣の座席の座面へと逃げ出した。そんな様が、今度は鼠に映ったのだろうか、獲物のいない座席を粉砕してしまった血染めの手は、主が左手を払うのを合図とし、さながら虎のように、背中を見せた獲物へと躍り掛かる。二度三度と、仁は逃去を繰り返す。二度三度と、座席は砕かれ埃を上げる。安定した足場を求め、座席から床へ、仁が跳んだときだった。悠が鞠を弄ぶように左手をちょいと跳ねさせると、人差し指の髑髏の双眸が瞬いて、仁の足が再会を望んで止まないその床から、同じ緋色の輝きが滲み出た。その根源は――光り輝く血痕だった。床の刺創にも見える、そんな大きな血の泉。すると泉が飛沫をあげ、その魚群が跳ね上がる。緋色の大太刀が、夥しい突出を見せつける――
緋色の花弁が――虚空に散る。
「やっぱりやっぱり、いけないよ――」
悠が言う。肩に大太刀を担ぎ、膝頭をくっつけ、背凭れにちょこんと座り、にこやかに。
仁は棒立ちになっていた――その身体を、ケージのように閉じ込めて、無数の大太刀がそそり立つ。頬を掠めた赤い刃には、紫の横顔が映っている。顎へと伝い、滴り落ちた鮮血は、足下の血の泉の只中に、帰郷するように溶け込んだ。彼は、九官鳥にはなれやしない。嘴のように尖らせた唇からは、それでも言葉なんぞは滴らない。
「悠は仁くんの能力を知ってるけれど、仁くんは悠の能力を知らないじゃん。こういうのは……何て言うんだっけ? え~と……そうそうそう! ヘアじゃないんだよ!」
撫で回して脳みそをシェイクしてやりたくなるような、そのおかっぱ頭がどうかしたのか? 仁は、囚縛されたまま、日曜夜六時の国民的アニメの主人公とその親友がフュージョンしたような顔を、忌々し気に睨め付ける。
わざわざ教えてくれなくても、今の攻防で察しが付くというものだ。何のことはない――ペイントボマー・橘理奈ご自慢の、ターゲットマークボムと基本は同じだ。血痕は刀が突き出るポイントで、左手のリングがポインター。床と壁を斬った攻撃も、それを応用すれば見えて来る。壁の正体は走る刃、さながら床下を泳ぐ鮫の背びれである。そして、それらを出撃部隊とするならば、双肩に控えた血染めの手は、リングを軍配として動く、迎撃部隊と言ったところだろう。仁が推し量った事柄を、悠はわざわざぴいぴいの語彙で教えてくれた。そして背凭れから、ぴょこんと床に下り立った。




