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緋色を発する光の濃霧は、対する所に蟠る。さながらそれは、地獄を孕む瘴気のよう。しかし地獄は、自ら光を掴むことを切望し、その手でもって突き破る。幾千もの亡者を握り潰し、その血を絞った巨大な手。そんな陣容を、五本の緋色に輝く大太刀が、宙に浮かんで描いていた。その手がおいでおいでを繰り返す。しかし彼は、相沢仁は、動かない。ただただ仏頂面で、その手の内を睨め付ける。するとその手の横合いから、もう一方の手も抜きん出て、相方をそれぞれ得た両の手は、早速盛大な拍手を打ち鳴らす。耳朶を裂き、鼓膜を貫かんばかりのその音は、捧げられる敬意の程に他ならない――
それに応え――彼等の王が来臨する。
従僕が左右に控えると、影を映した赤き光の霧を脱ぎ捨てるようにして――滝川悠は、その姿を現出させた。緋色が艶めかしく流れ落ちる、身の丈の倍はありそうな、ひと際長大な大太刀を右手に下げ、その頭部には、やはり緋色に輝く打刀が、不遜な頭光を冠している。その顔に、あの無垢なる笑みは全くない。深みを極め、それ自体の色彩をも呑み込んだ、そんな冥暗のような表情があるばかり。しかし仁は、その中に一本の刀を見出した。ともすれば感知が危ぶまれる程に薄く鋭く、それでも瞳を裂く影が重さと堅さを窺わせる、たとえばあの右手の大太刀を何百倍にも鍛錬したような、そんな妖刀と呼ぶにふさわしい一品だ。
化け物め……。思わず呻吟を滲ませる――
しかしそれは――あくまでも瞬息のことだった。
「何に化けようが――俺はテメェをぶっ殺す」
相沢仁は――固めた拳を胸に言い放つ。
そんな宣言に打たれても、その表情には、歪みも響きも生まれない。滝川悠は、現在を責める過去のようにして、ただただそこに佇むばかり。が、その左手が、温度計のアルコールを彷彿とさせる緩慢さをともなって、胸の前へと持ち上げられる――
「ぶすり」
その唇が解けた瞬間だった。突き付けられた左人差し指――その黒き髑髏の双眸が、温度計が弾け飛んだかのような、赤い閃光を撒き散らせた。
肌を掠める空気の破片。百戦錬磨の大葉の記憶が、警告を発するゆとりもなく、仁の身体を、筋を痛めることさえ看過して、無体に横合へと放り出す。黒きボンデージを身に纏った女王様がいたのなら、尻を鞭で引っ叩かれそうな、そんな情けない四つん這いの体のまま、仁は視線を、身を投げた床へと投げ返す。そこには――10を数える緋色の打刀が、逃げ遅れた影を磔刑に処していた。ガリバーも真っ青の有様に息を呑む。無論そんなゆとりも断じてない――
勢い掛かった左手が、ばさりと虚空を掻き上げる――黒き髑髏の血眼が、微笑む唇に紅を引く。大葉の記憶は、仁にまたもや回避を強要した。ピストルを突き付けられても臆さなかった伝説の極道が、臆病風に飛ばされる。それ程までに、敵の足元から飛んで来たそれは、凶猛な風を纏っていた。仁は、蹴飛ばされた空き缶のように、再び横合へと、座席の背凭れを越えて転がった。その最中に、目撃した――薄くて赤い光の壁のようなものが、ついさっきまで身を置いていた床の上を、一直線に滑り去る。それに気を盗られ、受け身を忘れ、座席の座面に背中を強打。同時に、杭の如き轟音が鼓膜を掘削したが、それは考えるまでもなく、自分の不手際が突き出した音ではない。座席の背凭れに取り付いて、先の壁の行方を、視線でもって追い駆ける。追い付く前に、息が切れた――巨大なディスクグラインダーを走らせたようにして、床が、そして行き着く先に聳える壁が、ばっくりと切り分けられていた。しかしその切り口は、よくよく見ればそんな無骨なものでは断じてなく、もっと鋭利な刃物――たとえば刀で斬ったかのように、冷たい艶やかさを放っていた。長大な斬り傷――赤い回転灯と青いシートに隠された、平馬高校武道館の内情を垣間見る。




