3-30
「滝川……どうしてお前が、ここにいる?」
仁は、代わりにそんな問いを口にする。
しかしそれは、愚か過ぎる問いだった。彼女がブイサインをこしらえた左手には、その人差し指には――髑髏を象ったブラックリングが、艶めかしい光彩をちらつかせている。まるで、事後のダブルベッドで、絶頂の燐光を抱いた言の葉が、浮き沈みを繰り返すようにして。
「どうしてって、悠も仁くんと同じ、ブラックリングの所有者さん。夢を叶えるために決まってるじゃん。ブラックリング、不思議な指輪ブラックリング。夢、夢、夢。どんな夢を叶えようか迷ったよ。歯磨き粉のチューブみたいに、逆さになったり捻ったり。探偵、芸術家、キャバクラ嬢、スキージャンパーっていうのもよかったね。なりたいものが多過ぎて、なかなかなかなか決まらなかったよ。でもさ、リングは5つ全てを集めなきゃ、夢を叶えてくれないじゃん。だからねだからね、悠が所有者さんだよ全員集合って、結構派手に暴れてCMしたんだ。トレーニングにもなったし、必殺日常だったよ。それでねそれでね、悠は結構有名人さんになったんだ。ジャスティスリッパーとは――何を隠そう悠のことだい。仁くんも所有者さんなら、予想がついてたんじゃないのかな?」
いらん閑話を盛りに盛り、悠は楽し気に答えてくれた。言葉を覚え、記憶力がよくなり、その日一日の体験談を、訊いてもいない両親に乱射するかのよう。ちなみに必殺日常とは、一石二鳥の間違いだろう。内容が内容だけに、当たらずとも遠からずと言える言葉だが。
無論仁は、ビール片手に枝豆を摘みナイター中継を観戦しながら生返事を垂れ流す父親の面持ちで、その長ったらしいお喋りを聞き流していた。しかし、話の尻に用意されていた情報が、鼓膜に釣り針の如く引っ掛かる。
ジャスティスリッパー――
悪を斬り捨てる殺人鬼、悪を殴り倒す通り魔の成れの果て――
それは――
山野井千尋ではなかったか――?
仁は、混乱した。それはまるで、喧嘩別れをしてしまった旧友から便りが届いたときに感じるような、胸に薄く膜を張り、喜びを弾く種類の混乱だ。本当は、クラッカーを花火大会のフィナーレの如くぶちかましたい気分だったが、一度持ってしまった確信は、真犯人の自白をもってしても、とても癒せるものではないらしい。痛まずとも、痒みが胸の内を這い回る。
「その顔は、予想できてなかったみたいだね。駄目な子だなぁ、仁くんは」
そんなこちらの容体などは露知らず、悠は鼻息で丸眼鏡のレンズを曇らせて、零に等しい胸を張る。まるでジャイアンを出し抜いたのび太のよう。仁は思う。ぎったんぎったんにしてやりてぇ……。しかしそのためには、この胸に重々しく絡み付く油を、どうにかすることが先決だ。簡単なことだ――
手っ取り早く――焼き払ってしまえばいい。
「それで滝川――テメェは、救済細胞の一員なのか?」
誰がリッパーだろうが、最早そんなことはどうでもいい――俺は、俺の愛する女を拐かした救済細胞を、叩き潰さなければ気が済まない。その核は勿論のこと、粗面小胞体や細胞膜に至るまで、電子顕微鏡でも観察が不可能なまでに徹底的にだ。こいつをぎったんぎったんにすることは、既に決まっていることだ。仁が悠に投げ掛けたのは問いではない。それは確認に他ならない。自分と理奈以外のブラックリング所有者は、漏れなく救済細胞の一員なのだ。悠は、生物の授業で教師に指されたときと同じように、首をこっくりかっくり傾げるばかり。イエスともノーとも答えていない。それでもやはり、仁の胸は、既に炎に巻かれていた。
「いちいん? いちい? ああ、一位! ううん、違うよ違う、ハズレだよ。救済細胞の一位、教祖さんなのは秀一くん。それでね、秀一くんは悠の家来なの」
イエスでもノーでもなく、そう言う平面的な答えではなく、3次元的な答えが返ってきた。とにもかくにも、仁は悪友の最深の悪相に驚愕せずにはいられなかった。が、肉人形遊びが趣味の野郎なら有り得ることだと思い直す。そして怒りを顔に露にする――エンドを書いたな、フレンドめ。




