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だからはっきりしっかり説明しろ! 仁は、その場で地団駄を踏みたくなる。しかし、そんなことをして、この船から落ちるわけにはいかなかった。鮫や鰐などではなく、何か得体の知れない禍々しい存在が、この身を引き摺り込むように思えてならない。しかし船は、泥船は、進むごとに小さくなって行く。初めは数十人いた黒服は、今や六人に減り、身を守っていた黒い囲いは、頼りない一層を残すのみ。螺旋階段を上り切り、3階フロアへと辿り着く。そしてまた一人、剝落する。見れば見る程に――それは奇怪な死であった。吐血があるわけでもなく痙攣があるわけでもなく、呻き声さえ漏らさない。それどころか、相も変わらず素敵な笑みを浮かべたまま、歩行の延長として倒れるのだ。まるで雲が散り霧が消え、快晴の空が広がるかのような、そんなどこまでも自然死に近い突然死がそこにはある。ホワイトからレッドへ、過剰な力をもって踏み締める床が、人工大理石からカーペットへとなり変わる。映画館のロビーに至ったときには、スキンヘッドの黒服しか残ってはいなかった。見た目通り頑強であってほしいその背中に、縋り付くようについて行く。
映画館のロビーもまた、弾けたクリスマスムードの中だった。以前来たときにはブルーだったカーペットの上、寝転がる来客達を蹴飛ばし歩く。サルサソースをぶちまけたコンセッションや、片道切符を押し売りされたボックスオフィスで、ポップコーンやチケットを買うこともなく、シネマエントランスのゲートを潜る。その先の回廊もまた、ロビーと同じ有様で、ここが美術館のそれならば、この光景こそが、人類の歴史をテーマにした一枚の絵画に見えることだろう。それに無謀な加筆を加えるようにして、スキンヘッドと仁は、左回りに、回廊へと歩み入る。映画デートも悪くはない。血や臓物の臭いを鼻であしらい、散らばる薬莢や死体を足蹴にする一方で、そんなことを考えていた仁だったが、成仏できない魂の仕業か、上映予定作品のポスターを納めたパネルが壁から外れて落ちて来て、その角が、不埒な頭を突き込んだ。音声にならない悲鳴を喉の奥で逆巻かせ、後頭部を抱え、堪らずその場で蹲る。滲んでいく床を踏んでいた革靴が、百八十度踵を返す。間一髪だった。スキンヘッドが振り向いたときには、起立してふんぞり返り、涙を眼底に押し込むことに成功した。スキンヘッドは、子供に事情を尋ねる警察官のような笑顔はそのままに、瞳の中を覗き込む。仁は傲岸に言い放つ「にゃにみてんにゃこにょやりょう……」
「こちらになります」
素晴らしい演技が功を奏したのか、スキンヘッドは頓着せず、恭しい手振りで示して見せた――
マリンブルーのガラスパネルの中、イエローで表示されるスクリーンナンバー『6』――
劇場への入り口が、重厚なる革張りの扉を束ね――仁の到着を待っていた。
「ここに――千尋が」
呟く仁――
答えは自分で確かめろ。そう言わんとするかのように、スキンヘッドは無言で扉を押し開き、先に立って通路を進む。そして最後の扉を開け放つ――
座席で満たされた斜めに傾いた空間は、外の俗界とは無縁の世界であった。徹底的に清められ、薬莢も血痕も、埃の一つさえも見当たらない。そんな室内を満たした暗闇を、映写室から伸びた青白い光が、真一文字に裂いている。まるで、重い瞼をこじ開けた、冷厳なる朝日のよう。BGMは鳴っていない。ただ、スクリーンの中で胸倉を掴み合う二人の男子のその声が、天上と床を駆け回っているばかり。仁は、そのキャラクター達と、ボックスオフィスで一瞥した映画のタイトルを、頭の中で繋ぎ合わせる。『劇場版レインコート ~血染めの遺伝子~』――千尋が、上映を心待ちにしていたアニメ映画である。




