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「そうですか―そうですよね」
それは――オレンジ色の雷だった。夕焼けを掻き掃いたような閃光が迸り、斜陽を叩き落としたような轟音が鳴り渡る。望月の顔は、漂うマンボウのそれだった。しかし次の瞬間には、水槽の壁に激突したマンボウのそれだった。緋色の繁吹を絡ませながら、ナイフを携えた右腕が、竹蜻蛉のように飛んで行く。そして彼は、影の人形に変貌する。しかしそれは刹那のこと。遅れて通り過ぎる雷鳴と、人肉を焼く酸鼻な臭いの煙の中、達磨の彼が床へと落ちる。そして自分自身を、適切な赤で染め上げる。雷は尚も飛び翔る。黒き髑髏の双眸より飛び翔る。その光のうねりは、無様を見下ろす理奈の顔を鮮やかに照らし出し――まるで斬れぬものなどない名刀の如く、床や柱を、美麗な斬り口でもって薙ぎ払う。
「『ライトレイザー』――ブラックリングの進化形能力には、その熟練度に応じて、このような特典がつくんです。『進化形能力レベルⅡ』といったところでしょうか。知っていたはずですよ。思い出してください。あなたもよく知る女性も、レベルⅡだったはずですよ」
理奈は語る――賢者が愚者に、教え諭すようにして。
しかしながら、愚者というものは、愚かさなしには生きられない。醜かろうと、形振り構ってはいられない。生き延びたくて、仕方がない。望月辰夫は今日もまた、そんな野性味に満ちていた。四肢を失ったその身体で、血汁のみならず、涙・鼻水・大小便、それらがいかに床を汚そうと、一心不乱に這い逃げる。しかしながら――現実とは残酷なものである。壁にぶち当たって行き止まり。それでも鼻面を壁に押し付けた望月だったが、背筋をさすった暗影に、面子のようにひっくり返る。
「よぜ! 弟ざんが、自分のだめにお姉ぢゃんがごんなごどをじで、喜ぶわげばねぇ!」
この40代は、駄々を捏ねるように身を揺すり、壊れた喉で泣きじゃくる。
その10代は、お昼のサスペンスドラマから掠めたようなその台詞を――しかし神妙に聞き入れる「そうですね……」
「きっとあの子は喜ばないでしょう。姉の胸倉を掴んででも止めるでしょう。本当に、我がままで生意気で、その癖ふとしたときには甘えん坊で、見かけは高校生くらいに見えるのに、やっぱり中身は小学生の坊ちゃんでした。それでも――漢になろうと頑張っていたんでしょうね。あのスキャンダルの渦中にあったときも、泳ぎも出来ないのに意地張って、私の手を振り払った程ですから」
そして理奈は、守り上ぐ。その口元には、触れれば崩れてしまいそうな、砂のような笑みがある。しかしその目には、どうあっても戦塵に塗れた天井があるばかり――
「結局、そのときと一緒なんですよ――」
彼女は、どんなに乾いていようとも、星が垂らす光の雫を望まない――
「私は私の一存で――女優を引退するだけです」
故に彼女は渇望する――故に彼女は血に飢える。
ぎょろりとその目が、獲物を捉える。静まり返っていた空気が、揺れ始める。やがて揺れは震えとなり、そしてうねりへと変貌する。人工大理石の床が捲れ上がり、天井のサンタやスノーマンのエアブローが破裂する。黒縁眼鏡が、レンズのない伊達眼鏡に成り果てる。言葉がある――引退記者会見の席でも言わなかった言葉がある。その口は檻だった。その口元のほくろは鍵穴だった。いつか突っ込んで、開け放ってやろうと思っていた――




