3-20
「言ったはずですよ――私は役作りには凝り性だと。ハードなアンチなら、当然このことも知っていたはずですよ。再現ドラマで、多くの武道に通じている、あなたもよく知る女性を演じたことがあるんです。ファンタスティックな爆弾を仕掛けるリングの能力だけが、私の戦闘能力ではありません」
望月は、床に縋るようにして横たわっていたが、ラバーソールが一歩を踏むと、殺虫剤を吹きかけられたゴキブリの如く、這う這うの体で距離をとる。しかしながら、意識はクラッシュゼリーよろしくの状態らしく、投げ出されていたナイフやリボルバーを、何度も何度も取り損なう。そうこうしている間に――その足音が、その身体に重なった。腹を見せ、両手を上げ、ジーンズの股座に黒い染みを広げ、彼は涙ながらに訴える。
「ゆるして……たすけて……やめて……よして……」
そんな相手を前にして、理奈は凛として立っていた。その姿は、まるで卒業証書を受け取ろうとするかのよう。しかと見据えて、最後の一歩を、力強く踏み締める――
その喉を――力の限り踏み付けた。
血に染まった咳が煙り、その足元を汚す。それでも尚、足を上げて踏み付ける――足を上げて、踏み付ける。喉仏が沈み込む生々しい感触が踵に伝わると、それが襟首へと突き抜けんばかりに、ドライバーで固いネジを捻り込むように踏み躙る――
すると、味気ないほどの軽い音をともなって――望月の眼鏡の左レンズが弾け飛ぶ。無論、彼の目玉が、弾丸の如く飛び出したわけではない。夜空を翔る流星にも似たプラスチックの破片が、彼女の頬を切り裂いて、その真実を映し込む。そして、震えることさえ許されず、即座に星の砂へと砕けて散る――
女優は、冷静だった――
それでもやはり――
少女は――熱狂していた。
頬から伝う血を舐めとる。風邪に罹った雪白の顔など、とっくのとうに蒸発していた――炭火色を表顕した顔、その色をも破り縦横無尽に走る溶岩流の如き赤筋、そしてそれらによって巻き起こされる全ての火の手に一挙に掴まれたような二つの眼球。焼け縮れたような唇が剝がれるように開かれて、吐き出された蒸気の中に、煮え油を滴らせる牙が垣間見える――
少女は問う――橘理奈は問う。「教えてください。『人生の先生』……」瘧を宿したような、その声で――
「人を殺すことは――いけないことですか?」
理奈は思う。こんな質問を学校の先生にしたのなら、きっと彼はやれやれ顔で、私を生徒指導室に連れて行く。そして『人の命の尊さ』で、私を説き伏せにかかるだろう。しかし私はきっと、その場で彼を叩き伏せてしまうだろう。説いて欲しいわけじゃない。とっくに問いは、解いてある。数学みたいに明確に、たった一つの答えがそこにはある。それを導くための定理は、学校の先生が教えてくれない、教えたがらない世の中の定理というものは、自身の心身をノートにし、入れ墨を彫るようにして、痛い目に遭って学ぶより他はない。そんな目に遭わせてくれる――『人生の先生』に学ぶより他はない。嘘八百の綺麗事しか教えてくれない学校の先生とは違って、あなたは教育熱心なのだろうから、誤魔化しはせず、私と声を揃えて、問いの答えを言ってくれることだろう――
いけないはずはない――。
しかし彼は、望月は、地団駄から解放されても、擦り切れたような呼気を吐くだけで、意味ある言葉を吐きやしない。それどころか、涙と汗と鼻汁に濡れそぼったその顔を、ただただ横に振るばかり。そこに、誤魔化し上手な学校の先生を見出して、理奈の目は、いよいよもって燃え上がる。それでも彼は、望月辰夫は――やはり『人生の先生』だった。漂う粉塵が割って入った瞬間に、手元をさっと払うと、起き上がり様、粉塵を透かす人影に、ナイフを一直線に突き出した。燕の腹のように、刃は白光を打ち放つ。だがその光は、次いで飛んだ光によって、瞬き終えることなく拐かされた――




