3-18
「逃げるのは―あなたですよ」
理奈が呟く――左手薬指、黒き髑髏が、夕焼け色の瞬きをする。
発砲の炎と音に浸っていた望月には、それらの予告が、見えも聞こえもしなかった。背後のクリスマスツリー。そこに潜むターゲットマークが、アイコンタクトを受け取って、爆発的な返事を送る。閃光と轟音とが乱れ飛び、空気も床も叩き上げられた。いかに望月辰夫と言えど、背後で爆発が起きれば、気を配らずにはいられない。ドネルケバブの肉塊みたいな首を捩じるのも煩わしそうに、身体ごと、その方向へと振り向いた。そして、その喉を鳴らした。もうもうと立ち昇る黒煙と、その中で萌えた火の芽の明るさに、死の中でこそ輝く生を見出したわけでは断じてない。はためく煙火を透かして、彼は確かに見出した。生とは相容れることなどない、灯りを許すことなどない、呑み込むだけの黒い死を。クリスマスツリーの幹に、大きな穴が開いていた――
頭上を仰ぐ望月を、さながら筆で一筋擦るようにして、墨の如き影が差す――
いつの間にか鳴り響いていた渇いた軋みが、断末魔の悲鳴に変るとき――
クリスマスツリーが――倒れ込んで来た。
「この超クソガキがあああああああああああああああああああああああああああ――っ!」
望月は、ゴム鞠のようなその身体で、文字通り、ステージの上から転がり下りる――
クリスマスツリーが――ステージを二つに叩き割る。切れ味の悪いナイフが、ケーキを台無しにするかのように。
そんな状況を眺めながら、理奈は口内のチュッパチャプスを転がした。腹這いになったターゲットが、達磨みたいな顔を搗ち上げる。その鼻先を爪弾きにするようにして、ある方向を指し示す「言ったはずですよ――」
「逃げるのは――あなただと」
だるまさんがころんだのように、望月は、即座にその方向へと振り返る。そこにあったのは、巨大な一本の影だった。半ば壁から引き剥がされ、前のめりになった柱時計が、メトロノームの振り子のように揺れていた。が、割れた硝子戸の奥の振り子の方は、最早動きもせず、力なく垂れているばかり。そして、文字盤の上の針もまた、ひしゃげたまま、硬直しているばかりである。その様は、鼓動が絶えても声なき恨み言を身体で叫ぶ、さながら首吊り死体のようだった。望月は、再び正面を見遣った。もうもうと立ち昇る粉塵の中、横たわっているクリスマスツリー。その幹の上に、芋虫のように視線を這わせる。幹の先、円錐型の樹冠の先、ベツレヘムの星が、柱時計の覚束ない足元に、噛み砕かれたヒトデの体で蹲る――
黒縁眼鏡の奥の目に、その背景が駆け抜ける――ツリーとウォッチのドミノ倒し。
黒縁眼鏡のレンズには、その前景が鎮座する――
「物理学の天才少女を演じたことがありましてね。私、結構役作りには凝り性なんですよ。正解です――クレープシュゼットはお好きでしょうか?」
理奈の囁きが、薄皮一枚の均衡を切断し、コンクリートの壁が捥ぎ取られる――
望月を覆う陰は、みるみる大きく濃くなった。まるで、巨人が斧を振り下ろしたかのように――今度は柱時計が倒れて来た。




