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BLACK RING  作者: 墨川螢
第3章 サックガーデン占拠事件
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3-14

 誰かが身体を揺すっている。意識の雲間から差し込む一条の声は、聞き覚えのある声だった。しかしながらそれは、聞き流すのもうんざりしている、そんな父の声だった。うるさいな……。相沢仁は、起床を撥ね退け、羽毛布団にくるまった。しかし彼が、夢に逃げおおせることは敵わなかった――

「仁くん起きて――今日は、待ちに待った修学旅行に行くんでしょ」

 父のその言葉の真意は、まさに寝耳に水の冷たさを持っていた。仁は即座に、両手でベッドを押し退け跳ね起きる。枕元のスマートフォンの液晶画面を叩いて見れば、午前6時15分。学校への集合時刻は6時だったはず。つまりは――パーフェクトな遅刻である。

 とりあえず父に八つ当たりをし、朝食などは摂らず、身支度も最低限に、幸いにも昨晩荷造りをしておいたスーツケースを拐かすと、玄関の扉をぶち破らんばかりの勢いで家を出た。完全にパニックに陥った彼は、普段はバスで登校している高校に、己が脚力のみで向かおうとしていた。そんな息子の、肉体とは正反対の虚弱な精神への理解を示すようにして、玄関先には、既に父が車に乗ってスタンバイしていた。とりあえず父に八つ当たりをし、仁は車に乗り込んだ。

 本日は――待ちに待ったシンガポールへの修学旅行。

 異国の新鮮なる風は、閉鎖的な学校生活を営む生徒達の心の埃を、きっと払ってくれることだろう。そしてそこに、新芽が太陽に向かって顔を擡げるようにして、新たな感情が誕生する――『仁、私ね、毎朝あなたのためにお味噌汁を作りたい』『おう』『授業中に居眠りしちゃっても大丈夫。背中にハートマークを描いて起こしてあげる』『おうおう』『ご飯にする? お風呂にする? それとも、私?』『まずは、一緒にお風呂に入ろうか』そんな希望に満ち満ちた、婚前旅行に等しい修学旅行なのだ。遅刻などは許されない。パーフェクトな遅刻の身の上で、パーフェクトな夢に耽る少年は、ダッシュボードの上に身を乗り出し、フロントガラスに、それが結露してしまう程のむさ苦しい笑顔を映し込む。

 しかしながら――現実とは残酷なものである。

 打ち捨てるようにして車を飛び出し、猛ダッシュをかけた仁。校門を潜り、昇降口前の広場に、アイドリング状態のバスと整列している生徒達を発見し、安堵に顔をほころばせたのは一瞬間のことだった。焦る2本の脚が絡み合い、宙に投げ出された身体は、まるでイワシの群れを発見したマグロの如く、猛然と生徒の列へと突っ込んだ。担任は苦言を呈し、男子生徒は苦笑い、女子生徒は悲鳴を上げてスカートの裾を押さえ込む。無論、繊細な針のように集束していく彼の意識の先端は、周囲の雑魚でもなければ、痛む自身の手の平や膝小僧でもなく――ただ一人の脅威へと向けられた。

 愛する幼馴染、初恋の相手、焦がれる女――

 山野井千尋が――浜辺に打ち上げられた深海魚の腐乱死体を見るような目でもって、こちらを高々と見下ろしていた。


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