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ある少女の憂鬱とある男の苦労



佐久間有空という少女と佐久間海央という少年が、マンホールの穴から異世界へと渡ってから。

双子の内、弟は神の眷属たる巫女だとされ、姉はその守護者である騎士だとされた。

異世界召喚のセオリーに従って、常人であったはずの少女には、こちらの世界に適応する為に言語能力と身体能力の向上という能力が付与されたわけだが、例えるならそれは、何も知らぬ子どもに大工道具を一式与え、使用方法や製作方法を一切教えぬまま、木材で本棚でも何でも作成してみろといった状態。

極端な話だが、要はいくら才能があろうとも、その開花の切っ掛けがなければ意味がないということで、ただの女子高生にいきなり真剣を持たせ、上手く扱ってみろと言われても土台無理な話なのである。

有空は、小学生の頃から剣道を習っていた。近所にある道場に通い、毎日鍛錬をしていたのだ。

一つの武道を身につけるのは、かなりの労力や時間を要する。

普通は、剣道を習いながら他の武芸に浸る余裕などない。

だがしかし、彼女は剣の道を究めることに興味があったわけではなかったので、一週間の内に三つもの道場に通っていた。

すなわち、剣道、空手、合気道――それらは全て、ただ一人の大切な片割れのために身に付けたもの。

生まれ落ちた時をほぼ同じくする誰よりも身近な存在、双子の弟のために学んだものだった。

佐久間海央は、生まれた時から大変愛らしい子どもだった。勿論良く似た顔立ちの有空も一緒に、可愛い双子ちゃんと持て囃されたものだったが、海央の容姿以上に周囲を引きつける雰囲気は圧倒的で、しばしば厄介な出来事に遭遇した。近所の人々から妙に羨望の眼差しを頂くだけならまだしも、変質者に付き纏われること数知れず、誘拐されかけること両手では足らない程。

そんな弟を護ろうとするのは当然、片割れたる有空なわけで……大人に子どもが応戦するには自衛の力が必要だと、彼女は武道の門を叩いたわけだった。

余談だが、武道における有段者とは相手の力量をはかる上で目安となるものであり、周囲の評価にも直結するにも関わらず、有空は中々昇段審査を受けようとせず、大人達に懇願されて渋々受審したという過去がある。

その理由は、有段者となれば一般人よりもその力の行使に規制がかかるということにあった。彼女が武道に身を浸したそもそもの理由は、それを身を守る術とし、引いては弟を護る力とする為であったから、そのことに制限がなされれば不都合であったのだ。

けれどまあある程度の周囲への牽制も済ませたし、周りはうるさいし、何より海央が「受ければいいのにー」なんてのほほんとのたまった為に……結局は有段者になってしまったわけだった。

しかし、そんな彼女の武道の腕と、武器を持った騎士という役柄は隔たりがある。いくら剣道を習っていたといっても、竹刀や木刀と真剣では大違いだ。

だからこそ、弟の身を護る為に彼女は即座に使用できる武器と剣の師を必要とし――前者は幸運にも手に入れ、後者はほぼ強引に推し掛けた。

今でこそ有空の方が『巫女の騎士』の力から勝るとも劣らぬ実力を得てしまったが、彼女の師はこの世界でも有数の実力者。

この国リッカの次代を担う王太子、ルーゼリアスの第一護衛騎士にして乳兄弟たる、黒髪に赤い瞳の年若い青年――カイルアース・ライズフェルト。

その実力は騎士長とも肩を並べると言われているのだが、彼は何故かあまり表に出たがらないので、護衛騎士止まりだった。

現王佐を父に持っていることも影響しているのだろうが、王太子の御守はなかなかに疲れる様子。

カイルアースはよくよく、ため息を吐いているように思う。

佐久間有空からしてみれば、ある意味、こちらの世界で今まで接してきた人間の中で一番まともな性格をしており、生真面目かつお人好し。それ故に気苦労の絶えない人物だ。

いくら最初は拒んでいたし、渋々だったとはいえ、無理やり頼んで剣の稽古の相手になってくれたことからも、彼がいかに押しに弱く、人の頼みを無下にできない人間かは知れている。常識的ながらに非常識に慣れざるを得ない彼の環境は、彼女の立場とよく似ていた。

今ではもう、技量的な面では劣れど、超人的な力を与えられている有空はあっという間に剣の扱い方を覚えたので、両者の実力は伯仲しているか、有空が越えてしまっただろう。

けれども彼女にとって、カイルアースは短い間だったとはいえ師に違いなく、海央の次に近しく思える人間――相棒の少女は人間ではないので省く――だった。

友情のような敬愛を抱いているといっていい相手、それがカイルアースだ。

だからこそ、彼の顔を立てたことは何度かあったのだが――。



「…カイル。流石に、次は斬るから」

「…すまない」


はー、と嘆息する青年の手には、意識を失った彼の主の襟首が握られている。

普段ならば決してしない不敬だが、流石に愛想が尽きたのか、扱いが雑だった。

無理もない。

いくら乳兄弟とはいえ、いくら友人とはいえ、主とはいえ――二度も世界の至宝である巫女たる少年の寝室へ夜這いに行けば、いい加減嫌になるだろう。

見放す訳にもいかないので、放っておきたくても助けなければならない。

主の恥態に頭を悩ませながら、何故自分はこんなことをしているのかと内心で答えの出ない自問をしつつ、目が少しも笑っていない少女に頭を下げる。

王太子が望み、またカイルアース自ら志願して彼は休暇などほぼない、王太子の筆頭護衛騎士でありながら、騎士団の仕事もこなすという激務の只中で実直に働いているというのに、最近は変態な主人の尻拭いという嫌な役回りばかり回ってくるのだ。城の医務室によくよく頭痛やら胃痛やらの薬をもらいに行っている話は皆が知っていた。

もういいからさっさと連れて帰って、と口に出さずとも顔に書いている弟子にもう一度謝って、カイルアースは巫女の自室を後にした。

自分の姉と求婚者の攻防など知らずに無邪気に眠りこける巫女だけが、彼にとっても癒しだった。

それは、やや不敬だが、犬猫や綺麗な景色に心を和ませる感覚とよく似ているのだけれど――有空は何故かカイルアースも海央に気があるのだと勘違いしており、時々釘を刺される。見当違いだと誤解を解く機会は中々訪れない。

カイルアースは室内で愛でられのほほんとした幸せな子犬も好きだが、警戒した様子で吠え散らかしつつ、主人や認めた相手には懐く番犬の仔の方が好ましく感じる質だ。

今のところ、彼が有空に抱いているのは恋情ではないが、毎日毎日気を張って暮らしている彼女を気にかけていることは確かだった。


師匠の心、弟子知らず。

有空が逆に苦労人なカイルアースの身を案じており、特に将来禿げないかな……なんて失礼な心配までしていることを知ったら、彼は暫く立ち直れないだろう。


師匠のこと。恋愛フラグは今のとこ立ちそうで立ちません。彼らには恋愛してる余裕がありません。

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