ある少女の憂鬱と第四の男
わあああ、と歓声が沸き起こり、観客席から同時に花弁が降ってくる。
ふう、と息を吐き、剣を腰に収めた少女は、呼吸を整えると、上座に向かって優雅に一礼する。
そのあまりの凛々しさに見惚れた女性達が、ふらっと失神しかける。本人が知ったら、どれだけ繊細なんだ、というか女ですからと引き攣りそうな事実だったが、彼女はそれ程に『騎士』という言葉が相応しい様だった。
そして広い闘技場に、新たな人物が上がる。
地球で言うなれば爽やかな体育系、といった所だろうか。ただし、地球ではお目にかかれないような美形だが。
にっと不敵な笑みを浮かべ、炎のような赤い髪に朱色の瞳をした青年は、筋骨隆々というわけではないが、程良い鍛えられ方をした肉体を持っていた。
精悍な容貌をしながら、その戦闘センスは鬼才と謳われる。
「よお、邪魔娘。知ってるか? 今日お前に勝てた奴は、王から何でもひとつ願いを叶えてもらえるんだぜ」
ぴく、と少女の眉が跳ね上がる。
歪んだ唇から、地を這うような低い声が紡がれた。
「へえ…私に勝てるとでも?」
両者の背後にはまるで、猛々しい竜と虎がせめぎ合っているかのように不穏な空気が漂っている。稲妻が大地に落ちる幻聴が聞こえた者もいたとか、いなかったとか。
ただならぬ空気に青ざめつつも、気力で足を地面にしっかりとつけていた審判が開始の合図を出した時――両者は、目にも留まらぬ速さで剣を引き抜いていた。
青年の剣が剛であるとすれば、少女の剣は柔。前者を動とすれば後者は静。どちらもその腕は優れていた。否、技術的な面からすれば、まだまだ少女は青年には遠く及ばない。されど彼女には特筆すべき点がある。それは神の眷属より授かりし並々ならぬ身体能力と、偶然手に入れた銀の魔剣だ。
青年はただの騎士ではなく、魔術をも身に付けた魔術騎士と呼ばれる存在だった。通常、魔術には物理的攻撃は効かない。されどそんな常識を丸々と覆す存在が、宝物庫の片隅で忘れられていた経歴を持つ、その魔剣。
神速の剣技が魔術の炎と共に繰り出された時、少女は迷わず自身の剣でそれを避けた。真っ向からぶつかるのではなく、勢いを殺すように薙いだのだ。ただの剣であれば一瞬にして砕け散る所を刃こぼれ一つなく、少女の愛剣はきらりと銀色の光を弾く。次いで、返し様に青年の胴を薙ぎ払おうとして、反転して避けられ、炎の球が投げつけられた。それを難なく、魔剣は叩き斬る。
思わず、観客は手に汗を握る程に、青年と少女は一歩も引かぬ戦いをしていた。様々な要因が絡み合って伯仲している力。徐々に徐々に互いの体力を削り合い、浅い傷から深い傷まで刻み合う彼らの戦いが終わりを迎えたのは、日が沈みかけてから。
時間にして五時間が経過しようというのに一向に決着がつかなかったこともあり、王が止めるよう命じ、彼らの試合――いや、最早死合いに近い雰囲気があった――は引き分けという、当人達にとっては納得のいかない結果に終わり、褒美は山分け、何でもというわけではなく、二人とも、ささやかな願い事だけをひとつ叶えてもらえることになった。
そこで青年が願い出たのは、少女が眉間の皺を深くしつつも渋々受け入れざるを得ないもの、少女が望んだのは、青年を含む数人が苦々しい思いを抱きつつ承諾せざるを得ないものだった。
「ミオ! 新しい菓子を作ってきたんだ、食べてくれるか?」
「わあ! おいしそう、食べるー!!」
差し出された、バスケット一杯の甘い匂いの漂う焼き菓子に、海央は瞳を輝かせた。その愛らしさに青年は相好を崩し、一口で食べるには大きい菓子を割ってやる。
「今日は中にリツァの実を甘く煮て詰めてみたんだ、好きだっただろ?」
「うわあ、本当!? うん、すごく好き!!」
口に入れるのが待ちきれない様子で、飴色のジャムを一心に見つめる可憐な少年。その熱意が自分に向けられたらと想像するだけで胸が熱くなる思いをしながら、青年はにこやかに笑って手すがら菓子を与えた。
リツァというのは地球でいう林檎に瓜二つの果実だ。名前が違うだけでほとんど同じものだろうと佐久間姉弟は考えている。この世界の食べ物は、驚く程地球のものによく似ている。生態系が近いのだろう。
佐久間海央は、基本的に何でも食べる。中でも甘いものが好きで、日本にいた頃は近所にあった洋菓子店のアップルパイが大好物だった。
目の前にいる青年は、あの店のものよりも美味しい菓子を作って、いつも差し入れしてくれる。それは彼にとってとても喜ばしいことだった。
巫女である少年の中には、美味しいものをくれる人、イコールいい人、という方程式がある。お陰で、変質者に飴をもらってついて行きかけて、幼い頃から姉が何度苦労したことか。
あーん、と差し出された菓子にかぶりつき、海央は心底幸せそうな笑みを浮かべた。
「おいしい!!」
口の中で広がる甘い感覚にうっとりし、頬がとろけそうだった。
そんな様子を見て、青年は思わず手を伸ばして少年に触れかけ――ばちん、と不可視の壁に弾かれた。
「御触りは厳禁だぞ、騎士殿」
どこぞの怪しい店かと言いたくなるような台詞をのんびりとのたまい、空中をだらけた姿勢でぷかぷかと浮かぶ、ゴスロリ少女。
全身からやる気の無さがにじみ出ているが、彼女は仕事をきちんと全うしていた。
「少しぐらいいいだろうに」
「約束を違えるとアリスが烈火のごとく怒り狂うからの」
ち、と軽く舌打ちをする青年に、ゆったりと白銀の髪の少女は答える。
その言葉を聞いて、菓子を頬張りながらも、海央は心配そうに首を傾げた。
「アリア、あーちゃん大丈夫かなあ…」
「心配はいらぬよミオ。アリスは久方ぶりに十分な休みを得て眠っておる。約束の期日までは何があろうと起きぬだろう」
普通、人間というものは寝溜めというものはできないはずなのだが、現在ある少女は、冬眠中の動物のように深い眠りに就いており、ここ二日一秒たりとも目覚めていない。
「まあ、いないだけ邪魔が入らないか…」
海央に聞こえない大きさでぼそりとそう呟いて、青年は明るく微笑むと、触れるか触れないかという距離に詰め寄り、甘く囁いた。
「なあ、海央。好きだ。俺と一緒に暮したら、毎日好きな菓子を食べさせてやるぜ?」
堂々と口説いている。まさに直球。有空に『オープンな変態』と言われるその青年の名は、レンスロット・アリオン。
燃えるような赤い髪に朱色の瞳の精悍な美貌を持った人物で、海央の四人目の求婚者。世界でも一二を競うと謳われる剣の腕を持つ、多くの武勲を上げてきた鬼才でありながら、趣味はお菓子作りという外見に反した所もある青年で、有空と何かと剣でぶつかりあう仇敵。この国の騎士団を纏める騎士長という職に就いている。
情熱的に巫女を口説く様は、使用人達も赤面して視線を逸らす程熱心なのだが、いつでものほほーんとお花畑の中のような自分の世界を持つ海央は、にこにこ笑うだけ。
「うん、俺も好きだよ。レンもリオルもライルもルーも、勿論、アリアとあーちゃんも皆好き」
一緒に暮らすって、レンも離宮に住むの? と、海央は首を傾げる。毎日会ってるしすぐ側に住んでいるのだから、わざわざ越してこなくてもいいんじゃないかなあ、と。
ややレンスロットを不憫に思う程に天然すぎる海央に、アリアは笑いをかみ殺した。
どう考えても恋愛の「好き」「愛してる」で口説いているのに、海央ときたら恋愛感情をどこかに落としてきたのか、周囲の人間の愛情は友情・家族愛のような感情だとしか思っていない。確かに流されやすいために、既成事実を作られたら一貫の終わりかもしれないが、手を出せない状況では、四人の求婚者は皆、海央との仲を深められることはないだろう。
『聖女祭』という、巫女を称える祭りが終わって、二日が経った。初めて全ての国民の前に姿を見せた海央はその笑顔で皆を虜にし、絶大な人気を集めた。
そして、巫女に剣を捧げた騎士、有空の戦いはトーナメントで勝ち上がってきた者五名を叩きのめし、更に騎士長と剣を交えるという役割があった。
絶対的な力を見せつけ、不穏な考えの輩を牽制する意味もあるその剣術大会は、騎士長と巫女の騎士の引き分けという結果に終わり、人々を大いに楽しませた。二人に与えられたささやかな望みを叶える権利という褒美を行使した結果が、今。
レンスロットは、海央を独占する日を一日。有空は、何も心配せずに休息を取れる日を三日。ついでに言うと、誰にも海央に指一本触れさせないことを約束に盛り込み、アリアを護衛として付けるという徹底ぶりで、有空は現在、死んだように眠っている。
二人の褒美には差があるかもしれないが、元々、有空はこの世界に来てからほとんど、休む時間がなかった。自国の民のせいであまり巫女の騎士をこき使うと神から天罰が下るかもしれないという配慮と、自分だけ抜け駆けをしてという残る三人の男達の非難があって、レンスロットは一日だけ、という期間限定がついたのだ。
今日がその、海央を独占できる日。ただしオマケの護衛魔人つき。
空振りしているが、口説くのはやめない。
二人の時間を楽しみながら、一日は瞬く間に過ぎていった。
あの女の邪魔が入らないっていいな、とレンスロットは至福の時を過ごしたが、それから数日後、再び少女との攻防は再開され、よくよくこの日のことを思い出すことが多くなるのだった。
ちなみに有空は休息中、深い眠りについていたにも関わらず、男達が海央にちょっかいをかけようとする度に、ぴくりと眉間に皺を寄せていたという。
四人目出ました。さて求婚者の順番はやっと終わりだ!このあとはのんびりいきます。もういつ終わってもいいんじゃないだろうか。山も落ちもなさそうな…。