ある少女の憂鬱とはじまり
ある少女の憂鬱と戦い、という短編から派生し、連作にすることにしました。
あちらを踏まえなくても読めるようにまとめていきたいと思います。当作品は一方通行という微妙な意味でのBLを含みますのでご注意ください。
むかしむかし、ある所に、神様に愛された一つの魂がありました。
神様の眷属であるその魂は、穢れのない白い光のように美しい巫女でした。
ある時、神様は自身がお創りになられた世界が、人々の争いによって荒れていくのを悲しみ、巫女に一つのお役目を与えることにしました。
「そなたに一つの加護と、一つの役目を与えましょう。これからそなたは大地を廻り、その優しい光で、世界に幸福の種を落として回るのですよ」
神様は巫女をとても愛しんでいましたが、ずっと見守ってきた世界のことも大切に慈しんでいらっしゃったので、一番適任だと思われる巫女にその役目を頼んだのでした。
それは悩んだ末のことでした。
何しろ巫女は、純粋すぎて、身を護る術すら持ちません。ですから、何があっても大丈夫なようにと、神様はその身を護るための騎士を作る力を与えることにしたのです。
神様の言葉に巫女が素直にこっくりと頷いた時、神様はその巫女を優しく撫でて、加護を与えました。
そしてその時より、神様の眷属たる巫女は、人の世に生まれることになったのでした。
「……ようやく読めるようになってきた…」
はあ、と小さな溜め息を吐いた少女は、手にしていた子ども向けの本をぱたりと閉じて、傍らにいた存在にちらりと目を向けた。
「んー?あーちゃん、読み終わった?」
にこにこと微笑む顔は天使のよう。
口の周りに焼き菓子の食べ滓をたくさんつけたままの片割れは、大変愛らしいのだけれど、いつまでも子どもっぽい所が抜けないなと少女は苦笑した。
椅子から立ち上がると、高い位置で結いあげた黒髪が揺れる。
給仕していた侍女よりも先に、控えてあった布で口元を拭ってやった。
「海央、もう少し綺麗に食べなさいね」
「あ、ついてた?ありがとうあーちゃん」
お小言も、えへへと笑ってすまされる。
可愛いからついつい許してしまうけれど、本当は自分が一番この双子の半身には厳しく接しなくてはならないのだろうなと、最近頓に思う。
海央には、この所甘やかす相手が増えてきた。
今だって――射殺さんばかりの嫉妬の視線が、少女の背にぐさぐさと突き刺さっている。
「アリス様もいかがですか?」
侍女に問われ、少女――有空は首を横に振った。
「私はいりません。さっきお昼を頂いたばかりだし、正直海央を見てたらお腹一杯になって」
あの細い身体のどこに入るのだろうか、と生まれてこの方疑問に思ってきたことを再び考えて、有空は海央を見た。
まだお菓子を食べている。
海央は食べることと眠ることが大好きで、それ以外のことに関しては赤子のように無垢だ。
恐らく、おいしいものを食べている時と眠っている時が、一番いい笑顔をしている。
さらさらの黒髪を撫でてやると、不思議そうに海央は首を傾げた。
こういう、小動物的な仕草も実に可愛いと思う。
ふふん、と優越を感じて四対の瞳に見せつけるようにしていると、殺気が増した気がした。
――いいでしょう。でもそう簡単には、大事な大事な片割れを、野獣の群れになど放り込むものですか。
高級そうな菓子がいくつも海央の腹に納まっていく様を見ながら、有空はふと、事のはじまりの日を思い出していた。
あの日は、朝からなかなか海央が起きず、高校に遅刻寸前だったために、いつもは使わない近道を通って走っていたのだった。
あと十分、と腕時計を見て気持ちばかりが急く中、海央のあれ?という気の抜けた声がしたかと思えば、隣で地面に吸い込まれていく姿が見えた。
古びたマンホールの蓋が開いていて、その中に海央は落ちたのである。
血相を変えて上着の端を掴んだはいいが、それで助けられるはずもなく――有空は、海央と共に丸い穴の中に落ちて行った。
怪我するとか下水臭くなるとか思いつつ、思わず目を閉じていたが、やけに落下時間が長い。目を開いて見ると、暗い暗い闇の中、真下の方に、淡い光が見えた。
下水じゃないと思った時には時遅く、双子はその光に落ちていき――気がつけば、全く見知らぬ場所にいた。
幸いだったのは、気付けば床に座っていたので、怪我がなかったことか。
高い天井、豪華な装飾。煌びやかで豪奢な広々としたそのホールには、たくさんの人がいた。
……そして、たくさんのご馳走が並んでいた。
あまりのことに呆然として固まっていた有空の隣で、おいしそうと目を輝かせた海央は、ふにゃりと相好を崩し、無垢で美しい、万人を魅了する満面の笑みを浮かべ。
――その瞬間、有空は、周囲の人々が天使の矢に胸を射抜かれた音を聴いたような気がした。
そうして人々のざわめきの中、いつの間にか場所を移して連れて行かれた応接間で、見たことも無いほどに綺麗な人々に双子は囲まれることになった。
「あなたは巫女です」と、指を差されたのは海央。
さらさらの黒髪にくりっとした大きな黒い瞳。幼い頃から天使のように可愛いと評判だった、私の双子の弟だった。
何だこの展開はとぼけっとしていたら、四人の青年が跪いて、いきなり――海央の手を取り、口づけた。
それを見た瞬間、私の思考停止していた脳は活動を再開し、瞬時に動き、海央を背後に隔離していた。
人の弟に何してくれるんじゃ、というわけである。
小さい頃から、純真無垢で人を疑うことを知らず、すぐに迷子になったり誘拐されかけたりしていた弟を護ってきたのは私だ。
同じような顔の造りをしているのに、女の私よりも妙な色香のある海央は、同性にもよくもてていた。
対して私は、やや釣り上がった目のせいか、物心ついた頃から剣道をしていたせいか、凛々しいだの格好良いだの言われ続け、これまた同性に人気だった。
性別が反対だったらよかったのにねとは、何度も言われたことだ。
とにかく――ぽやんとしてる海央は、放っておいたら狼の餌食になってしまう。そんな勘が働いて、私は海央の前に立ちはだかったのだった。
思えばその時四人と散らした視線の火花が、私の戦いのはじまりだったのだろう。
こぞって海央の結婚相手として名乗りを上げたのは、この国の王太子であるルーゼリアス・リヒトヴァイン・ゼクス。銀の髪に海色の瞳の優しげな美貌の才気あふれる次代の王と。
この国一の天才と名高い宰相、ライルディーン・サイラス。金の髪と藍色の瞳を持った怜悧な印象を与える美しい容姿の無表情の青年に。
人の身でありながら精霊を使わずに魔術を扱えることから、魔法使いと称された異能者、青銀の髪に紫の瞳の人形じみた美青年であるリオルキーツ・エルノーヴァ。
そして、世界でも一二を競うと謳われる剣の腕を持つ、多くの武勲を上げてきた鬼才、赤い髪に朱色の瞳をした精悍で端正な顔立ちをした人目を引く容貌のレンスロット・アリオンの、四人。
対する私の名は、佐久間有空。
ほんの少し前まで地球の日本で、ただの女子高生をやっていた十六歳。
現在、巫女という役目を負った双子の弟、海央を護る騎士として働いている。
マンホールから異世界召喚。
女子高生。
巫女。
騎士。
美形。
ここまで符号が揃えば、ある種の流行りに則り、一般的な王道展開のはずが――――何か違う。
何故自分は異世界に来てまで、弟の貞操を護っているのだろうかと、疑問に思いながら。
今日も私は騎士として、奴らとの攻防を繰り返しているのだった。
王道展開なはずなのに何か違う。
首を傾げて悩む主人公が書きたくて出来た話です。
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