社会的な人間
人間皆誰しもが、誰にも嫌われぬまま独自の自我同一性を持ち得た幸福な時代を終え、皆が社会的な人間にならざるを得ない時代が到来すると、私などは、やはりそうならざるを得ないというような心持ちを常に持ち続けねばならなかった。私はそういった心持ちを嫌悪し、反発したいというジレンマを長年に渡り抱き続けた。しかし、小中の義務教育を終え高校に入学したとて、私はやはりそれを実行に移すことはなかった。悲しいことに、私は世間の目から逸脱できぬ精神の構造を、生まれながらにして持ち合わせていた。そうして私は大学に入学し彼と出会った。
私が彼と出会ったのは大学に入学した年の九月である。大学のボランティア団体に遅れて入部した私と彼は、成り行きを自然に友達となり、即座にその交遊を深めていった。我々は日々の授業を共にし、活動を共にし、人生における最も愉楽的な時間を共有した。それは、我々が共に「遅れた人間」であったからかもしれない。お互いがボランティア団体へ四月に籍を置き始めていれば、我々が時間を共にすることなどは、恐らくなかったであろう。
彼はそのような人間だった。彼は実に大胆不敵で傲慢で、そして例に漏れぬように、やはり自由奔放でもあった。彼はいつも思いのままに行動した。彼は自身の行為が常に正しいものであると信じており、周囲も彼の行為を是正しようと試む者が不在であったために、彼はいつも自身の行為を、絶対的な英雄のように信頼しそれを持続していた。
しかしそれは不幸なことでもあった。彼の瞳にはいつも他者が不在であり、論外であり、恐らく私とて不在であり論外であったと見える。彼は常に、自身の存在のみが肉体の中心に顕在しており、肉体のみが精神であるという自己を、積極的に否定しなかったと見える。その自らの在処を、他者を論考せず自らの存在のみに求める在り方は、彼が、外界を全くもって認識できぬ単細胞であったということの証明には成り得ぬが、少なくとも日々付き添った私の存在とて石ころ一つと変わらぬというその精神の-謂わば肉体の-在り方というのは、少なからず私を悲しませるものであった。事実私は自分勝手で好き嫌いの分かれやすい彼のことを、決して突き放さず、いつも見守り諭すように接してきたつもりであったのだ。ところが彼は、私を電子機器と幾分も変わらぬもの、情緒を持たぬモノと認識していた。そこには外層に顕れぬ大きな断層が生じていた。
この、私と彼との認識に横たわる、あまりにも明瞭な差異は、性格や生まれ、環境に委ねてしまえば容易であるのに、その投げやりな委任の仕方は、やはり私をして納得し兼ねる手法なのである。それはやはり私にも、彼との思い出に幾らか私自身の後悔を見出だすことに起因するのかもしれぬ。私にも非はあるのかもしれない。
しかし彼はやはり不幸だった。明確な他者が不在であるというただそのことにおいて、とりわけ不幸な人間であった。彼が心を通わせることのできた人間は、恐らくそこにはいなかった。
恐らく私は彼の名を呼ぶことはない。この中でも名前を書き起こすことは決してない。私には彼の行動や言動、その表情一つ思い出すだけでも、名前など不在にして彼を彼として扱う特異性が認められる。この世でただ一人しか持ち得ぬ特異性を与えられる。無論その特異性は正の方面にも、負の方面にも向かっては行かぬ、中間の特異性ではあるが、異質が必ずしもどちらかに振り切れている必要は恐らくない。彼は振り切れた人間であったが、彼の存在を是非の一言で表してしまうことには、私とて幾らかの躊躇を伴うのはやはり確かなのである。
故に私の語りは抑制され、充分に制御されたもとで進行するのかもしれない。
秋口の異質な光のみなぎる大学講内の食堂で、私と彼は奇妙な熱のこもる議論を交わしていた。議論は教育に関することであった。尤も、それは共々教育学部に所属する我々の、ある種の専門領域であったのかも知れぬが、殊その議論に関してはボランティア団体に関することであった。彼はここのボランティア活動は明らかにおかしいと言うのである。
しかし私にはおかしい箇所など見当たらなかった。各々が恵まれぬ子どもを支援しようと躍起になり、自腹を削ってまで支援の費用を負担する気概まで散見された。私には彼らがキラキラと輝いて見え、私は自発的な行動を起こせぬ自らの不甲斐なさに悩むまでだった。
しかし彼はその若々しく、輝かしい学生を、全面的に否定してしまうのである。彼の言い分はこうだった。
「俺はあいつらの行動はクソだと思うね。あいつら自分をよく見せるために狭い枠の中でせっせと働いてるだけなんだよ。子どもたちとか、恵まれないとか、そういうのは一番感傷を誘いやすく入り込みやすい一つの媒体であるに過ぎなくて、結局は自分を良くみせたいだけなんだよ。自分のやってることがかわいい、自分のやってることを評価されたい。そんなことのためだけに自分の金まで賭けるようなやつらは、気持ち悪すぎて顔も見たくないよ。少なくとも俺は顔も見たくない」
私には彼の言い分がよくわからなかった。しかし私は大学に入学してからというもの、あまり多くの人間に出会うほど社交的ではなかったが、できるだけあらゆる人間の価値観を尊重するよう努めてきたのだ。故に彼の言い分にも全否定は示さなかったが、そのような意志を私が持たなければ、少なくとも私は彼の意見に喰ってかかり、至極くだらぬ口喧嘩を誘発するに至ったやもしれぬ。
「そんなことないと思うけどなあ……、あの人たちはあの人たちで、何か目的があってやってると思うけどなぁ」
私は否定的な態度を示した。すると彼は再び語り始める。恐らく彼には、私という存在が見えていない。恐らく見えているとしたらそれは私ではない何かである。彼の意見を決して肯定せぬ、彼にとっての体内の異物のような何かだろう。その異物を取り除くための作業に、他人の情緒などは一切の関与を保てぬ。彼は私の反応など見てはいないのだ。彼の純粋な-恐らく純粋な-眼差しからは、私という存在の理性を濾過して、彼に追随するイエスマンの陰影のみを濾しとるのだ。そして彼はいっそう語りたてる。するとやはりそこに私はいない。そこにいるのは私の世界のみにおける私という存在なのだ。彼の世界から私は永久に消失する。故に熱い議論はすぐさま鎮火してしまう。もはや私に残るのは些かの冷たい自己嫌悪のみである。
「あいつらは、マジでキモいよ。私のお陰で学校に通える子どもたち、私のお陰で楽しそうに遊べる子どもたち、私のお陰で文字の書ける子どもたち、私のお陰で農作業をせずに済む子どもたち、私のお陰で世界に華を添えられる子どもたち、私のお陰で父親を尊敬できる子どもたち、私のお陰で呼吸のできてる子どもたち、こいつら全部が自分のアクセサリーだよ。チャラチャラと正当化される華美なアクセサリーを身に付けて手に入れる、世間的に真っ当な職。就職活動での、鋭利すぎるがその実使い古されて凡庸な武器。そんなもん俺はいらないね、てめえのことはてめえで勝負しろって話だよ。『大学ではボランティア団体に所属しており、アフリカの恵まれない子ども達を支援するための様々な活動をしておりました。その活動を通して、自分達が如何に恵まれた環境にあるかを知り、一層貧困に苦しむ子ども達を救いたいという想いが強まりました』恵まれてないのは誰の頭なんだか。所詮武具屋は本物を売っちゃくれねえって」
この言葉には、私の同意が彼の意見にいかばかりかの傘をさした。確かにその通りであった。己の内面にかまけて、同情の集めやすい他者を救ったかのようなフリをする、小賢しい大学生の就職活動を想像することは吐き気の副次要因を促した。しかし主要因はやはり彼なのである。彼は己の力のみで橋を渡り家を建て、王国を建設する夢を独力で叶えられると信じて疑わぬかもしれないが、その他者を考慮しない、至極独り善がりな思考それこそが、他者を頼るという事象それ自体に帰着するのである。他者は彼のわがままを繕うため彼の責任を肩代わりする。この責任こそが、彼の気付かぬうちに他者が成し遂げる、彼に対する一つの達成なのだ。彼の独善行為に、伝染病との明瞭な差異など見つけ出すことができるだろうか?
彼はその思考を無視して独りよがりな語りを続けた。私には、もう彼に注意を喚起する気力が残っていなかった。故に私は彼の長々とした語りのパフォーマンスに耳を傾けていた。適度な相槌を打ちながら。しかしこの相槌を打つという行為には、彼の生き方に対する私の幾分かの嫉妬が内在していた。「彼のように生きることが出来れば、人生とは、如何に楽なものであろうか?彼のように自分のことだけを考え、自分の正義のみを貫いて生きることが出来れば、人生とは、如何に享楽的なものであろうか?」しかしそのような生き方は、計らずも理性を持って生まれた「人間」とは呼べぬという固定の観念が、いつも私の表面に露出する可能性の孕む嫉妬を、憧れを、制止させるのであった。
そうして余暇時間が足早に駆け去っていった。我々は食堂を出て、講義棟へ続く表の道を並んで歩いた。当時の我々の唯一の空きコマは、「教育心理学」を受講する前の時間、一時間半であった。その暇を埋めるため、当時の我々はこのように下世話な会話に終始していたのである。それは学生という若く逞しい時代にあって、素晴らしいまでの汚点であり、しかし学生でなければ出来ないような会話でもあってある種の美点であった。故に後悔などは微塵もない。……しかしながらあの時間に、私の意見に少しでも正当な耳を貸してくれる仲間の存在したら、このように筆を執ることなどは恐らくなかったであろう。私はそのように大学一年生を過ごしたのである。少なくともその月日は、私の性格の変容する後天的な一要因として、私に降り注いだ。
この秋の日は、特に、何か衝撃的な出来事があったわけでもないのに、私の記憶に克明に刻み込まれている。恐らく体験とは、言語に通ずることが出来ぬ可能性を半分ほど孕んだ有機体である。私が言葉に直せぬものなど、恐らくはこれくらい厄介な体験にしか存在しないはずである。
そうして半年が経った。二年生になるとボランティア団体は新入生を迎え、我々二人にも直属と言ってよい後輩ができた。ここでは仮にAとする。Aは我々と適切な距離をとるのが実に巧妙であった。彼の自分勝手な行動、言動をおもしろおかしくすることが出来、私が彼を弄る際にも、決して場の落ち込まぬ雰囲気を演出した。Aは先輩に対する適切な反応を知っていたと見える。人を見る見識眼が備わっていた。Aと彼とのやりとりなどはその最たるものであったと言えるかもしれない。無論そこに普遍的な壁は存在したが、ともかくも我々三人は一団を形成した。
とある夏の日のことが思い出される。その頃、我々三人は一つのプロジェクトに着手していた。日本にいる孤児を支援して、実際に我々の大学にまで足を運んでもらい大学周辺を案内するというその立案は、決して無益でつまらぬ代物ではなかった。それは確かに一つの意味を所有しているように思われた。故に私は諸手を挙げて賛成した。それは私の心からくる純粋な気持ちだった。満たされて生きてきた者の単純な哀愁の気持ちだったかも知れぬ。しかし彼とAの為す賛成に関しては、私のものとは一線を画した。彼は実際に孤児を見てみたいのだと言った。愛されずに育ったもの、真に人の温もりを知らぬもの、そしてその親など、生の声を聞きたいのだと言った。
「俺は最終的にそういう親を殺すんだ。殺し方に関してはいま検討してる」としばしば彼は言った。
彼ならば、本当にそういう人間を殺しかねないと思われた。無論物理的な手法で。しかしどうして彼がそれらの人間を殺したいのかはわからなかった。可哀想な子どもたちの復讐を果たすというような、目に見えた情劇を演出する作家には彼は程遠かった。とすると、恐らく彼の周囲も同様の性質を伴っていたのだ。恐らく彼の幼少期は、随分と荒れた環境のもとで過ごされたものと見えた。そうであれば、彼の攻撃的で、独りよがりな、しかし不思議な魅力を含蓄したその性格にも、私は概ね納得がいくのであった。
Aは実際に教育の現場を志す者として、幅広い境遇の生徒を導かねばならぬ立場として、孤児の子どもたちと触れ合い、自らの思う所を探りたいのだと言った。確かにAの性格からすればそうだった。Aは人一倍思いやりがあり、責任感が強かった。孤児の子どもを救いたいという一つの信念と、将来的に教育現場を動かすのだという今後の思考がAにはあった。
しかしそれも私にはよくわからなかった。大学という生温く、どこまでも自己を慰安しうる環境に浸って、どうしてそこまで熱心な意志を働かせられるのかが、私にはあまりわからなかった。私は教員になりたいとも思っていなかった。これは異常な思考であったかもしれない。しかしながら教育の学問というものは、教員になる者でなければ学んではいけぬというものでもあるまい。私は教員を志さずとも、将来いくらかの子どもの親になるであろう立場から、教育の根本を学びたいと考えていたのだ。そして大学を卒業すると私は普通の会社員になり、一般的な労働をする予定であった。
社会の人間にならねばならぬという漠然とした感情が私にはあった。それはこれまでの学生生活の経験則から、歳を重ねるほどに教員の幼稚な性格は高まってゆくという、私なりの精緻な分析がもたらした漠とした感情であった。社会に属さねば人として後退するのではないかという疑念が私にはあった。無論、私であれば例外に属するであろうという予感はあったが、それら子どもの性格を備えた情けない大人集団に属してしまえば、私の冷静な思考もまた徐々に迎合し、荒廃してしまうのではないかという予感もあったのだ。故に私は教員を志さぬということを、誰に言わずとも心の中で確定させていた。Aはまさにその真反対を行っていたというわけである。
我々三人のグループは、それぞれが正反対の方角を向いていたが、何かの拍子で磁場が狂ってしまい、その狂った結果を修正せぬままに皆が同じ方角を計らずも向いてしまったというような、異質の集団に思われた。
しかしそのような集団の居心地は案外に良好であった。私は様々な人間がいることを認めたかったし、Aもそのように感じていたであろう。彼が複雑な思考を持ち得ぬことも幸いした。我々が本格的に衝突してしまうことはほとんどなかった。この三人が一つの派閥をつくるのも、また数奇な運命であると思われた。
そうして我々のプロジェクトがトントン拍子で進行した。彼が中心となり礎を築き、私とAがそれを懸命に補佐するという形式で進むプロジェクトの具体的な作成は、かなり堂にいった雰囲気を演出した。私は圧倒的な力を持った四番でエースが君臨するチームの五番打者といった心持ちで、何か高尚な自尊心を持ちつつも仲間を敬愛する幸福者を模倣した。そしてそれは極めて自然な模倣であった。そこからは邪な感情の一切が排斥されていた。このように純な感情を持って作業に当たり、青春の一ページを作成することの安堵と愉悦と幸福感は、無論私に負の側面の一切を顧みぬ成金の精神を植え付けた。当時の私は憂鬱の気持ちを知らなかった。しかし憂鬱の気持ちの一切を忘却し、英雄でないものが英雄の側近を務めることでその感覚を獲得することは、いずれその人間を奈落の底にまで突き落とす未来の透視図を提示するのだ。これはむしろ普遍的な事実でありながら、同時に時代の背景がこの性質をより強めてもいるのである。故に私は、後に手痛いしっぺ返しを食らうことを余儀なくされた。
そして我々はプロジェクト作成の通り一辺を問題なく終えた。
翌日、我々は意気揚々と、プロジェクトをボランティア団体のリーダーに持ち掛けた。松下というその男もまた、彼同様に相当な自信家であった。ボランティア団体の伝統を継続したままに、組織を運営し、自分なりの改革を加えながらその人員を増やしていった。我々もまた風の噂を聞きつけ参加した部員の、一員であったというわけである。
ボランティア団体の幹部が使用する部屋は随分と華美であった。恐らくそれは、松下が自費を叩いて購入した数々の高級な代物の、相容れぬが個別の風格を醸し出した結果故の低俗な高級感であった。それらは全てが反発しあって、仕方なしに、一つの空間を造り出しているように思われた。
松下は大きなデスクに肘をつき、難解さを漂わせる資料群と対峙していた。恐らくその資料群は、我々同様に企画を持ち込んだ本学生の、塵芥の一角を為すであろう悲愴な紙切れに過ぎぬように思われた。我々の莫大なる自信が、何一つ文字の見えぬ資料群をゴミの紙切れにした。
松下は我々の存在を認めると、目で合図し、我々に我々の企画資料を届けるよう指示した。私は緊張からくる身体の震えに脅かされながらそれを提出した。……
「具体的な思考を得られなければ、君らの立案を是認するわけにはいかないな」
松下は静かに、大物の雰囲気を過剰な冷房に乗せながら、唐突に我々へと語り始めた。資料を渡していくらも経たぬ内の出来事であった。私とAは多少萎縮し、軽く下方を向いた。しかし彼はやはり松下に喰ってかかった。ただしこれは私の想定内である。
「具体的な思考というのは?」
だが彼のこの口ぶりは、明らかに松下を煽っているのだ。後に彼に尋ねても、彼は至極平凡に疑問を呈しただけだと語ったが、少なくとも私やAのような一般の凡人には、その言い方が、極めて不調和な出来事を演出する前触れの、戦争を勃発させるための最初の手榴弾であると思われるのだ。彼は無意識に引き金を引いてからその手榴弾を投げつける。その無意識は、高等に洗脳された昔の軍隊のような統率の良さを、そして自由な風潮を漂わせる現代においては、些か気持ちの悪いものと思われる無意識を思わせた。私とAは一歩身を引いた、衝突は避けたかった。この男、松下と妙ないさかいを起こしたとなれば、この団体における我々の地位などは覚束ない。それはほとんど除名されたも同然の地位を授かることに違いなかった。いまや具体的立案の有無などは二の次だった。
私とAは彼を牽制せんとばかりの睨みの一瞥を投げたが、彼は松下へ鋭い眼差しを向けており、松下もまた私とAに無関心といった様子で、彼と険しい目付きで向かい合っていた。私はいかばかりかの悔しさを覚えた。
「君らがどうして孤児を支援したいのか、どうして孤児をここに呼ばなければいけないのか、そして孤児を支援してここに呼びつけることが本当に子どもたちにとっての幸せなのか。孤児はその子たちだけじゃない。特定の子どもたちを呼んでまで、贔屓してまで君たちとその子たちが得られるものとを明確にしなければ、僕は君らの立案した企画を容認するわけにはいかない」
松下の言い分は確かりの的を得ていた。やはり人の上に立つ人間というのは、こういう性格を備えているのだろうと思われた。それは自己の身分を危うくする勢力を抹殺し、確立された知識をもって安定的な人物を率い、自らを確実に中心に置くことのできる派閥のみを利用し、のし上がってゆくことができる冷酷さである。私は指導者的性格を備えた人物を初めて目の当たりにし、何か日本の縮図に自己が取り込まれてしまったような矮小さと、国家に取り込まれる自己を誇らしくも思う矛盾に板挟みにされることを余儀なくされた。Aもまたそのような感情の内に沈んでいるであろうと思われた。我々は抵抗の術から果てしなく遠ざかる群衆に過ぎなかった。しかし、どうもこういう松下のような人間の立場を本質的に危うくさせられるのは、彼のように横暴で向こう見ずなある種の天才、天才的に周りを見ることのできぬが少し知能の高い弁論屋であるように思われた。
事実彼は以下のように抗弁したのである。
「なら、どうして松下さんは、こんなボランティア団体のリーダーなんかやってるんですか?ここにいる人は皆、多かれ少なかれ、一つの思いを共有しているように思いますよ。大体一つの善な行為を起こそうと立ち上がったら、その善が施しうる対象全部を平等に施さなければいけない、なんてわけでもないでしょうに。その子たちだって、僕らが大学を案内したり、様々な支援をしてる人間が目の前に展開されれば、荒れ果てた精神状態だって、少しは解放に向かうかもしれませんよ?」
私とAは黙って、彼の際立つ弁論を眺めていた。それは極めて巧妙で、私とAは極めて魅了された。これこそが、彼の持った唯一の善良な点であったのかも知れぬ。敵に回すと恐いが、仲間内にいる時は最も頼れる存在、それが彼という男だったのである。
松下は驚いてはいるが、しかし狼狽はせぬという頑強な意志を持ってでもいるような顔付きで、我々に一つの提案を為した。
「了解。じゃあ詳細な企画書を明日までに持ってきてくれ。今の時期は、ただでさえ学祭シーズンで忙しいんだ。今期までにその企画を実現させたいと言うなら、せめてそのぐらいの気概は見せてくれ。これは決して理不尽な要求の類いではない」
「ええ、わかりました。明日までにはここに持ってきます」と彼は言った。
我々は逃げるようにボランティア団体の本部を後にした。私は不安に捉えられ、そんな大口を叩いて大丈夫かと、彼を半ば叱責した。しかし「あそこでNOの返事はないだろ」という彼の言葉には説得力があった。確かにあそこでNOと言えば、あの企画と我々の存在はお蔵入りだったに違いない。こういう時、我々一団は彼の大胆不敵さによって救済を得るのだった。
そして翌日、我々は完成させた詳細な、極めて詳細で文句の付けようもない企画書を持って本部に乗り込んだ。あらゆる理不尽さを想定し作り込まれな企画書は芸術品を思わせた。松下はついに狼狽した。我々は歓喜のような勝利の余韻に浸った。しかし松下のその狼狽は瞬間的、本能的なものであり、ともすると松下は理性に沿って根本的な問題を掘り起こしてくるのである。
「君達の情熱は認めよう。無理難題を成し遂げる粘り強さは認めよう。しかし子どもたちをこのように扱うことは良いことじゃない。子どもは見世物じゃない。君の言うように、もしかすると子どもたちは新たな物事の発見に目を輝かせるかもしれない。荒れ果てた精神状態も改善に向かうかもしれない。しかし僕らが考慮すべきはマイノリティーなんだ。ゲイやホモを揶揄しておもしろおかしくすれば、大多数は笑うかもしれない。しかし大きく傷付き、再生不能な状態に陥ってしまうのはマイノリティーなんだ。ゲイやホモを隠して日々を過ごす人達は、人々の大笑いする姿を見て、それが不意に露出することに大きな恐怖を抱くかもしれない。子どもたちにしても、それは全くもって同じことなんだ。不意に僕らのような若い大人が、子どもたちからすれば最も身近な大人が、動物園の希少種のように自分達を見つめ始める。これに傷付いてしまうのは繊細な子どもたちなんだよ。自分達が異常なものであると、僕らの物珍しい視線によって気付いてしまうにはまだ早すぎるんだ。それはもっと先、中学生にでもなってから悟ればいいことなんだよ。わかるね?このような企画は決して賢明ではない。君たちは自分の興味関心を、自己の曖昧な知識の中で完結させてしまうかもしれないが、見るべきはその対象なんだ。君らだってもうすぐ立派な大人になるんだから、もうそのぐらいの分別がついたって、いいんじゃないのか?」二十三歳の大学院一年生は勝ち誇って語り終えた。
……なるほど結局はそういうことだったのだ。と私は考えた。我々は初めから松下の掌の上で踊らされていたに過ぎなかったのだ。松下のその準備された語りは、前日からこの結末を予見した上で成立する語り口調だったのである。我々は見事なまでに弄ばれた。完全なる企画書は正真正銘の紙切れになり、我々の自信は無に帰した。傷付き、再生不能な状態に陥ってしまうのはむしろ我々だったのだ。私は一時的な猛烈の怒りに見舞われた。口元が震えた。そしてそれは彼も同様だった。
「じゃあこの企画書は?」
「残念だけど、今回は採用を見送らせてもらうよ」
彼の演技はこの時初めて大根に変じた。とても残念に思う人間の表情とは思われぬ、後の笑みを予感した鼻腔のどよめきがあった。
「初めからそのつもりだったんじゃないんですか?」
「まさか。ちゃんと僕が認めて通った企画がいくつもある。大体僕が認めたところで本当に成立するかはわからない。役員全員で話し合って最後は多数決だ。道のりは険しい。君らのその熱意が本物なら、自分達で直接頼んでみたらどうだい?」
「ここの名前を出すことの影響が、どれだけ大きいものかはあなたも知っているでしょう?個人がどれだけ望んだところで、あっちはまるで相手にしてくれない。ファンが芸能人に会いたいと言ったところで、どうにもならないのと同じことですよ。しかも子どもたちがそれほど傷付きやすい存在なら、なおさら俺たち三人なんかは相手にしないでしょう。所詮、何の倫理観も持たない、ただの遊び呆けてる大学生に過ぎないんですから」
「ここは団体だからね。やはり通せないものは通せない。わかってくれ、わかってくれないなら顔を出さなくて結構だ。団体は常に最善を目指さなければいけない」
「あなたの言うマイノリティーは」と言うと彼は一呼吸置いた。
「なるほどここでは通用しないんですね」
「マイノリティーというのはそういうことではない。君も人の上に立つようになってみればわかるはずだ」
「少なくとも、あなたは俺の上には立っていませんよ。それだけは言っておきます」
彼は言い残して乱暴に部屋を出て行った。私とAも松下に軽く会釈すると彼の後を追った。
私には、どちらにも問題があるように思われた。その晩、付近の居酒屋に入ると彼は日本酒の瓶を次々と空け、半狂乱に騒ぎ立て居酒屋の風紀を殊更乱した。アルコールが彼の存在を乗っ取ってしまったかのように、彼は暴言を吐き散らした。私とAはほとんど呆れ返っていたが、しかし彼の暴言の塊は、アルコールが彼の素直すぎるがその実凝り固まった本心を解きほぐし、口元にまで送り届けている叫び声のように思われたので、私はしたたかその話を聞き続けていた。松下はゴミだカスだあんなのがいるから日本はダメになるんだ早く死ねばいいんだあんなやつは、と彼は散々に暴言を吐いた。少なくともあの居酒屋には、松下と関係のある人間が幾らかいたと思われるので、彼は計らずも松下に直接暴言を吐き散らしたことになる。あまりにも情報の伝達が早すぎるのは現代の悪しき形態であるが、私とて恩恵を受けているのであるからあまり文句も言えない。しかし今回の件に関して、情報の早急に伝わってしまうことが好ましくないのは明白であった。
この件に関する彼の問題はその横暴さである。彼はやはり自己のみをしか見ない習性の結果、自らの居場所を積極的に削ってしまった。大学生活におけるサークル活動を失ってしまった。しかし彼は自分の居場所がなくなってしまったなどとは思ってもみないのだ。むしろ居心地の悪いゴミ捨て場を逃れて清々している、などと思考していたのであろう。だがそれは強がりだ。やはり彼の居場所は縮まってしまっていた。どこまで逃げても逃げても、居心地の良い場所を何度見つけても、やはり彼の性質上疎外を喰らう未来が私には見えてしまう。そうしてどんどん疎外された結果として、彼は真に居心地の良いと思える場所をもう何一つ見出だせない自己に突き当たるのだ。そして彼が本質的に全く何も所有していない、なんの関係もコミュニティーも持たない乞食以下の存在であることを彼が知った時、彼が一体どんな行動に出てしまうのかが、私には気掛かりなのであった。何か突発的で狂暴な意志を踏み止まれる理性と常識など、恐らく彼は持っていないはずであった。
「他人が全く見えていない」これは、いつか私が彼に忠告すべきテーゼであったが、少なくともこの居酒屋で彼に忠告の文言を言い渡すことは、一升瓶で殴られ六針縫うことを許可するに等しい暴挙なのであった。私は殴られたくなかった。故に私は黙って少量のハイボールを飲んでいる以外の手立てがなかった。
しかしながら彼の悪口、暴言、妄言に嫌々ながらも午前二時まで付き合った私は、やはり松下へ幾らかの怒りを感じていたようであった。知的な常識人を気取りたい松下は、恐らく彼同様他人の忠告を幾らも受けないであろう存在であることが感ぜられた。向かうべきベクトルを分かち合うことの決してない二人という存在は、他者を全く考慮せぬという性格において、それが意識無意識の差異はあろうとも、結局は一つの物質にまで溶け合う宿命を持ち合わせることを暗示する、特異な生命体の一例なのであった。しかしやはり彼に関しては他者を考慮することが絶対的に出来ない。彼はいつでも自身の孤独で自信過剰な倫理観にしか従うことが出来ないのである。一方で、松下はその気になれば他者の情緒・感情を考慮の側に入れることも可能なのである。だが松下は自身の圧倒的なカリスマ性を信頼するが故に、他者を論考せずとも波に乗り成功へと辿り着くことの出来る自己を、消極的になって考えることがやはり出来ない。これはどうにも、彼よりも一段と性質の悪いもののように思われた。松下には明確な悪意が存在していた。
悪意という言葉の意味を考える時に、この二人の似通った性質、それでいて元を辿ると決して素材を共にすることのない二人の性質は、時にかなり役立って私の哲学的思考を支えた。
その日の午前二時半、私とAは大学付近のアパートに住む彼を家にまで送り届けようとしていた。夜の空気はひんやりと冷たく、酔いの狂乱を覚ましゆく風は目覚めの太陽を孕んで幾らか生き生きとしていた。道中、酔いの限界値を突破した彼は唐突に呻き、大学敷地内の大木に腕をたてかけ寄っ掛かると、勢いよく嘔吐物を根元の土壌へと吐き出した。私とAは嘔吐欲の譲渡されてしまうことを恐れ、その吐瀉物を決して目に納めぬようにと、意識的にそっぽを向いた。するとその先には、幾らかの人工的な光の漏れだすアパートの一室に照らし出された、大層立派な一台の高級車が停泊していた。
「松下の車ですね」とAが言った。それは確かに松下の車だった。松下がドイツ製の高級車を乗り回しているという伝説的な挿話は、ボランティア団体の誰もが認識しており、我々の大学にそのような車を乗り回す富裕層が他にいるとは思われなかった。故にドイツ製の高級車イコール松下の車であるという等式は、私とAとの共通認識にまで即座に昇華された。そしてその認識が実感を伴う頃には、嘔吐物を公共の場に撒き散らした化け物の如き不良も、既に胃をからっぽにしてすっきりしたといった様子で、その車の所在を溢れかえる憎悪を以て見つめていたのである。憎悪は彼のあまりにも凶悪な目付きにはっきりと映し出されていた。私は制止の様相を覚えた。彼が良からぬことを企んでいると見えたのである。
「もう帰ろう、今日のことは忘れよう。また明日から考えればいいさ」と私は言った。心にもないことだった。明日のことなど考えたくもなかった。
「…………ブチ壊してやる」と彼は静かに言った。酔っ払った気狂いの一過的な言動だと思いたかった。しかし私が彼に向かって冷静になれと促すと、彼は「もう充分冷静だ」と明らかなる意識的殺意を表出させ、しかし言動だけはすっかり真人間とでもいった様子を窺わせたのである。彼は彼の意志で破壊を望んでいた。そんな彼を止めるのは酷く億劫な作業であった。もはやこの半ば猛獣と化してしまった大男を止めるには物理的な、大きな力の反作用を必要とした。ともかくも私とAは、行動に移ろうと試む彼のエネルギーを吸収せねばならなかった。
私とAは彼の腕を掴み厚い胸板を抑えた。動き出そうといきり立つ者特有の、地鳴りのような身体の轟きが私に震動を伝えた。やはり彼は本気で破壊を試みていた。あのような爆発的力の在処は、突発的衝動にしか存在し得ないと思われた。しかし彼の向かうべきエネルギーの方向は、松下の高級車とはまるで逆の方向なのだ。「ブッ壊すもん持ってくる」と彼は再び静かに言った。なるほど彼は自宅へ向かっていた。車を本格的に破壊するための鈍器などを持ってくるつもりだったのだ。
私はAにその場に残るよう指示をし、彼に冷静な思考を促すべく濡れた紙のように彼の脇に貼り付いて冷静になるよう言い聞かせた。私は家に辿り着くまでに彼を説得する必要があった。彼が自宅に着いてしまい、おもむろに鈍器を手にしてしまおうものなら、私の言語がもたらす力はまるで地に堕ちるであろうことを予感した。私は痛みだけが怖かったのだ。凶器を手にした彼を本気で止めるような勇気は持てなかった。私はどうしようもなく不甲斐ない一人のちっぽけな青年に止まってしまっていたが、しかしその痛みへの恐怖がもたらす悔しさなどを念頭に置いて、ひ弱な自己の外面に悔恨を持たねばならぬような時間帯ではないのだ。
私は彼の熱く打たれた鉄のような腕を引いた。しかし彼は正義感を伴って私の腕を弾いたのである。私は重たく押し潰され、精神からも弾き出された。私は弾かれた腕を見つめた。もはやどうにもならなかった。彼は決心の顔を私に向けず、対象に向かってのみずんずんと行進していった。これほどまでに全ての怒りと衝動を抱え込んでしまった人間を、止めるべく対処法があるのならむしろ教えて欲しかった。しかも他人を全く考慮せぬ向こう見ずの彼をして。
幸か不幸か、そこからの彼の行動は極めて迅速であった。歩幅を大きく歩いてゆく彼はいかにもたくましく、私は止めに入らねばならぬ自己の立場を悔いた。これが邪智暴虐な王を討伐しに向かう、勇敢な一人の青年の後ろ姿であればどれほどに逞しく、どれほどに素晴らしいことであったかと嘆いた。しかしやはり武器を伴って眼前を闊歩しゆくは、逆ギレに等しい立場の思慮深くない不良青年なのである。私は改めて自己が如何なる制止能力も持たない、如何にも現代的な電子媒体に溺れる青年でしかないことを悟った。
そして彼は松下の車を破壊した。斧のようなそれを一体どうして彼が所持していたのか、まるで見当が及ばなかった。しかしなお改めて、やはり彼は物騒な鈍器を振り回し車を破壊していた。車体が跳ね返る時の叩きつけられる鈍い音と、窓ガラスを割ってしまう大仰な音に少しばかりの苦々しい静寂。しかし静寂は一層破壊の音を際立たせるのだ。降り下ろす音、風を薙ぐ音、押し潰される音。それら全ての衝撃音は、我々を素面に戻させるに充分な音量を伴っていた。私とAは大道芸を見せられるように呆然とその行為を見送っていたが、しかし静寂は急速に我々を青ざめさせ、彼は自己の肉体を乗っ取られた者が、不意に所在を明け渡されたかのような驚愕の色を浮かべ始めていた。ボロボロになった車体の虚しそうに佇んでいた。
……これを見つめて、我々はようやく全てを察したのである。スクラップ状態の車をその目に納め、数十秒間喘いで目をこすりお互いの顔を見つめあって、ようやく全てを察したのである。もう遅かった。我々は走り出した。どうして我々が走ったのかはわからない。有り体に言えば、あたりは夜闇に包まれており、第三者が現れ我々を容疑者に祭り上げる可能性はおおよそ低く、仮にそのような人間が既に存在しているのであればお手上げで、仮に目の前に現れれば、我々が駆けていることは尚更怪しさを倍増させるのだ。至極冷静を取り戻した我々はそのことを知っていた。しかしそれでも我々は駆けたのである。何から逃げたかったのかはわからない。ともかくも我々は四方を囲まれた防御空間へと逃げ込みたかった。そして我々は彼の家に身を隠すように逃げ帰った。身体の震えが止まらなかった。逃亡の目的を達成したとて、我々は次いで襲われる事後の処遇に冷や汗をかき、決して眠ることの出来ぬ夜を過ごすのはわかりきっていた。私は不安で死にそうだった。死にたかった。
だが実際、それに見舞われたのは私とAなのであった。彼は即座に凄まじい鼾をたてて眠りに就いてしまっていた。
*
翌朝からの出来事を私はあまり思い起こしたくない。あの絵に描いたような出来事をあまり大袈裟に語りたくはない。しかしこれらは全て事実なのである。故に私はこれを語る行為に強制される。ともかくも嫌な朝であった、私は二三時間程眠ってしまっていた。眠れぬ夜とて、体力が尽きてしまえば限界の睡眠に陥るのだ。私は起きて、すっかり酔いの覚めた状態で昨日の犯罪を想起した。
「証人はいない、誰も見ていない、私は見られていない」と私は言い聞かせた。二日酔いの頭痛も心なしか弱かったのは、恐らく痛みを感じる余裕すらなかったためである。部屋の中は薄暗かったが、カーテンを開ける気は起きなかった。未だ外界の視線に晒されることが恐怖だった。
私は彼とAを起こさず、静かに彼の家を出た。電車に揺られて五分ほどして自宅に辿り着いた。授業に出る気などさらさら持たなかった私は、無思考に缶ビールを二口で飲み干してベッドに寝転がった。
どうしたものだろうか……と、私は古くさく思考した。
こういった時、現代風の若者であれば、極端な感情の内に沈んでゆくものであると私は認識していた。巨大な悔恨にとらわれ枕に顔を押し付けるか、開き直って昼からウイスキーの水割りを飲むかに耽溺することが、むしろ私が現代人たる一つの証のはずであった。しかし布団の上で差し迫る恐怖や危険すらなく、ぬくぬくとビールの浅酔いに浸り寝転がっていられる私の運命は、むしろ悲惨なものであった。こういう時運命とは突然にぶつかるのだ。無論、厳密に言えば、突然に交通事故を起こすなどということはあり得ない。常に事故を起こすかもしれぬ自らと客観的な指標さえ備えていれば、仮に事故を誘発したとてなんら自己の悲劇的な境遇を嘆く必要などないのだ。誰にでもそれは起こりうるとして、脳内で処理が行われるのだ。しかしながら私はそういう全てのマイナス要因を振り払って、裸の状態で無意味に思考している。そして私は突き当たる不幸に運命的な、悲嘆的な領域を見出だすのだろう。……これはとんでもない自堕落の確たる証拠だ。
そして私はやはり用意されていた悲劇に突き当たった。Aが摘発されたのである。その日の午前中のことであった。それは全く予想外のことであったが、全ては私が怠け者で自堕落な性格であることに起因するのだ。我々がいずれ疑われるであろうことはわかっていた。そこから逃避して突き当たる未来は、遮光のカーテンで太陽を遮り、いずれ来たる夜を待ち望む真昼の我々に回顧の重罪を負わせた。逃避の先には逃避の分だけ先送りにした苦悩が、なおさら肥大化した腫瘍のように一つの事件という形を取って待ち受けている。そのことに気付かず精神の延期を促した我々が、罰せられるべき処遇は相応に重かった。
私は再び彼の家を訪れた。時刻は十二時を回っていたが、未だ彼は鼾をたてて眠り続けていた。久々の怒りと苛立ちが私を駆り立てた。私は彼を乱暴に叩き起こすと、Aが摘発されて松下と話し合っていることを告げた。Aがそう連絡を寄越してきたのだと告げた。すると彼は再び目を閉じて、蠢くように眠りの態勢を変容させると以下のように言った。
「お前、あんときAも連れてくりゃよかったんだよ。そしたらあいつが松下の車の前にいるとこだって、見られなかったんだ」と彼は私と顔を突き合わせずに言った。
……もう、こいつはダメだ、と私は諦めながらに考えた。私は彼と関わってしまった自分を果てしなく責め、このような精神異常者も見抜けぬ自らの分別のなさを嘆いた。Aが不憫でならなかった。
「お前、自分のやったこと棚にあげて馬鹿じゃねえのか。どうすんだよ、犯罪だぞ?お前のやったことは犯罪だ」
「確かにヤバいね。俺もお前も刑務所いきかなこりゃ」
彼は投げやりに言った。ああ、やはりこいつの精神構造はこうだ、と私は考えざるを得なかった。やはり彼の中では私も同罪なのである。驚愕の精神異常者であった。彼の中では止めに入った私もAも同罪なのである。一体彼の価値基準や判断基準がどこで線引かれているのか、私には皆目見当がつかなかった。彼は酷く自己中心的であった。しかしむしろ私の中で急速に渦巻き始めた想念は、私とAが犯罪者で、彼は犯罪者ではないのだという壮大なる逆接を彼自身の、彼という法律の中で圧倒的に適切な条文の中で正当化させているのではないかという一種の驚愕であった。彼が私を出し抜いて、私とAだけを犯罪者にするのではないかと私は考え始めた。するとそれは益々整合性を伴い始めるのだ。私は彼を摘発すべきだった。彼が松下の車を破壊した張本人だと、誰にでもいいから声高に叫ぶべきだった。しかし私はその声が出ないのである。痴漢をされる女性の偶像の如く、私はだんまりで現状を堪え忍んでいた。
それにはいくつかの理由がある。
第一に、Aとの連絡がつかないのである。松下の尋問がいくら長引いたとて、Aから連絡がきて悠に一時間を超えた時刻に、未だ取り立て屋のような尋問が継続しているとは信じ難かった。Aと連絡がつかないことは、即ち我々が口裏を合わせられないということであり、Aの発言次第では、私が事実を訴えた所で、尚更状況は悪化し得たのである。Aと私の供述が錯誤することは避けたかった。私とAに対する疑いの目を、余計に強める可能性のある行為は捨てるべきだった。
そして第二に、私はどうしてか彼を見捨てられないのである。私の一声が、彼に犯罪者のレッテルを貼る最大の行為であるとすれば、即ち私は彼の将来を奪う張本人なのである。無論、彼の将来がさして前途有望であるかと問われれば、私個人はそうと思えなかった。しかし、彼の純粋すぎるが故に悪意を排除することの出来ぬその性格を踏みにじって、身内が彼を摘発し犯罪者に仕立てあげる行為を、私が夢想すればするほどに、彼のその純粋すぎる行動原理は、幼児の行動原理との相似を為してしまい、私の理性はそれをどうしても看過できないのであった。
するとAが私と連絡を取ろうとしなかったその行為は、いち早くこの一団から手を引くべきであるという、彼のあまりにも早すぎる行動の顕れではなかったろうか。Aは恐らく彼を売る気にはなれなかった。そして松下へしらを切り通すことによって、自身の心の充足を獲得したのである。彼を守って、そして彼から身を引く。Aはつくづく利口な人間であった。……しかし私にはAの行為が憎まれた。Aの行為は彼を守り、自身を守る行為でありながら、即ち私を裏切る行為であったからだ。こういう所で、私はいつもひとりぼっちにさせられる。と私は考えた。目の前で眠り続ける男の処遇を、そして自らの人生を怠惰にして、私は自己の悲劇的な運命を嘆いた。
私の人生は、いつもこうなる。あらゆる不足の事態に怯えながら、先々に見据える未来は常に輝きの胞子を纏って止まない。半端な夢想を追い求めるが故に、全てを諦め無思考で呼吸することがどうしても出来ない。それでいて突き当たる想定内の不幸な事態に、人一倍傷付き、再生を望めなくなる程の精神の軟弱さを所有している。無論現代という時代に責任を押し付けることは出来ない。恐らく私は、どの時代に生まれても、自己がとびきり不幸な境遇に生まれた人種であると信じて止まないはずだ。科学技術が先行し、頭の堅く適応力のない人種の排斥される現代を厭い戦国の世を羨む私は、恐らく戦国の世に生まれてはその命を戦乱に飲まれることの儚さに、一人毎晩涙を流したであろう。突撃しなければならぬ自己の肉体、いずれどのような処罰にかけられるかもわからぬ自己の贅肉を掴み、その悲運を寵愛したことであろう。私は戦乱の起こらぬ平和な世の中を願い、仕方なしにその命を投げ捨てたことであろう。
ところが平和な世の中とてそれほど事情は変わらないのだ。生は、死を意識して初めてその反発を知る。無論平和が死の概念を忘却させるのではなしに、今の私はあまりにも生を持て余し過ぎるが故、その生に充足を吹き込もうという思念を捨てられないでいた。……私は一刻も早く死の概念を知る必要があった。一刻も早く私自身の在処を明瞭にする必要があった。しかしその方法とて外的な形で?内的な形で?……
私は睡眠の快楽を享受する目の前の男を見つめた。彼は、恐らく生と死とを同列に扱っている。しかしそれでいて死を意識することなく、充分に享楽的な生を全うすることの出来る幸せな人種であると思われた。彼は恐らく決定的な死の領域を目の当たりにして、「死にたくない」などといち早く口走るはずだ。自尊心を振り撒く願望を有する対象を前にしてさえ、彼は決定的な死から遠ざかろうと恥を忍ばないはずだ。しかし私はそれら自己の存在の終焉に、徹底的な意思を図って抗おうという気概の仄かにさえ表さないであろう。しかしこの終焉は最後の場面における意識の、突発的な顕れではないのだ。この最後に顕現する明瞭な生に対する執着が、生まれてからの我々をむしろ確実なまでの決定において宿命付けている。そしてその宿命を左右しうる最後の決定期間が、いまこの時であるように私には思われたのである。
私は死の概念を手繰り寄せた。無論彼同様の犯罪行為を企む意識はなかった。しかしこの時は実際に鈍器を手に取り、彼を殺害する夢想をギリギリまで試みなければ、私には永遠に死の概念が縁遠いように思われたのだ。故に私は彼が松下の車を破壊したその鈍器を手に取り、彼の前に猛々しく立ちはだかった。
今ここで私が垂直に、力を込めてこれを降り下ろせば、彼の頭蓋は粉々に砕け散り彼は絶命するだろう。と私は考えた。その時私は壮絶な死を目の当たりにし、自らの日々が強く死と密接している事実を改めて知るだろう。そして一層生き生きとした、生に密着した日々の獲得に胸を躍らせるだろう。しかし私は彼を殺さない、いや殺せない。故に私は長い間鈍器を構えたまま彼を見据えていたのだ。決して生半可でない眼差しで。
そして私は理解した。彼が絶命する虚像を脳内へ様々に膨らませ、様々な死の惨状を脳内に描きながら、私の死に対する曖昧な認識の現状を、甘ったるい認識の現状を充分に理解した。
死が、我々の生から観念的な領域にある間、我々は永遠に孤児の精神を理解するには到らぬという、圧倒的な真実を理解した……。
即ち私の望む、死を理解しようと試む行為、それは即ち最も現実的な死の概念から遠ざかる行為なのである。恐らく私は、このまま長らく彼の死に密接する見下ろしを持続したとて、得られるのは悲愴の中に極まる死の観念にしか及ばぬ。真なる死の概念とは、もっと淡く、淡彩で、水彩画のように清潔なのである、しかし一層強い悲しみの観念が訪れるもののはずなのである。それら現実の死に直面した孤児の心理を、私が努力の内に獲得しようと試みたところで、やはりそれは無駄である。しかし永遠に私と交わることを拒絶したAと、その行為を彼に向けることをほとんど決定した私は、二人から無限に後退し、いずれ記憶の忘却は二人を「死」とほとんど変わらぬ領域にまで追い込むだろう。だがそれでも、私が清潔な存在の抹消を得られたとて、一層強い悲しみの観念は永遠に到来しないはずであった。私は孤児の心理を共有するために、近い存在の死を経験する必要があった。しかも消極的で、極めて仕方なしに到来する死を。そしてそれは極めて望めそうにもないのだ。
私は愕然とした。要するにあのサークルがボランティアと称し行ってきた数々の行為は、真なる精神性の不安定なままに執り行われてきた、ほとんど無意味な観念界のお遊びに過ぎぬ行為の、累積だったのである。無論我々の立案とて、ただの滑稽なお遊びの計画に過ぎなかったのだ。急激な恥辱の感覚が私に生まれた。松下の顔を思い浮かべたくなかった。鈍器を構えて彼を見下ろしながら、私は無重力空間に浮かぶような心持ちを了解した。
お前のやったことは全てが無意味で、全てが空虚な行為だった、お前は無駄死にだった。と私は呟いた。無論私とて同じだった。我々は酷くちっぽけな存在で、酷く悪辣な存在であった。私は全ての行動意欲が萎えてしまった。全てを投げ出し帰路に着き、全ての人間関係を投げ出した私は、その期の単位を全て落とした。以後、私は彼とAと連絡の一切を交わさなかった。……
その日から、私はまるで独りぼっちであった。彼とAがどうなってしまったかも直接は聞き付けなかったが、彼は特に何もお咎めを受けず、時折学内で見掛けることもあったので、依然として大学に在籍しているようであった。Aは具体的な時期こそわからぬが、大学を辞めてしまったという噂を聞いた。どちらも私にとっては寂しい限りであった。
さてあれからの私が、再びボランティア団体の活動にとんぼ返りしたことに言及するのは、些かの驚愕を呼ぶであろうか?反感を買うであろうか?しかしながら、これもまた一つの事実である。むしろそれからの私の二年間は、ボランティア団体における活動が主だったのである。
事後の翌日から、全てを投げ打った大学二年生の私はほとんど精神を病んでいた。真昼にして室内を暗闇に、日々様々な興味深いネットの記事を見出だしては読み耽った。それは私が知的好奇心をくすぐられたというのではなしに、自らが学校に通えぬ精神まで追い詰められていても、なお自己の血となり肉となる有用性を暇の時間に獲得せねばならぬという、既得の強迫観念が追いやった異常行動であった。
朝に私は目覚めなかった。真昼の光がカーテンから漏れ入る時刻に私は目覚めたが、私はいつもきつくカーテンを閉めた。そして陽が暮れるまではスマホに耽溺し、夜闇がすっかり街を包むと私は行動に出る。とは言ってもそれも大した行動ではない。それは所謂食料調達と呼ばれる簡潔なまでの生命行為なのだ。私には一日一食を食べることが精一杯だった。すると私は益々痩せ細っていく。一七八センチの私の体重はついに五十キロまで減少し、実家へ帰省する度に母は心配そうな眼差しで私を見つめた。
……しかしこの視線さえ私の内部には届かなかった。もはや私は外的な要因により決定付けられる自己をさえ顧みなくなっていた。むしろ私を蔑みの眼で見つめ始める外の視線は、私自身が可哀想な家庭に生まれた悲運の子とでもいった様子を造り出し、それは私に一種の悲劇的な喜びの感情を植え付ける。街を闊歩する私を見つめ始める奇怪な視線の顕れる度に、私は自らの踏みしめる足音に地響きのようなそれが生まれているのを聞いた。地響きは鐘のようにも豪奢に鳴り続けた。私は深く満足した。
しかしそれも唐突に、なんの躊躇いもなしに鳴り止んだのである。それはやはり私の未来に待ち受ける、社会的な自己の喪失を認識し、私が早急な是正の焦燥感に見舞われたことに起因していた。私は狼狽えていた。ニートやフリーターと呼ばれる種の塵芥に属すことが、あまりにも私の自尊心を傷付けてしまうことは、なんと社会の歯車を養成することの辣腕な日本の体系であろうか?
私はまず社会性を取り戻すことに執着した。まずは社会と関わることを念頭に置いた。しかしそのための第一歩の行動が私にはわからなかった。試しに授業に出席したとて、周囲は全てが異邦人であり、むしろ私が異邦人であった。無言でノートを取ることのつまらなさを私は知ってしまっていた、もう高校生のお利口さんには戻れなかった。
……そこで私が取った常識はずれの行動を、あなた方は糾弾するかもしれない。どうしてそんなことができるのかと、精神性を疑うかもしれない。故に私は、私の、内的な心理経過とも言うべきものから追って、話を進めていく必要がある。無論それはただの自己弁護であるが、正当防衛と言うべき程度の質的蓋然性は、恐らく備えているはずである。
当時の私は、自らの所属を洗い出す必要に迫られていた。全ての義務を放棄した私は、帰属すべき対象を何一つ保持していない自己を危惧した。それは少なからず私にとって衝撃であった。私は何一つ責務を果たさず、もはや全てを放棄しているのに、それを咎めるべく対象がただの一つもないということは、ほとんど犯罪を許可されたに等しいような気がしていた。私の精神は覚束なかった。頭に一人の巡査が住みつくかのように、完全なる監視下に置かれた私の従順すぎる人生に、何一つ監視が存在せぬという状態は、即ち私が見捨てられ、世捨て人の一員に首を突っ込み、塵芥の仲間入りを果たしたということに他ならぬという病的観念が、私を見舞ったのである。
しかし前述したように、私の所属は大学のみであったが、そもそも大学などというものは、主体性なくして所属を得られるようには優しくないのだ。自由というものはそういうことなのである。何か享楽的な環境に身を踊らせたくば、自らの働きかけは不可欠であり、それが億劫に感じられるのであれば、暗室に身を横たえ、休息に享楽の息吹を吹き込む他はあるまい。私は後者を選択した。結果は全て眼前にあった。しかしその眼前の現状を鵜呑みにして、全てを諦め黙りこむという行為が私にはどうしてもできない。自己の精神と行動とを秤にかけて、客観的な結果を受け入れることがどうしてもできないのである。故に私は私に残された唯一の自発的な場、とは言っても半ば彼の働きかけによってつくられ、紛れもない彼自身によって破壊された唯一の真なる所属へと、とんぼ返りする他はなかった。ここには、いまの私の全てが内包されているように思われた。
これはまさに病的行動心理とも呼ぶべきものであり、この際に私はドラマの世界で巻き起こる壮大なる矛盾行為の本質を、私自身が抱え込んでしまったような矮小な羞恥心と、精神でもってそれを知覚したという曖昧な自尊心を以て、この行動における純な異常性を自らの懐深くへと隠しこんでしまった。精神界における逆ベクトルの充足感が、正しいと思われる社会感覚を麻痺させてしまう事象に私の孤独が相まって、 あのボランティア団体の重たい扉を開かせてしまった浅い過去の事実を私が重たく認識すると、私は自分の首をかききってしまいたくなるような、恥辱の自殺衝動で満たされてしまう夜に苛まれることがしばしばあった。しかしそれを止めるのに役立つのはいつも、私自身の最も奥深くに根差している、世間体を死守するための誇るべき社会性なのである。この社会性は誰にでも備わっているはずである。しかしその社会性というものが大きくなり、皆が当たり前に備えすぎていて、そこからはみ出した社会性に民主はおおよそ首を振る。民主それ自体が過剰な社会性を認めぬという矛盾に陥っているのだ。しかしその矛盾を綺麗に紐解けば、私のように一度はその所属から背いた人間が、再び戻ってくるというようなことはむしろ純粋なまでの原点回帰なのであり、それを認めぬという共同体内部の器の小ささは、むしろそれこそが弾劾されるべきであり、また、それを認めぬというような民主が存在し、私に陰口を叩くのならば、それこそ私自身が応戦し、戦わねばならぬという当にその時なのである。
私はそのように思考した。松下へ頭を下げボランティア団体へ舞い戻った。幸いにも彼の起こしたあの行為に、私が関わっていると知るものはほとんどいなかった。
私は所属を回復した。これが正しい行為であったかはわからない。しかしながらこの行為が理屈を伴っていたとしても、このボランティア団体の行為を全否定したあの日の私をさも肯定したかのように舞い戻ってくるその姿は、さぞ滑稽であったに違いなく、私は私自身に情けなさを覚えた。しかし私が熱情的な感情に憑かれ、ボランティア団体の門を叩こうと決心した一年生の夏期休暇を想起すると、その情けなさは打ち消された。あの時の私は、人生で初めて恥を偲び団体活動に参加することを決めたのだ。あの時の私の情熱は本物だった。周りの情熱も私には嫌というほどわかった。彼が言ったこのボランティア団体の偽善性など、私の目にはもう見えていなかった。団体の所属メンバー全てが、私の精神の甘ったるい色眼鏡を通して、頗る善人面をしているかのように見えるのだ。
さらに、悩める日の私に向けられた松下の言葉も、私の情けなさに対する感覚を麻痺させた。それは私がボランティア団体に復帰することが、松下にはっきりと知れた日の、とある会合後のことである。
その日の会合は早期の終幕を見た。思いのほか早い段階で意見がまとまりを見せ、団体の皆は早々とその場から切り上げた。図書館内に構えられた談合スペースは、ボランティア団体がしばしば利用するスペースであり、その場には、我々団体を許容する空気が、大学の所有物である図書館にも極めて巧妙に出来上がっていた。松下はその中心で満悦の微笑を振り撒いた。幹部の連中が姿を消しても、松下は一向に立ち去る気配がなく、意識の忘却によりただ椅子に腰掛ける私とは、全く対極の理由でもってその場に存在しているように思われた。すると松下は、資料を整理しながら珈琲を口にし、目を合わせることなくなにやら私へと話し始めた。
「どうだい、最近は?」
この時の松下の表情は茶番劇そのものであったが、松下は元来こういう人間である。至極真面目と思われる態度も、松下自身の習慣をしてそれを演劇のように見せるのだ。
「お陰様で。うまくやれています」
松下は恐らくこういった会話を好んだ。如何に彼が巧みで意地の悪い男と言えども、ボランティア団体の中心となり組織を動かすのは、想像以上の重労働である。如何なる目的が松下に存するかは明白でなかったが、このような組織の運営に進んで身を乗り出していくことは、多少の性善を備えていなければ酷く困難な作業である。松下のこういった形式的な質疑は、少なくともなんの企みも備えていない、松下自身の善良で人間的な一側面の、顕れであるのかもしれなかった。
「久しぶりに話せる仲間もできました」
「そうか。しかしうまくやれている割には、僕には浮かない表情のように見えるが」
「ええ、まあ……あのようなこともありましたし」
「あれは君が何度も頭を下げてくれたことだ。僕だってもう気にはしてない」
「ありがとうございます、わかってはいるんですけど……」
彼と二人で、このように弛緩した空気の中で仲睦まじく呼吸することが、なぜこんなにも気怠い疲労感を伴わせるのであろうか、と私は考えた。彼の言葉は一つ一つが底知れぬ重量感を持っており、それが私に酷い負荷をかけ続ける。そのなかで私は呻き声一つ立てられない。
私はこういった居心地の悪さに無知であった。このような状況に言葉を与え得る経験を知らなかった。故に私は彼の表情を覗くことを嫌い、靄がかった表情のまま両の手を握りしめていた。彼の表情が人間的でないのを知ってしまうことが、恐怖映像の象徴を為して私に襲いかかっていた。
「君は、何をそんなに気にしているんだ?よければ話してくれ」
本来なら私は話す必要などなかったのだ。話さなければ良かったのだ。しかしながらこの居心地の悪い沈黙は私を饒舌にした。
「僕は、自分のした行為にいまいち自信が持てません。結局の所僕は何も所有していませんでした。所有していると思ったものは全てが幻覚でした。この団体に関しても、僕は全ての行為が本質を欠いているという最低の烙印を押していたような人間なんです。それなのに、今や僕にはここしかないように思われます。こういったいちいちの矛盾行為に、僕自身嫌気がさしていると言ったら、わがままでしょうか?」
「最低の烙印というのは?」
「この団体は、子ども達の命に、間接的とはいえ関わってしまうような……いえ、間接的にでも間わることを望んでいるような団体です。しかし僕にはこの団体の人間が本当の生や死を知っているようには思えません。皆が皆、日本の、極東の経済大国の恩恵を充分過ぎる程に受けて育った裕福な人間にしか思えません。皆が慈悲の心を持っているのは事実です。けれど、僕には……」
「僕らが自らのエゴで、悲哀の眼差しをもってその施しを授けているに過ぎないと。本当は、孤児の心理など誰一人として知らないんだと。そういうことかい?」
「はっきり言えば、そうです。もちろん、僕自身本当の死など知りません。知らないことが幸せなのかもしれません。それでも僕は、ボランティア団体を自称し、生命の危機に晒されている子ども達を助けようと望むなら、こんな現状は許されて然るべきではないと思います。ぬくぬくと、大学構内の食堂や図書館の広々としたスペースで、快適な温度で、机上の空論を好き放題語っていられるような環境が僕は好きじゃない。そしてそれが僕でもあります。とどのつまりは、僕は自分のやっていることが正しいとは思えないんです。何も知らずに孤児を支援するということが、僕がしている唯一の行為だということが、僕にはいまいち納得できないんです」
「しかし結果は同じことじゃないか。孤児を知って支援することも、孤児を知らずに支援することも、結果は全て同じことになる」
「気持ちの問題です。勉強して合格することも、勉強せずに合格することも、結局の所志望校に受かることが出来れば結果は同じです。しかし勉強して合格を勝ち取った者の幸福感と、勉強せずに漫然と合格した者の幸福感とは比べるべくもありません。僕はどちらも知っています。高校受験はほとんどなにもしませんでした。しかし地元のなんてことない普通の高校には普通に入ることが出来ましたし、そうして普通に過ごすのだろうと思っていました。しかし大学受験の時には自分でも驚くほど勉強しました。そうしてこの大学の合格を僕は勝ち取りましたし、その時の感慨と言ったら、月並みですが、それはもう素晴らしいものでした。僕は結果は問題ではないと考えています。孤児と心を通わせて支援をすることがなければ、それは真の意味での支援にはならないと思います」
「それはあくまで君の問題だろう。君の心が満たされようが満たされまいが、孤児にはなんの関係もない。孤児が望むのは物資の豊潤さでしかない。満たす側がどのような理念を持って活動するかなど、結果にはなんの揺らぎももたらさない。活動なんてものは、奉仕される側よりもこちら側を念頭に置くべきだ。施してもらう側が、偉そうなことを言ったり要求し始めるというのはおかしなことであり、彼らはそんな資格など持ちはしない。だから、それが故に僕ら施す側がある程度邪な感情を持たないことは、むしろ危険な感情だ。でなければ施される側の邪な感情に、どこまでも純粋な心を持って付き合い続けなければならなくなるからね。君が君の理想を持って活動することはよろしい。しかしそれを団体の問題にまで昇華させることは間違っている。団体というのは、常に最善を目指さなければならない。あちら側の純粋な感情ばかりを信じて活動し、僕ら側が完全なる善を繕い、彼らの感情に寄り添おうと模倣することほどの偽善などない。君の言ってることは、個人の問題に閉じ込められているうちは理想的であり素晴らしい。しかし個人を保つことが難しく、故に団体への帰属意識を持つ者は、そのような理想をある程度排さなければこの団体にいることも難しい。君はどちらだ?こちら側にいながらそのような理想論を貫き通すことは、やはり君の自覚しているようにわがままという他ないね」
「……」
私の無言は極まった。私は完全なる論破の感情を味わった。しかし打ちのめされたが甘い感情が、脳の端っこあたりを浮遊していた。松下が口を開くのを待つしかなかった。
「といって、僕は君のことを個人的に嫌っているわけじゃない。以前所属していた時の君ら三人組で、僕が目をつけていたのは一人だけだった。僕の車をブッ壊したあいつだけだ。……君だってわかっていただろう。なぜ僕が気が付かないと思える?僕が下級生の彼を尋問に付したのも、車破壊の犯罪者を排斥するために他ならない。訴えようと思えば訴えることもできた。しかし僕は彼を敵にまわすことを恐れたし、内部破壊の根源となるような彼を留まらせることにも難渋した。結果、僕は自分の車をスクラップにすることを惜しまなかった。下手に訴えたりすれば、あいつは人を殺しかねないだろう。あいつはそういうタイプの人間だ」
「ならどうして僕が戻ることを許可したんですか」
「逆に信頼に足ると思ったんだよ。僕は君らの仲を解体したも同然だ。それでもこの団体に戻ってくると決心してくれたってことは、それだけここへの帰属意識が強かったということの顕れでもある。そういう人間は非常に信頼に足るんだ。故に僕は来期の幹部を君にやって欲しいとも思っている。無論、君がこの団体の意向に沿ってくれるならの話だ。君の独り勝手な意見を持続させるようなら、やはり無理がある」
私はまたもや甘い感情を感じた。しかも今度は身体全体にである。もはや私は三人組の一人ではなかった。完全にあちら側の人間であった。こういう風にして自らの所属を確実にさせる行為へ吸い込まれていくことは、ある種の独裁政権を思わせた。しかしそこに身を投じるのも、大して悪いものではないように思われた。私は恐らく楽しく、愉快に日々を過ごし、自己の身に流れる血をより密接に、より私に近いものとして認識するだろう。
そのように考えた私はボランティア団体の幹部に任命された。
全ての単位を落としても四年生に上がれてしまう私の大学は、私にとって好都合であった。私はかなりの数の授業を履修しながら、就職活動を行うことができた。教育の無意味さを痛感した私は、尚更教育業界に見向きもせず、仙台や東京の大手企業を片っ端から受け続けていた。
ボランティア団体での活動はうまくいっていた。私は鬱病の気質が再び露見する目に会うこともなく、ただただ企業の役人の前で饒舌に話す日々の連続と、ボランティア団体での中枢を担う責任に忙殺された。しかしその忙しさは私にとって不快なものではなかった。
その日は、電力会社Hの最終面接だった。S県の最有力企業と目されるHの最終面接を受けると両親に話すと、二人の声色は明らかなる変容を見せた。私はそのことが特段不快ではなかった、しかし特に喜びの感情を覚えたりもしなかった。もはや親元を離れて三年になり、特に干渉的になるような種の親ではなかったことも相まって、私はなんの感慨も覚えずに頷いていた。それはただの血縁関係に過ぎなかった。ただ、時折耳を突く親戚の訃報や家族の体調不良に、私が敏感にならないではなかった。そういう時だけ私は異様に反応し、突然実家に帰省したりもした。しかし、その努力が必要なほどの重病でないことや怪我の具合が大したものでないことを知ると、私は冷めた感慨でアパートまでの道のりを折り返した。
この日の面接に、私が一種の緊張を覚えていたことは確かである。しかし私は、自己の将来を憂いてインターンシップに参加することや、OB訪問に特化していたわけでもなかった。それであるのに生まれてくる妙な緊張感は、両親が懸ける期待によるものではないかと、私は行きの電車内で分析した。しかしその緊張が純粋なる気持ちから来るものかどうか、私には定かでなかった。
電力会社Hに到着し名前を述べると、明らかに顔で採用されたと見られる受付の愛想笑いを伴い、颯爽と人事担当の人間が現れ名を名乗った。私はかしこまり、丁寧に、しかし元気良く挨拶した。こういった虚飾をいつ私が覚えたのか、私の記憶にはなかった。
面接室に通されると、三人の重役と思しき人間が椅子にかけ、私に安堵の笑いをかけてくるのだが、彼らは明らかに腰を据えていた。二十二歳の小僧など、彼らからすればちっぽけな存在なのだといわんばかりのその威圧感は、しかし松下のものと実に類似していた。そのために私は冷や汗の緊張感から逃れ悠々と着席した。
「えーっと、G大学の経済学部で、ああ、出身はSなんだ」
「はい」
「大学時代はなにを?」
私が言うことは決まっていた。大学のボランティア団体に属していたこと、企業に近い形の経営を行っていたこと、幹部であったこと、孤児を救うという行為に責任を持っていること、様々な詭弁を交え語り終えると、面接官の表情は決まって呆気に取られている。こういう時の私の表情は、勝利の愉悦にまれみた人間の、悪辣な微笑であるのかもしれない。しかし企業の人間は私の語りに気を取られ、恐らくそこまで気が回らない。すると私の合格はもはや決定事項のようなものである。私は満足し、退出を促されると安堵にまみれるはずの表情を自信に変えて、颯爽と会社を去っていく。先の人事の表情を私が乗っ取るのだ。
帰りの電車で私が抱いていた感情は虚無である。あらゆる面接を突破し初めて、私の目的意識は全て剥奪され、大してなんの思考もなく薄っぺらに語りを進めていたことを知るのだ。しかし企業の側がそれを見出だすことを怠りやすいがために、私の空虚な自尊心は益々たかぶっていく。しかし私は幸福なのだ。ボランティア団体の活動に精を出し、様々な営利目的を達成しやりがいを得て、私はそのなかで濃密な呼吸をしている。私が文句を垂れることなどは、やはりわがままに他ならない。
電車のなかに見慣れた人物がいた。彼であった。これまでなるたけ避けてきた人間であったが、人影少ない電車のなかで、私と彼とが対峙する状況が創出される。これはやはり自堕落な私の責任である。もとより彼との遭遇を夢想していれば、このようにおかしな緊張感を覚える必要など皆無である。
嫌な沈黙が私を不快にした。彼が私の存在に気付くことが恐怖であった。しかし彼が私に気付いた時、彼は何かを言うであろうか。私には見当がつかなかった。
「よお」
彼が私に話しかける。私は予想している。故に私は驚かない。
「おう」
「なに?就活?」彼は大仰に言った。それは一年前と少しも変わりがなかった。
「うん」
「A、大学辞めたよ。いまはNPOで働いてる」
「そっか。お前は?」
「俺は就活はしない。時間が欲しいんだ、アメリカに留学する」
「そっか」私は静かに言った。
「……お前、やっぱり全然興味ないんだな。だろうな、もう、すっかり社会の人間だもんな」
「えっ?」
私は意味がわからなかった。
「お前は、もうすっかり社会の人間だよ」
周囲の音が遠のくように思われた。社会の人間。なるほど私は、社会的な人間に変貌したのだ。自由奔放な彼に嫉妬し、正義を持ってこの世に蔓延る悪を一掃する私は、もう死んだのだ。全ての物が物質と化す我々世代に、私はようやく薄まれた気がした。
「ああ、俺はもう、すっかり社会の人間だ」
荒い掌が堂々と私を捕らえた。なんの精神的進歩も融和もなしに、私と彼は和解した。それは不自然な感じであったが気分はそれほど悪くなかった。社会の人間はこうして表面を繕う必要に迫られる。それは少しだけ幸福な感じである。
「だろうな。お前は、社会的な人間だ」
自由人は堂々と宣言した。
了