5.蝕まれる心
夜勤明けの体でそのまま午前中の訓練に参加していた。
疲労のせいでぼろぼろの動きだったが、なぜか上司はそれを「疲労困憊時に最小限の力で効率よく動くための訓練」をしているのだと前向きすぎる勘違いをしてクリストの心意気を褒めたたえた。面倒だったので否定しなかったが、この訓練場に来たのはここから魔術塔の渡り廊下が見えるからだ。
でこぼこになった土を均す後輩たちの頭上を通り過ぎたところに、初めてヨシノの幻覚を見た通路が今も変わらずに浮かんでいる。また現れるんじゃないかという期待につい見上げてしまうと、舞い上がった砂煙が視界を阻んで目にも入りそうになったので、思わずまぶたを閉じて片手で覆った。
このところ目が疲れている気がする。砂埃のせいだけでなく、クリストは今日、幾度となく目頭を押さえていた。
「お前相当眠いんじゃないの。だいじょぶ?」
大雑把で何もかも大味で、配置換えで上司が変わったことにさえしばらく気付いていなかったほどの同僚にまで心配される始末だ。近づいてきた彼を見上げると、一番高い位置に昇りきる一歩手前の太陽の光が目に突き刺さる。
「ああ……、最近夜勤続きで。」
「そういえばお前ずっとみんなと夜勤代わってるよな。なんで?」
逢引きでもしてんの?と隣に腰かけて期待ににやにやしだす同僚にどう言い訳するか迷って、結局本当のことを話したのは頭が回らなくて考えることが面倒になったからだ。……ヨシノの名前を出さなかったのは、いなくなった女にいつまでも懸想していると知られたくないというちっぽけなプライドのせいだった。
「実は……、たまに、幻覚か何か、見えることがあって……。」
「はあ?変なクスリでもやってんの。やばくね。」
幻覚と言ったのがまずかったのか、軽く半笑いにされた。冗談半分に受け取られたことに少しむっとして言い募る。
「違う。何もしていない。いつも通りなのに、その、もういない、人が、見えることがあって……。」
「えっっ。それって…………。」
もういない人、と言ったところで同僚の軽薄な態度が音を立てて引っ込められた。ぼかしたつもりだったのにヨシノのことだとすぐに察せられてしまったようで気が滅入ってうつむく。どうしてこういう時だけ察しがいいんだ。
すぐに勢いで喋ってしまったことを後悔したが、消耗しきっているところを笑い飛ばされるのは我慢できなかった。これは冗談でもなんでもなく、本当に起こっていることなんだ。少なくとも、自分にとっては。
「……だから、夜にでも、確かめられればと思って。」
昼間では周囲に人がいたりして、遠くにヨシノの幻覚を見つけてもすぐさま確かめに走ることが難しい。だが夜勤なら見回りがあるので、その時間なら一人で比較的自由に動けると踏んだ。幻覚はただの幻覚だと確かめられれば納得して落ち着けると考えたのだが、なぜかこの幻覚、今のところ昼間にしか現れない。まるで幻覚だと確かめてしまうのを心の底では拒んでいるかのようだ。
もしかしたら次こそは現れるんじゃないかと連日夜勤を請け負い、出現率の高い昼間にもその姿を探す。そのせいで睡眠不足の上、目を酷使するせいか眼球がごろごろとしてまぶたにひっかかる。
「確かめるって。よ、夜に?それ、危なくないか?だって……、」
「危ないな。」
幻覚が見える時点で危ない人だということはわかっている。急におろおろとし出した同僚の様子から、やはり客観的に見てもそうなんだなということがわかって思わず自嘲気味の笑いが口から漏れてしまう。正直言って、この状況を打破したいのかそうでないのか、未だ決めかねている。幻覚でもいいから会いたい、だなんて。
「……お前、……なんか憑かれてるんじゃねーの……?」
しばらくの沈黙のあと、同僚がいつになく神妙な顔をしてぽつりとこぼした。
「……そうだな。」
確かに疲れている。そうつぶやいて再び両目を押さえた。