4.彼女らの態度と職場
恥ずかしい。
転んだ。盛大にすっ転んだ。
いつも人っ子一人いないはずの渡り廊下で今日に限って立ち話している人がいて、今日に限っていつも注意してる段差に躓いて、今日に限って立ち話している人の目の前で盛大に転んだ。
「……。」
「……。」
「……。」
一瞬だけしん、と全ての音が止まって、誰……?さあ……?と二人の男がぼそぼそと話し合って、そのままこちらのことは無視して会話を再開し始めた。助けろや。
転んだ瞬間は見なかったことにしてくださいと願っていたのに、本当に無視されるとなるとなんだか腹が立つ。これだから魔術師は。
ヨシノはこのあとどうしようかとしばらく倒れたまま考えたが、男たちに完璧に無視されていることを利用して音を立てないようにのそりと起き上がると、姿勢を低くしたままこそこそと逃げた。ぶつけた顎と膝、そしてなんだか心までもがひりひりと痛んできた。
フィネに手当てをしてもらっていると、ミネが戻ってきた。その手には何やらやたらと長い棒が握られている。
「どこ行ってたの?それ何?」
「モップですわ。天井のお掃除用の。大掃除の時にしか使わないので、お城の倉庫まで取りに行っていたんです。」
ミネが言いながら棒を操ると、さらにしゅるしゅると長さが伸びて身長の倍くらいの長さになった。思わず「おお」と感動していると、ミネがモップの先から視線をヨシノに移した。
「そうですわ。先ほどクリスト様にお会いしましたので、伝言をお伝えしておきました。」
「あっ、そうなの。ありがと。」
フィネに言ったはずなのに、いつの間にミネにも伝わっていたのだろうと少し疑問に思ったが、そういえばフィネにだけ言ってミネに頼むのを忘れていたことを今思い出して結局は結果オーライ。
「少しお疲れのご様子でしたわ。」
片頬に手を当てて、綺麗に配置された顔のパーツを少しゆがめてそこに憂慮の色を見せる。ヨシノはそれを聞いて実はちょっと得意になった。「お前といると何かと疲れる」と護衛時代に散々文句を言われていたからだ(そして疲れ果てたようなあてつけのため息を幾度となく聞かされた)。彼はすでにヨシノの護衛を解かれてずいぶん経っているし、今度はヨシノのせいで疲れているとは言わせない。むしろ、もっと疲れろ。念願の騎士団に戻れたのにずいぶんお疲れじゃございませんこと、と今度嫌味を言いに行きたい。それまで疲れててくれるといいんだけど。
「あら?そういえばミネ、クリスト様にこちらに移ったこと、お知らせしました?」
城の方の部屋に無駄足をさせたのでは、と危惧するフィネに、ミネは落ち着いた様子で言う。
「いいえ。でも、すでにご存じでしたわ。どなたかにお聞きになられたのでしょう。」
不義理をいたしましたことを謝っておきましたわ、と付け加えられるとフィネはほっと安心したようだった。
たかだか一週間、いやクリストが任務から帰ってきてからだから多分二、三日程度のことなのに不義理とは。育ちのいいお嬢様って感じがするなあとヨシノは感心した。
「それではさっそくお掃除をしてしまいましょう。」
ミネがモップを持って動き出す。
「でもそれ、届く?」
確かに棒は身長よりもだいぶん長く伸びているが、何か台にでも乗らないと、自分たちの身長では天井までは届きそうもない。
「ええ、脚立がありましたので、それをお借りします。」
「えっ。危なくない?」
華奢な少女が脚立に立って、自分の身長よりも長いものを精いっぱい腕を伸ばして天井に振り向けるなんてとてもじゃないが危険だ。想像するだけで想像の中のミネがモップに振り回されてグラグラと不安定に揺れている。
そんな心配をよそに、双子はきょとんとヨシノを見てから同時に同じ方向に首をかしげた。
「危ない?んでしょうか。」
「いつも大掃除ではこうしていますのに。」
「ではなるべく背の高い殿方にお願いいたしましょうか?」
「力がありそうなかたのほうがいいのでは?」
顔を見合わせて相談する二人に、男の人に頼むつもりでいることがわかってほっとした。彼女らは「いつもそうしていますから」と、こともなげに答える。
誰か助っ人を呼ぶつもりなのはわかったが、手際のいいミネにしては妙なことだ。城にモップを取りに行ったついでに助っ人を伴って帰ってくれば二度手間にならなかったのに。それを聞くと彼女は当たり前のように言った。
「こちらには殿方がたくさんおいででしょう。それを、お借りします。」
……まさか魔術師をお借りするつもりだとは思わなかった。しかも脚立と同じノリで。
「いつもそうしていますから。」
必要なものを使えないわけがない。という、なんの躊躇もない様子で二人はこともなげに答えた。
うーん、まったくもって、お嬢様。