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1.突然の別れ

 聖女サマなら帰ったってよ。

 あっさりと言い放たれた同僚の言葉がよく理解できなくて、クリストは唖然と口を開けることしかできなかった。

「……は?」

「ちょうどお前いなかった時だもんなあ。ホント魔術師のやつらって、人情ってもんがねえよ。」

 常になく間抜けな顔を晒してしまっているクリストに、同僚は致し方なし、といった風情で同情するように肩を叩く。解く前の旅装が少しずれて肩に食い込んだ。

「帰還の儀は一か月後だったはず……。」

 だからまだまだ余裕があると思って少し遠方の任務を受けたし、それと引き換えにこのあと一か月は王都を離れなくて済む予定だったし、ヨシノを王都観光に連れて行ってやれる、はずだった。

「そうなんだけど。なんか、打ち合わせをするって言って魔術塔に行ったっきり。聞いたところによると、聖女サマの部屋も片付けられてるって話だし。どうせ魔術師のやつらが気まぐれかなんかで帰しちゃったんだろ。」

 お前いなかったのになあ。一番関わってたのに。ホント人情ってもんがねえよ。せめて別れの挨拶くらいさあ。

 クリストに同情するというよりは魔術師の奴らが気に食わないという割合の方が高くなってきた同僚の愚痴も、どこか分厚い膜を隔てたところから聞こえてくる。頭の中では未だ理解しきれずにいた言葉がぐわんぐわんと渦を巻いて反響していた。

 聖女サマなら帰ったってよ。帰ったってよ……。帰った……。


 通い慣れた道をほとんど無意識のうちに辿ってヨシノの部屋の前までたどり着くと、開け放された扉から整然と片付けられた室内が見えた。

「……。」

 開かれた窓から入る風にカーテンがはためく。それは見慣れた光景だったにも関わらず、なぜか誰もいないこの部屋のからっぽの空虚さを強調しているかのようにみえた。

 室内の様子は以前とほとんど変わらないようなのに人の生活している気配を感じられないのは、ヨシノの私物が無いせいだろう。もともと身一つでこちらに来た彼女は私物といえるものをほとんど何も持っていなかったが、この二年ほどの間に少しずつ増えていって、それがこの部屋をヨシノの部屋らしくしていたのだと、それらが全て取り払われた今になってクリストは実感した。――それらの中には、クリストが贈った物もあった、はずだった。

「まあ騎士様、なにかご用ですか?」

 入り口で呆然と突っ立っていたところに、後ろから声がかかる。振り向くと母親ほどの年齢の女性が布のかたまりを抱えて立っていた。家具に埃がたまらないように被せるためのものだろう。彼女はこの区画の清掃を担当しており、以前にも時折顔を合わせたことがあった。

「手伝います。」

 重そうな布を受け取ろうとしたクリストに、婦人は体を引いて大げさに「やあだ、その恰好」と顔をしかめる。彼女の視線を辿ってクリストはようやく自分の姿に思い至った。旅装は解いたものの、服はまだ帰ってきたまま。土や埃で汚れ果てているブーツで清掃済みと思われる部屋に入るのはためらわれる、というか、汚れを落としもしないでこの建物に入ったこと自体が失礼ともいえる。

「申し訳ない、急いでいて。その、フィネとミネを知りませんか。」

 すぐに場を辞しようとして、しかし本来の目的を思い出す。フィネとミネは双子の少女で、ヨシノの侍女をしていた。彼女たちなら最後にヨシノに会っているかもしれない、何か言付かっているかもしれない。いつもどちらかが部屋にいたので、ここに来れば会えるような気がしていた。結果、からっぽだったが。

「ああ。あの子たちなら、魔術塔にいるって聞きましたよ。」

「魔術塔?」

 妙な話にクリストは眉をしかめる。この王宮では政治は王、軍事は騎士、研究は魔術師の領域となっており、それらが交わることはあまりない。ヨシノは王の庇護下にあったから侍女である彼女らも王の下で働いていたはずで、魔術師と関わり合いになる理由はないはずだ。

「そうですよ。聖女様がね、急な話だったからねえ……。魔術師のところなんてあの子たち大丈夫かしらって心配よ。」

 ヨシノ関係だという婦人の言葉から、きっと何か事後処理があるのだろうことが窺えた。クリストが聖女護衛にあたって城に派遣されていたのと同様に、ヨシノ関係の仕事で魔術師のところへ一時的に派遣されているのだろう。できればすぐに彼女たちに事情を聞きたかったのだが、そちらのほうへ出向いているとなると捕まえるのは難しいかもしれない。

「……。あの二人なら大丈夫ですよ。」

 婦人はまるで我が子を案ずるような顔をしていたが、クリストのその言葉に気を取り直したようだ。

「そうね。私にできることは、このお部屋をしっかりと綺麗に保つことですからね。いつあの子たちが戻ってきても大丈夫なようにね。」

 そう言っててきぱきと覆いを被せていく様はすっかりと元気になったようでいて、しかしその言葉は彼女の動揺を隠しきれていない。

 いつあの子たちが戻ってきても大丈夫なように。

 残念ながらフィネもミネももうこの部屋に戻っては来ないだろう、なぜならこの部屋の主がもういないからだ。彼女たちは侍女であって、この部屋で暮らしていたわけではない。主がいなくなれば別のところへ回される。その単純な事実に気付いていないふりをする夫人の背中に自分と同じ痛みを感じて、クリストは何も言うことなくそっとからっぽの部屋を立ち去った。

 フィネもミネもヨシノも、もう誰もここへは戻っては来ない。

 風がカーテンをはためかせて、クリストのからっぽになった心をも通り過ぎていった。


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