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明日の朝にでも

作者: 三里志野

 こんなことも、これでいったい何度目だろう。

 私は大きな溜息を吐いてから、ビールをグビリと呑んだ。


「ディルク様にもう付き合えないって言われた」


 隣でジークが「へえ」と応え、ビールをゴクゴクと呑んだ。


「君がそんな人だとは思わなかった、だって」


 ジークは「ふうん」とソーセージを頬張った。


「あ、これ美味い。ニーナも食べなよ」


「私の話聞いてる?」


 そう訊きつつ、ジークが私の前に差し出してきたソーセージに噛じりついた。確かに美味しい。


「聞いてるけどさ、この前はもう男はいらない、結婚しないとか言ってなかった?」


「そう思ってたけど、せっかく告白されたから」


「まったく、ニーナは懲りないね」


「もとはと言えば、ジークのせいでしょう」


「俺じゃなくて、噂話なんか信じるやつが悪いんだろ」


「そうかもしれないけど……。私がジークと出来てるなんて噂、どうして皆信じちゃうのよ」


「仕方ないんじゃない? 本当のことなんだから」


 ニヤリと笑ったジークから顔を背けて、私はビールをガブリと呑んだ。

 そこにジークの手が伸びてきて、私の頭を優しく撫でた。


「ニーナの気が済むまで、俺が慰めるよ。朝まででも」


 その言葉に誘われるようにまたジークのほうを振り向くと、彼の手が私の肩へと下りてきて、そっと唇が重なった。




 ◇◇◇




 オスヴァルト男爵家の次男であるジークは、一歳上の幼馴染だ。

 屋敷がすぐ近くだったので、子どもの頃は毎日のように二人で遊んでいた。主に私がオスヴァルト家に押しかけ、ジークについて回っていたのだけど、彼はいつも優しかった。

 私は幼いうちに母を亡くし、兄弟もいなかったため、他の誰よりもジークと過ごす時間が長く、おかげで男の子のように活発な子どもだった。


 父はよくジークの両親と、将来はジークを私の婿に迎えてシェルマン男爵の跡継ぎにするなんて話していた。

 そんなこともあって、私はジークとこのままずっと一緒にいるのだと思っていた。




 私が十二歳の時に父が再婚し、二年後には弟が生まれた。

 継母との仲は良好だったし、歳の離れた弟はとても可愛かった。


 でも、当然のことながら、ジークの婿入りの話はなくなった。

 ジークは騎士になると言って、あっさりオスヴァルト家を出ていってしまった。


 いつも傍にいたジークがいなくなって、私は寂しくてたまらなかった。

 だから、私も実家を出て王宮メイドになった。


 ジークを驚かせようと王宮で働きはじめたことを内緒にしたまま、騎士団の訓練場に行ってみた。

 ジークは綺麗な令嬢たちに囲まれ、私が見たことのないような澄ました笑顔を浮かべていて、私が近くにいることに気づきもしなかった。

 私はジークに声をかけることなく、その場を後にした。




 昔、何かの行事で多くの子どもが集められた場で仲良くなった女の子が言っていた。ジークはかっこいいと。

 ジークとの距離が近すぎるあまり、それまで彼の容姿についてあまり意識していなかった私は、幼馴染が褒められたことを単純に喜んだものだった。


 あれから何年もたち、王宮でたくさんの男性を見かけるようになって改めて考えてみれば、やはりジークの顔はそこそこ整っているのだろう。

 それに背もわりと高いし、騎士としての評価も上々のようだ。

 しかも優しいのだから、先輩メイドたちまでが噂するほど女性に人気があるのも頷けた。でも、今度は少しも喜べなかった。




 数日後、ジークのほうから私に会いに来た。私が王宮メイドになったと、父に聞いたらしい。


「どうしてわざわざ王宮メイドになんてなるんだよ」


 ジークの嫌そうな顔を見て、私は理解した。会えなくて寂しかったのは私だけだったのだ。

 もしかしたら、ジークはずっと私に纏わりつかれることに辟易していて、婿入りの話がなくなってホッとしたのかもしれない。

 鬱陶しい幼馴染から離れてようやく羽を伸ばせていたのに、私がまた目の前に現れてうんざりしているのだろう。


「私だって好きなことをしてもいいでしょう。ジークに迷惑かけるつもりはないし」


「今さら辞めろとは言わないから、何かあったら必ず俺に相談しろよ」


 ジークはそう言って私の頭を撫でた。昔から彼が私によくしてきたこと。

 その手はいつの間にかすっかり大きく硬くなっていたのにやっぱり優しくて、私は何だか泣きたくなった。




 それからというもの、週に二度はジークと二人でご飯を食べた。

 おそらく私を心配した父がジークに頼んだのだろう。

 そうでなければ、一緒にご飯を食べる相手などいくらでもいるジークが、私を誘うはずがない。


 ジークは何人もの令嬢と関係があると噂になっていた。

 ジークがそんな軽い人間だったことに私はショックを受け、彼にその辺りを突っ込んで聞くことは避けた。

 女性問題を無視すれば、ジークは昔のままの優しい幼馴染だったから。


 だけどジークばかりが様々な経験を積んでいるらしいのも癪なので、私も恋をしようと決めた。


 しばらくして、王宮で文官として働く子爵家のベンノ様から告白されて、初めてのお付き合いをはじめた。

 ところが、わずか数か月後にベンノ様に振られてしまった。「君はジーク・オスヴァルトと出来ているのだろう」と言われて。

 ジークはただの幼馴染だと訴えても、信じてもらえなかった。


 その後も告白されたり、私からしたりして何人かの男性とお付き合いしたけれど、いつも同じ理由で終わった。

 ジークを好きな令嬢たちに嫌味を言われることもあった。

 私はそのたびに鬱憤をジークにぶつけ、彼はいつも私の頭を撫でて慰めてくれた。

 そもそもがジークのせいなのだから、彼に慰めてもらうというのもおかしな話なのだけど、私にはこれが一番効いた。




 ともに成人し、一緒にご飯を食べるだけでなく呑むようにもなったけれど、ジークと私の関係は子どもの頃のままだった。


 そんな中、私は結婚も考えはじめていた恋人のユルゲン様に、「あのジーク・オスヴァルトと出来てるっていうからすぐにやらせてくれると思ったのに期待はずれだった」と振られた。

 確かに、ユルゲン様とそういう雰囲気になった時に気づかぬふりをして逃げたけれど、貴族の子は婚前交渉などもってのほかと育てられるのが普通のはずなのに。


 さすがに私の気持ちも折れて、ジークとビールを呑みながら「もう恋人は作らない。結婚なんてしない」と宣った。


「それならさ、いっそのこと噂を真実にするっていうのはどう?」


 ジークの言葉の意味が分からず、私は彼の顔を見つめた。

 ジークはいつもと変わらぬ様子で私の頭を撫でた。


「本当に俺と出来ちゃえば、ニーナがこんな風に腹を立てたり傷ついたりすることはなくなると思うんだけど」


「ジークは、私と出来るの?」


「もちろん出来るよ」


 意外だった。ジークは私のことをただの幼馴染としか見ていないと思っていたのに。

 いや、ジークからすれば私どうこうではなく、女なら誰でもいいということか。


 ジークは私と同じ男爵家出身で、長い時間を一緒に過ごしたはずなのに、どうしてこれほど貞操観念が違ってしまったのだろう。

 男だからか、騎士だからか。そういえば、ユルゲン様もジークとは別の隊の騎士だった。


 とにかく、ジークのせいで私はこのまま誰とも結婚できなくて、きっと男性を知らずに一生を終えるのだ。

 だったら、ここでジークに処女をもらってもらうのもありかもしれない。

 酔っていたこともあって、私はそんな結論に至ってしまった。


「それなら、やってみせてよ」


 色気も可愛げもない言葉を吐き出した口は、次の瞬間にはジークに塞がれていた。


 その後のジークはいつも以上に優しかった。

 私を呼ぶ声が甘くて、彼に本当に愛されていると錯覚しそうになった。

 私は初めてだったのに、ひたすら気持ちよかった。




 翌朝には、私は大いに後悔した。

 ジークとあんなことをしてしまって、仲の良い幼馴染のままでいられるのかと。


 だけど、私に対するジークの態度は変わらなかった。

 ただ一つ変わったのは、二人でご飯を食べた後に毎回するようになったこと。


 ずいぶん手慣れた様子のジークには、きっと同じような相手が何人もいるのだろう。

 私の他にもジークの優しい手や甘い声を知っている人がいるのだということが、誰に振られた時よりも私を腹立たせ、傷つけた。

 ジークとこんな関係になってようやく、私は自覚したのだ。ジークを好きなのだと。


 いつからそうだったのかは、自分でもよくわからなかった。 

 ジークが家を出て会えなくなった時か、彼が令嬢たちに囲まれているのを見た時か。子どもの頃からだったような気もする。

 無意識のうちにジークを心の中に棲まわせていては、他の誰と付き合ってもうまくいくはずがなかった。

 皆があっさり私を振ったのも、それに気づいたからかもしれない。


 こうなったらもう結婚は諦め、ジークへの想いを心の奥底に秘めて、彼が求める形での関係を続けるしかないのだろう。

 ジークにとっての私は幼馴染から都合のいい相手に変化してしまったのだとしても、私に彼を拒む術はなかった。

 彼との行為が回を重ねるごとに快くなっていくものだから、余計に。




 しかし、私の決意も虚しく、ジークとの関係の終わりが迫っていることを知った。

 ジークが結婚を決めたという噂が流れてきたのだ。


 ジークが選んだ女性が誰なのかはわからなかったけれど、私は数人の候補を思い浮かべることができた。

 騎士団長の娘、伯爵家の跡取り娘、大きな商家の娘などなど、ジークの周囲には彼の結婚相手に申し分ない令嬢が何人もいたから。


 さすがのジークも婚約するまでには、他の女性との関係はすべて断つだろう。

 もちろん、私とも。身体の関係だけでなく、幼馴染としての関係も。


 ジークから終わりを告げられる日が来るのが怖くて、私は先に逃げ出してしまった。

 ちょうどその頃たまたま告白してくれた、王宮近くの食堂の跡継ぎであるディルク様と付き合うと決め、ジークに「もう会わない」と言ったのだ。

 それがよほど意外だったのか、ジークはとても不機嫌な顔になって、冷たい声で「ああ、そう」と応えた。




 ところが、ジークとの関係をすっぱり切ってお付き合いをはじめたのに、ディルク様とは一月ともたなかった。

 そして、ディルク様に振られた私はまたジークに慰めを求めた。我ながら本当に懲りない。

 だけど、ジークはそんな私を以前とまったく変わらぬ態度で迎えてくれた。

 私はもうジークに頭を撫でてもらうだけでは満足できなくなっていたけれど、もちろん彼もそんなことお見通しだった。


 きっとすぐに、あるいは明日の朝にでも、ジークとの別れが訪れるだろうことを忘れて、私は久しぶりに彼に身を委ねた。




 ◆◆◆




 気がつけば、ニーナは俺の隣で眠ってしまっていた。

 久しぶりだったから、俺はまだ全然足りていないのに。

 とはいえ、昔のままのあどけない寝顔を見てしまえば彼女を起こす気にはなれなかった。


「まあ、いいか。二度と逃がすつもりはないしね」


 ニーナの頭をそっと撫でながら、俺はそう呟いた。




 物心ついた頃から、ニーナは俺にとってたった一人の女の子だった。

 いつもニーナが俺のところに来てくれるのが嬉しくてたまらず、親同士がニーナと俺を結婚させようとしているのを当然のことと受け止めていた。


 しかし、ニーナに弟が生まれて俺がシェルマン家に婿入りする話は消えてしまった。

 俺はニーナの父と自分の両親に彼女との結婚の意思が変わらないことを告げたうえで、自分の適性を検討し、もっとも出世できそうな騎士になることを決めた。

 ニーナと離れることは辛かったが、二人の将来のためだと自分を納得させた。




 ところが、しばらくしてニーナが王宮メイドになった。

 俺を追ってきてくれたことは嬉しかったけれど、可愛いニーナを大勢の人間の目に晒すことになるのかと思うと嫌で嫌でたまらなかった。


 案の定、ニーナは文官の男に告白された。しかも、そいつと付き合いはじめた。

 ニーナも俺を好きなのだとばかり思っていた俺は愕然とした。

 ニーナが他の男と一緒にいることが我慢ならなかった俺は、その男の耳に入るようにニーナは俺と出来ていると噂を流した。男は呆気なくニーナから離れていった。

 しかし、ニーナは再び恋人を作り、俺はまた同じ噂を流してニーナと男を別れさせた。


 一方で、俺に本命がいると知った女の一人が「私はジーク様と関係を持った」と言い出し、さらに数人が「私も」と追随したらしく、俺は何人もの女と噂になってしまった。

 令嬢たちの貞操観念はずいぶん緩いものだと呆れた。

 実際のところ、俺にはニーナ以外の女は皆同じにしか見えないので、自分と噂になっている令嬢たちの名前を聞いても誰一人その顔が浮かばなかった。

 それでも令嬢たちの前で愛想よく振る舞っていたのは、子どもの頃にニーナが別の子と仲良くするのが面白くなくてその子を無視したら、後でニーナに「女性に冷たくするなんて紳士じゃない」と叱られたから仕方なくだった。




 どんな噂が立とうとニーナは俺を信じてくれるはずだし、そのうちニーナも自分には俺しかいないとわかるに違いないと思っていた。

 だが、俺を一方的にライバル視する男がニーナに手を出そうとしていたと知り、悠長に待っていては駄目だと気づいた。

 貴族の娘らしい貞操観念を持つニーナなら、一度誰かと体を繋げてしまえば相手がどんな最低男だろうとそいつと結婚してしまう。

 俺がその男にならなければ。


 妄想で何百回、何千回とニーナを汚してきたから、俺も初めてだったにも関わらず彼女にあまり苦痛を感じさせずに済んだ。

 俺の腕の中にいるニーナはいつも以上に可愛いくて、ますます愛しくなった。




 俺はニーナがようやく自分の恋人になってくれたと浮かれた。

 毎日でもニーナに会いたいのを、結婚後の生活をあれこれ考えることでどうにか我慢した。

 しかし、俺の目論見ははずれ、ニーナはまた別の男のもとに行った。


 いや、本当は俺もどこかでおかしいと思っていた。

 そもそも俺はニーナにきっぱり断られたあげく軽蔑されることを怖れて、いざという時はすぐに「冗談だよ」と逃げるべく、「噂を真実に」なんて馬鹿みたいな告白をしてしまった。

 それなのにニーナにあっさり受け入れられて、俺の真意が彼女にきちんと伝わったのか不安だった。

 だから、やはり何も届いていなかったのかとがっかりすると同時に、当然だと自嘲した。


 もちろん俺はいつもの手を使って、いや、今までより濃い噂を流してニーナから男を遠ざけた。

 こんなことも、これで最後だ。


 近いうちに、できれば明日の朝にでも、今度こそ俺の気持ちをすべてニーナに告げ、結婚を申し込む。彼女が頷いてくれるまで、何度でも。

 そう決意して、何も知らずにぐっすり眠るニーナをしっかりと抱きしめた。

お読みいただきありがとうございます。

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