途方に暮れるハンナ
西へ傾いたオレンジ色の太陽が薄い雲に覆われる頃、侯爵令嬢ハンナ・グローヴァーは公園のベンチに腰掛け疲れた顔で行き交う人々を見つめていた。
チラホラと降り始めた雪はクリスマスの街の風情をますます深め、歩く人々は顔を綻ばせる。
楽しみにしていたクリスマスがホワイトクリスマスになったからだ。
……多分、クリスマスにこんな顔をしている女なんてこの街で私ただ一人だけでしょうね
ハンナはブロンドの髪をかき上げながら自虐にも似た苦笑を浮かべ、今日学園であった出来事を振り返る。
たった数時間前の出来事だ。
クリスマスパーティーの最中、いやと言うほど見飽きた顔と声がハンナを糾弾した。
『ハンナ・グローヴァー! 私の愛する女性への数々に及ぶ嫌がらせもう見過ごせん!
嫉妬に狂った女というものは本当に見苦しい!
もういい! お前との婚約を破棄する!』
そう言えばあの男、第3王子だとか言ってたっけ?
こちらがどれだけあの男の暴虐に耐えてきたかよく考えて欲しい。
嫉妬ですって?
冗談じゃない。
国王の命令だからあんな傲慢で無能な男と婚約を結んだだけなのだ。
全くもって苦々しい。
ハンナは白い息を吐きながら小さく雪が降りはじめた薄灰色の空を見上げる。
怒りと悲嘆の余り学園を飛び出し随分と歩いてきたものだ。
そろそろ家か寮に帰らないと風邪を引いてしまうかもしれない。
……でも
ハンナは暗澹たる気持ちでため息を吐く。
どんなに出来が悪かろうと、この国の第3王子の婚約を破棄された自分に居場所などあるのだろうか。
最悪今日は野宿かしら。
ハンナがそんな貴族令嬢らしからぬ逞しいことを考えていると心地よいビブラートが耳を打った。
「あの、大丈夫ですか?」
声のする方に顔を向けると微笑を浮かべた黒服の青年がハンナを見つめていた。
年はハンナより1、2歳上の20そこそこくらいだろうか。
整った顔立ちにこの国では珍しい黒髪のその長身の青年は答えに窮するハンナに恭しく黒い外套を差し出してきた。
「お寒いでしょう。これをどうぞ」
愚物である第3王子以外とは久しく男性と口を聞いたことがなかったハンナは馴れていない急な親切に内心で動揺しながら困った顔ではにかんだ。
「……いえ、私は」
親切に対して少し冷たい言い方だったかな、とハンナが後悔する間も無く、青年は暖かい笑顔でずい、と外套をさらに差し出してきた。
「風邪を引きますよ。雪もチラホラと降ってきました。どうか私に貴女を手助けさせて頂けませんか?」
「……」
……男性というのはこんなに優しい生き物だったかしら
目の前の青年はあの男とは大違いだ。
その物言いは優しく、しかし有無を言わせぬ響きを持っておりハンナは小さな声でありがとう、と呟くと外套を受け取り羽織った。
よく見ると青年の黒い服は飲食店で働くウェイターのもののようだ。
公園のベンチから見えるレストランらしき建物を指差しながら青年は寒空に微笑む。
「私の名前はヨセフ。そこの近くの料理店のしがないウェイターですよ。不躾ながらこんなにお寒そうな淑女がお一人で居るのが見えたものですからたまらず来てしまいました」
なるほど、あの料理店から凍えそうな惨めな私が見えていたわけか。
少し頬を染めながらハンナは頷きベンチから立ち上がった。
「……そう、心配かけてしまったのね
私はハンナ。貴方は親切な方ね。お言葉に甘えるわ」