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以下の物語と連動しております。
「GLORIA」
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「愛しき者へ…」
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「早春散歩」
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4、
それぞれの油彩を、立ち止まって見入り、じっくりと味わっていた。
どれもこれもが鮮やかに懐かしく、あの頃の情熱やミナとの数え切れない語らいが、聞こえてきそうな気がしてならない。
「リン…」と、呼ばれた。その声の主を俺は知っている。
ゆっくりと声のする方へ振り向いた。
一番会いたかった人が、驚き、そして、嬉しそうな、それでいて切なそうな顔をして俺を見ていた。
「ミナ、久しぶり…会いたかったよ」
それだけ言うのが精一杯。心臓が高鳴る。
ゆっくりと近寄って、お互いの顔を見つめあった。
ああ…懐かしいな。長い事会っていないから、なんだか変な気分だ。写真は見たけれど、こんなに近くで見ると、随分たくましくなった気がする。透き通るように白かった肌も、なんだかすっかり健康的になってさ。なんか運動でもしてんのかな。だけど髪も眼鏡も昔のままで、変わんねえな~。芸術家っていうのはもっと突拍子もなく個性的な奴が多いはずなのに、ミナったら、すげえ普通に素直な子のままじゃねえか。なんだよ、目もキラキラさせてさ。昔と全然変わらずかわいいって一体なんなんだよ、おまえは。クソッ…なんか、もう6年も離れて損した気分になってきた。マジで手を離さなきゃ良かった~…もう遅すぎて笑うしかねえけどな。
「なに?」
「え?」
「なんかすげえ色々考えてない?」
「うん、まあ…なんて言ってミナを喜ばせようか、悩んでる」
「…リン、ちっとも変わってない」
「そう?」
「誰にでもそうだと思うと、なんか意味もなくムカつくのは、おれが成長してないからなのか?」
「俺は正直なだけだよ。ミナは相変わらず、素直でかわいい」
「…」
頬を赤らめてそっぽを向く仕草に、本当に全然変わってないなあと、クスリと笑う。それを見て、またミナが怒った顔を見せた。
「久しぶりの感動の再会なのに、おまえは、本当に…」
「水川」
後ろからミナを呼ぶ声がした。たぶん同級生だろう。
ミナに近寄り、「村上教授が来てるよ。挨拶行くだろ?」
「うん…でも…」
「行っておいでよ。俺は大丈夫だから」
「ゴメン。お世話になった教授なんだ。ちょっと行ってくるよ」
そう言って、ミナは背を向けた。
先に行く友人を見送ったミナは、再び俺に近づき、俺の左腕を掴んだ。
「リン、もっと…沢山話したいことがあるんだ」
「俺もだ」
「今夜はどこにいるの?」
「品川のホテルだよ。ほら、あの時、ミナと泊まった高台の…」
「ああ、覚えているよ。ねえ、リン。時間があるのならおれと会ってくれないか?今日は最終日だから打ち上げもあるけれど、早めに抜け出して、リンに会いに行くから」
「…いいの?」
「おれがそうしたいんだ」
「わかった。いつまでだって待ってる。電話をくれたらロビーで待ってるよ。番号は…昔のままだから」
「おれも…変えてない。携帯は壊れたから変えたけどね」
「一緒だ」
「じゃあ…待っててね、リン」
握り締めた俺の腕を離すミナの手を、本当は捕まえてしまいたかった。
今でも愛していると…叫びたかった。
そうしなかったのは、歳を取った所為なのか、言ったところでどうにもならない事を悟ってしまっているからなのか…
ギャラリーの最後に飾られた「GLORIA」と言う題名は、俺の肖像画だ。
こちらを見つめ笑う俺の顔を、ミナはどんな気持ちで描いたのか…それを考えると、後悔や罪悪感で張り裂けそうになる。
…ミナにとって、俺という人間の罪深さはこの絵の中にあるようで、恐ろしい。
ギャラリーの出口に設置されたポストカードや版画の販売先で、先程のミナのリトグラフを購入した。
ニューヨークの事務所と鎌倉の自宅、それに嶌谷さんの別荘に贈ろうと思った。
手続きをした時の係りの男性が、配送票を書いた名前を見て気づいたのか、意味ありげに俺を見つめ、少し笑った。
「建築家の宿禰さんですね」
「はい」
歳は慧一と変わらないか、少し上のような気がした。この人も芸術家なんだろうか。
「テレビで拝見したことがあります。アメリカの建築家の賞を受賞されたとか…同じ日本人として、誇りに思いましたよ」
声を聞いてなんだか変な気がした。
テレビで話している俺の声に、なんとなく似ている気がしたからだろう。
「ありがとうございます。だけど…俺の力なんてほんのひとかけらで…みんなの支えがなかったら、今の俺なんかいませんよ」
「…あんたみたいな見た目も名誉も欲しいままのお方の言う台詞じゃねえみたいだ」
くだけた口調になっても、ちっとも嫌味に感じない。この人の人間性なんだろう。
「芸術家も建築家も…いや、何かを創作する人は、自分だけの世界を作りたいと思っているけど、実は自分の力なんかほんの僅かで、本当は、自分の回りのすべてが自分を創っているって事なんだと思います。俺もそうです。俺に関わった人やもの、景色が、俺を創りあげた。俺は自分が味わったものを取り出し、それを捏ねて建物を生み出している。だから、もし褒めてもらえるのなら、俺じゃなくて、俺を愛してくれた人達を最初に称えて欲しいと思ってますよ…櫻井さん」
「え?」
「ココに書いてあります」
首から提げたネームプレートを指した。
「…実物なんて絵に比べりゃ大したことねえと思ったけど…これじゃ勝てる気はしないな」
櫻井さんは自分の頭を搔きつつ、小さく呟いた。
「え?」
「はい、これ、サービスね」
そう言って、売り物であるミナが墨で描いた薔薇の絵の色紙を俺に渡してくれた。
冬至が終わったばかりで、夕暮れは早い。ホテルに到着した頃には辺りは真っ暗だった。
俺は、ミナとの約束をひたすら待った。
食事もとらずにルームサービスで少量のワインとクラッカーを口に入れただけ。
あんまり暇だったから風呂に入り、その後、ベッドに寝転んだ。
俺に会いたいって…ミナはどういうつもりで言ったんだろうなあ。
ただ思い出話をしたいだけなのか。恨み辛みを吐き出して泣かれたりするのか。
…それとも縒りを戻したいなんて…
「…なわけねえな。ハハ…」
空しい笑いが部屋に響いた。
今更、戻ることなんてない。
ミナをこれ以上傷つける権利は、俺にあるはずもないじゃないか。
だけど、ミナ…変わらずにかわいくてさ。
会ったのはやぶ蛇だったかもな~
俺の左腕を掴んだ時のミナの力強さが、愛おしかった…
ミナ…ミナ、好きだよ…
いきなり枕元の着信音がなった。
うたた寝していた俺は飛び上がって、携帯を取る。
『リン?』
「ミナ、終わったの?」
『うん、今、品川の駅を降りたとこ』
「わかった。ロビーにいるから」
『じゃあ、後で』
飯は食ったのかな?時計を見た。十時を回ったばかりか。なんとかレストランも大丈夫だ。
急いでジャケットを羽織り、部屋を出る。
ロビーで少しばかり待っていると、ミナの姿が見えた。
食事はまだだと言うから、最上階のフレンチレストランへ直行した。
レストランは時間も遅かったからか、客はまばらで、一番眺めのいい席に案内された。
ラストオーダーだと言われ、「あまり食べれないかも」と言うミナの食欲も考えて、アラカルトを適当に選び頼んだ。
テーブルに並ぶ料理を「美味しい」と、嬉しそうに食べるミナに満足だった。
驚いた事に、ミナは酒に強い。フルボトルの赤ワインを殆どひとりで飲んでしまった。にも関わらず、一向に顔には出ない。頑張ったってボトル半分も飲めない俺とはえらい違いだ。
「ミナ、おまえ、見かけと違ってザルだったのかよ」
「うん、おれも飲むまで気づかなかったけどね。結構いける口みたいだよ。この海鮮のテリーヌ美味しいよ。さっきの打ち上げって立食パーティだったから、挨拶回りだけで何も食べれなくてさ。なんかやっと一息付いた感じだ」
「そう?俺は…ミナに久しぶりに逢えて、緊張しているんだけどね」
「…おれだって…」
空になった皿を片付けるウエイターが去った後、ミナは急にしおらしくなる。
「ずっとリンに会いたかった。夏の同窓会の時、リンに会えると思って…楽しみに行ったけど、リン来れなかったしね」
「ああ、あの時、急に用事が出来たんだ」
「凄い賞を貰ったんだろ?テレビで見たよ。ネットの動画でも、一杯見た…リン、立派だった」
「そう…かな」
あのテレビを見たのか…じゃあ、あの時、俺の言った言葉も聞こえていたのかな?
おまえにだけに贈った告白の意味を受け取ってくれたのかな…
「…嬉しかったよ。すごく…嬉しかったんだ」
「え?…何が?」
顔を見てあの告白を受け取ったのはわかったが、意地悪をしたくなった。
俺が知らない振りを装うと、ミナは上目遣いに俺を睨む。
「…意地が悪いね、リン。わかっている癖にさあ」
「…あの言葉がミナに伝わるのかは賭けだったけれど、言わずにはおれなかった。…受け取ってくれてありがとう、ミナ」
「お礼を言わなくちゃならないのはおれの方だ…」
グラス一杯のワインを一気に飲み干したミナは、俺の目をじっと見つめた。
「リン…今夜一晩、リンと一緒に居てもいい?」
「え?」
「確かめたいことが沢山あるんだ」
ミナの言葉の意味を、俺はどう受け取るべきなのか、混乱してしまう。