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以下の物語と連動しております。
「GLORIA」
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「愛しき者へ…」
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「早春散歩」
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5、
俺は素直にその風船を貰い、立ち上がって先程の兄妹へ駆け寄り、風船を差し出した。
ふたりは驚いたように俺を見上げたが、腰を屈めて「プリーズ」と言うと、はにかみながら「サンキュー」と、受け取ってくれた。
走り去るふたりを見送った後、ベンチへ戻ろうと振り返る。当たり前のように嶌谷宗二朗は足を組んで俺の居た場所に座っていた。
無視しても大人気ないし、それに本当に嶌谷さんの従弟なら色々興味がある。
気のないふりをして隣に座る。手を伸ばしたらすぐに届きそうな距離だ。
そいつはすぐさま俺に話しかけてきた。
「凛一くんはひとり…みたいだけど、観光?それとも散歩?なんなら俺が案内してやるよ。ニューヨークは初めてなんだろ?」
クセのない濁りのない声。悪意が潜んでいるとは思えないけど…
「…」
「なに?」
「なんでそんなに俺のこと知ってんの?」
「なんでかって?…そりゃ誠の奴からさんざん聞かされてるからな」
「せい?」
「誠一郎の事だ」
「あ、そっか。え?嶌谷さんが俺のことをあなたに話してるの?」
「ほら、見ろ」と、宗二朗さんは携帯の待ち受け画面を俺の目の前に差し出した。
俺と嶌谷さんが肩を組んで映っているショットだ。たぶんこれは体育祭の時の奴。
「奴が勝手に俺のケータイの待ち受けにしやがった」
「へ?」
「酔っ払って『俺の凛一はさいこーだあ~』って、わーわー言いながらな。あいつは滅多に酔わないが、酔うと陽気になりすぎて困る」
「嶌谷さんらしいや」
その様子がすぐに想像できて思わす笑った。
「これで疑いは晴れたかい?凛一くん」
「うん、一応ね」
「じゃあ、行きたいところへ案内するよ。どこがいい?メトロポリタンは行った?エンパイアービルやブロードウェイは?」
「俺さ…」
「うん?」
「お腹すいた。昼飯食ってないの」
宗二朗さんはぷっと吹き出し、手を伸ばして俺の頭を撫でた。
「実は俺もまだなんだ。ちょうどいい。俺の宿泊しているホテルへ行こうか。公園のすぐ傍だし、昼飯おごってやる。」
「ホント?でもいいのかな…初めて会った人にホイホイついて行くなって、きつく言われてるからなあ」
「お兄さんの慧一くんから?」
「慧のことも知ってるの?」
「誠は俺に隠し事はしないからね」
サングラスの奥の目が軽くウインクしたと思うと、宗二朗さんは俺の肩を軽く叩き、「行こうか」と立ち上がった。
有名な高級ホテルだった。
ロビーは狭かったがどの調度品も歴史の重みが感じられるし、しかも気取っていない。
エレベーターに乗ってクラブフロアへ案内される。
「ラウンジで食事もいいが、俺の部屋で食おうか。その方が寛げるし」
彼はコンシェルジュを捕まえ、何言か話し、俺を連れて部屋へ案内した。
「どうぞ、狭いけど」
想像はしていたが、ホテルとは思えない室内の広さだった。
リビングとベッドルームが別個になって、調度品のすばらしさは言うまでもなく、宗二朗さんがその風景に調和している事に驚いた。
「ここ一泊何十万もするんでしょ?すごいや。宗二朗さんって何者なのさ」
疑問を素直に口にすると、彼は笑って「ただのCOOさ」と笑う。
COOとは最高執行責任者のことだから、…この人偉いんだ…
「嶌谷さん一族ってお金持ちって知ってたけど…規模が違うね。驚いた」
「どうせ経費で落とすんだから気にするな。毎日血反吐が出るくらいこき使われてるんだ。泊まる場所ぐらいは贅沢させてもらうさ」
「社長なのに、こき使われるの?」
「うちは昔は鋼鉄機械産業が主な事業だったが、今は建設資材輸入や技術人材確保までやってる何でも屋みたいなもんだ。トップの俺がじたばたしなきゃ周りが動かねえんだからな」
「そんな忙しい人が俺みたいな小僧と付き合う暇があるの?」
「ニューヨークには3週間ほど前から来ててね。今日は久しぶりの休日で…凛一くんがこっちに来ているのは誠から聞いてたんだ。まさかあんなところで出会うとは思わなかったけどね。運命かな?」
「…まさか」
それからリビングの広いテーブルにアメリカらしくない繊細なフランス料理が運び込まれ、俺たちは向かい合ってゆっくりと食事を取った。
窓から見える景色が壮観だ。右を向けばセントラルパークの緑が鮮やかに輝いているし、左を向けば超高層ビルのオンパレードだ。
交互に見比べながら皿もよく見ないでフォークを口に運んでいると、前に座る宗二朗さんがクスクスと笑っている。
「凛一くんを眺めてりゃパンだけで満ち足りたものになるね」
食後のコーヒーは宗二朗さん自身が入れてくれた。
「あ、ブランデー入ってる」
「カフェロワイヤルにしても良かったけどね。苦手だった?」
「いえ、美味しいです」
「…凛一くんはお酒に弱いんだろ?誠が言ってたよ…見かけは美酒の似合うナルキッソスなのにね」
「俺、ナルシストかなあ~自分ではそう思ってないんだけど…」
「自分の魅力を知っているからだろう。誰彼かまわず甘い艶目で見るのは癖なのかい?」
「…知らないけど」
「誠のこともそんな目で誘ったのかい?」
「誘ってないよ。嶌谷さんと俺を疑っているのならお門違いだよ。嶌谷さんは父性愛で俺を見ているだけだよ」
「…嘘だな。おまえは誠の本当の気持ちを知って楽しんでいるじゃないのか?」
「なんで、そんな意地悪なこと、言うのさ…つうか…眠いんだけど…なんで、こん…なに…」
急に瞼が重くなった。思考回路が分断される。
駄目だ…
「なんでって…コーヒーに睡眠薬を入れておいたからだろうね。気に入った子をものにするにはこれが手っ取り早いんだ…あきらめろ…」
宗二朗さんの言葉は最後まで聞けなかった。
簡単について行くなって言っただろ!
慧一の怒る顔が瞼に浮かんだけど…
俺はソファに倒れこむように眠り込んだ。
次は慧一編「ペンテコステ」1の予定です。