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11時にはクローズだと言うので、時刻になると客もぞろぞろと帰っていく。
ついでだから店じまいの手伝いを頼み込んで、椅子の片付けや、テーブルを拭いたりして後片付けをする。
「クリスマスなのにこんなに早く閉めるの?」と、嶌谷さんに聞くと「クリスマスだから早く閉めるんだよ。お客さんには本当の我が家のクリスマスを楽しんでもらわなきゃな。君も早く帰るんだね」
「…俺、帰れないよ」
「…いいとこのお坊ちゃんだろ?家ぐらいあるだろう」
「家も金もあるけど…誰もいないんだ。広い家にひとりで居るのって結構堪えるもんなんだぜ、お坊ちゃんには」
「…親御さんは、居ないのか?」
「居るけど、色々事情があるんだよ。気にしないでよ。俺、可哀想な子じゃないし、しっかり者だから同情してもらわなくても大丈夫だよ。ただ今日は…ちょっとさ…クリスマスだし…ね、今日もここに泊まらせてもらってもいい?」
「店に?」
「うん。家じゃなけりゃどこでもいいのさ。今日だけは…家に居たくないんだ」
「…わかったよ。じゃあ、俺のところに来るかい?」
「…いいの?」
「子供をここにひとり置いていく方が心配でこっちが休めない。寝るだけなら俺ん家でも同じだろう?」
「寝るだけ…なの?」エロい目つきで返すと、嶌谷さんは呆れた顔をして、
「…大人をからかうな。全く最近の子はどういう躾されてんのか…」
「親の顔が見たい?」
「…別に」
本当に俺に対してのそういう感心はゼロらしい。
店の片付けが終わって、俺は嶌谷さんの車に乗って彼のマンションに連れて行ってもらった。
「白のFIATってかっこいいよね。嶌谷さんの趣味?」
「お下がりを貰ったの」
「誰に?」
「店のオーナーに」
「嶌谷さんの彼?」
「ばっか!違う。従弟だよ、性格の悪い、な」
「ふ〜ん。嶌谷さんって幾つ?」
「色々聞くなあ〜四十だよ」
「…案外年寄りだね」
「五月蝿いよ、少年。置き去りにされたいか」
「いえいえ、渋いおっさんは好きですよ」
環七に乗ったFIATはスピードを上げ、ネオンを虹色に見せていく。
マンションの最上階が嶌谷さんの部屋で、ベランダから外を覗くと都内が一望できる。
遠くに見えるタワーの光がクリスマスアレンジに輝いているのが見える。
「すごい。高層マンションっていいねえ〜俺ん家一軒家だからこんな景色羨ましいよ」
「寒いから部屋に戻れよ。ほら、珈琲入れましたから、お坊ちゃん」ダイニングから出てきた嶌谷さんがカップを持って、俺を呼んだ。
「それ、やめてよ」ひとりで住むには広めのリビングに戻りながら、この人は相当の財産家なのだろうと思った。
「お坊ちゃんだろ?こんなの置いていきやがって」と、今朝の5千札がテーブルに置かれた。
「…だって、お金払わなきゃ無銭飲食になるじゃん」
「残り物を食わせておいてお金を取れるかい。だいたい…もういいから、お金はしまっておきなさい」
「は〜い」俺は躊躇うことなくそれを財布に仕舞い込んで、珈琲を啜った。
「素直なのか天邪鬼なのかわかんねえ奴だねえ、凛一くんは」
「凛でいいよ。気に入った人には凛って呼んでもらう方が好きだよ」
「じゃあ凛。質問だけど、なんで家に帰っても誰もいないんだ?おまえまだ中学生だろ?誰もおまえを見てくれる人は居ないのか?それとも今日だけ居ないのか?」
こうやって面倒みてくれる人に何も話さないわけにはいかないから、事情を話した。
ひとつは俺の家庭の事を真剣に考えてくれる人が、俺の身の回りには少なすぎて、今まで誰にも相談できない状態だったから、嶌谷さんなら多分心を砕いて話すことができると思ったからだ。
俺は親父の事や死んだ姉の事、慧一が俺を捨ててアメリカに行ってしまったことを包み隠さず話した。
「酷いと思わない?俺のことなんてなんとも思っていないんだろうね、兄貴は」
「元はと言えば、凛が拒否したんだろ?もう要らないって兄さんに三行半を押し付けたのは凛の方だ」
「…それはそうだけど」
「俺は兄さんの肩を持つよ。おまえを一生懸命育ててきたのに、好奇心で好きでもない奴と寝て、それを怒ったら、もういらないって逆ギレされてさあ…俺に息子がいたら一発どころじゃないぜ」
「だって…最初に俺を捨てたのは慧の方だ」
「だから報復か?さぞ気持ち良かっただろうな」
「俺だって捨てられてすごく悲しかったよ。俺はまだ子供だし…慧は大人だろ?じゃあ俺の我儘だって聞いてくれても良かったじゃん」
「都合のいい時だけ子供になるなっつーの。本当に勝手な奴だね〜。おまえが心の底から正直に兄さんに居て欲しいって言ったなら、兄さんだって考えただろうねえ。兄さんはおまえを愛しすぎているんだよ、きっと」
「…ウソだ、よ。だって…俺を…」
「凛はどうして欲しかった?傍に居て欲しかった?」
「俺は…慧のお荷物にはなりたくなかった。でも…充分お荷物なのはわかってて…だから慧を自由にさせたかった」
「凛がそう思っても兄さんは自分から離れないって自惚れていたわけだな」
「…」
そうかも知れない。俺がいくら手を離しても、慧一は俺の手を決して離したりしないって、俺は勝手に思い込んでいて、離された現実を受け入れるのが辛くて、自暴自棄になっていたのかも知れない。
「慧一くんは跳んだとばっちりを被ったわけだ。同情するね、凛みたいな勝手な弟を持って」
「…」
「でも、そういう弟を愛してやまないわけだよ、兄さんは、ね」
「え?」
「だから凛一以上にお兄さんは辛かったんだよ」
「…」
「今度は凛から手を差し伸べる番だな」
押し付けるでもなく、諭すでもなく淡々とした嶌谷さんの言葉は、不思議に俺の心に響いてくる。
少しずつだが、俺の頑なな心を溶かしたみたいに思えて俺は黙りこくってしまった。
嶌谷さんは別室に案内してくれて休む支度を整えてくれた。
俺はベッドに横になったが、なかなか寝付けない。
嶌谷さんの言葉を反芻する。
慧一が俺をまだ愛してくれているとは信じがたかった。彼の人生において俺の存在はもう随分と重荷になってたはずだ。
慧一が俺みたいな奴を捨てたとしても、誰が彼を責めるだろう。
俺は本当に慧一に愛される資格があるのだろうか…
俺は翌日家に帰ると、自室に置き忘れた携帯の受信を見た。
慧一からのメールと電話の受信の後が何回もある。どれも俺を心配するような言葉だった。
「慧…」
俺はどうしようもなく捻くれ者で甘ったれのガキで、それでもくだらないプライドだけは一人前に持っていて、まだ素直な言葉なんて吐けやしないけど…
本当は…慧一の手だけは離したくないんだよ、絶対に…。
E−メールの返事を初めて送った。
『この間の教会の写真気に入りました。内装を見てみたいので機会があったら送ってください』
次のメールから山のように色々な教会の写真が送られてきた。
「ばっかじゃん。こんなに沢山頼んでいないのに…」
俺は笑った。
溢れて止まらない涙でその写真がぼやけて仕方なかった。