12
以下の物語と連動しております。
「GLORIA」
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「愛しき者へ…」
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「早春散歩」
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12、
七月に入り、温室で過すには一番辛い時期が来る。
俺とミナは毎日、草木の水やりや草取りに大忙しだ。勿論愛の営みも忘れない。
期末試験が近づくと、温室は自習室になる。
少々蒸すのも勉学の熱気の所為ということにして、俺たちは学生の本分を果たす。
試験が終わり、一息ついてもいいと思うのだが、目の前の夏休みに浮かれるわけでもなく、勤勉な学生達は早くも夏休みの補習授業へ関心は向いている。
それはミナにも言えることだった。
まあ、目標に向かって突っ走る事は悪い事ではない。
俺はそこまで走る気はないが…
では、俺の歩く場所へと目を向けよう。
そう…「Satyri」だ。
月村さんの事件以来、店には近づいてはいない。本当はもっと早くに嶌谷さんに会いたかった。
嶌谷さんは俺のことを心から親身になって気にかけてくれる大人だった。
あの店は中学時代の俺のホームタウンだったし、拠り所でもあったから、いつかは帰りたかったんだ。
総武線で乗り継いで、約一時間、久しぶりに「Satyri」の重いドアを開けた。
…懐かしい香りが俺の頭からつま先までを包んだ。。
低いステージの上では、バンドがノスタルジーなジャズを演奏している。
辺り一面の壁を反射してジャズの音が耳に身体に響いてくる。
ピアノの音は月村さんとは違うけれど…その音色は翳りなどない。
ただ音に漂っていたくて、暫く目を閉じたまま動かなかった。
「凛一くん!」
声をかけたのは常連のミコシさんだった。
その声に演奏が一瞬止まり、店に居た客のほとんどが俺の方を振り向いた。どうせ暗くて俺の姿ははっきり見えるわけではないだろうが…
すぐに演奏が再開されて、事無く済んだけれど、さすがに注目されるのは困る。だって一応18歳未満出入り禁止だもんなあ。
いつもカウンターの中にいる嶌谷さんの姿を探そうとしてそちらを振り向いても、嶌谷さんは居らず、姿を探して辺りをきょろきょろとしていると、「凛一」と、低い声が近くで聞こえた。
凝視して前を見る。暗がりから小走りに俺に歩み寄ってくる姿が見えた。
嶌谷さんだった。
「凛…」
嶌谷さんは躊躇いもなく俺を抱きすくめた。
「良く来てくれたなあ。ずっと待ってたよ。おまえが来るのを…」
「嶌谷さん…」
嶌谷さんの優しいぬくもりに俺は胸を打たれた。
俺はまだ見捨てられてはいないんだ。嶌谷さんの抱きしめる強さが物語っている気がした。
「本当はもっと早く来るべきだったのに…遅くなってごめんなさい。嶌谷さんにも心配かけたけれど、もう大丈夫だから」
「一端の事言うようになったもんだ。どれ、顔を見せてくれ。…益々色男になったな、凛。背も随分と伸びた。追い越されそうだ」
「あとは縮むだけの嶌谷さんと違って俺は伸び盛りだからね。すぐに追い越すよ」
「辛辣なところは相変わらずだ。それでこそ凛一だ。さあいつものところに座りなさい。今日はおまえの歓迎パーティだ」
ミコシさんや戸田さん、常連の人たちが手を振って招き入れてくれる。近寄り次から次へと抱擁とキスの歓迎を受け、俺も嬉しくなって丁寧な挨拶を返す。
いつも陣取っていたカウンターの端っこの席に座り、大勢のお客さんから歓迎を受けた。
スイングジャズで始まった「この素晴らしき世界」は原曲の「キラキラ星」に変わり、俺の好きなモーツァルトのジャズ風メドレーに変わっていく。
思わずステージを振り向くと、バンドのリーダーの新井さんが俺に手を振ってくれた。
そして他の連中も…
淡いスポットライトを浴びたグランドピアノを見つめた。
月村さんはもういない。
あのピアノに座り、軽快なジャズを弾くこともない。
だけど、俺はあんたを忘れないよ、月村さん。
あんたは傍観者ではなかった。
俺の道に美しい花を咲かせてくれた大事な人だ。
だから、言葉にしてあなたに贈るよ。
「ありがとう、月村さん」
筆者のBLブログ「auqa green noon」はこちら。
http://arrowseternal.blog57.fc2.com/
イラストも多数ございます。