20
ミナが変わった。
あれ程、頑なまでに俺に対して警戒心の固まりの意思表示で対峙していたのに、告白してからというもの、表情も接し方も全然違う。
キスしたからなのかわからないが、どうやら心の鍵は開けてくれたらしい。だからと言ってその先にほいほいと野放図に行けるほど、楽な道のりじゃなさそうだ。
あの後だって、一週間は経つのにキスは厳密に言えば二回だけ。
一度は首筋を舐めたら、本気でど突きやがった。
「な、なにするんだよ!」
「…キスしただけじゃん」
「だから…ちゃんと言わないと、恥ずかしい…だろう…」
「…」
どんだけだよ…
それでも頬を出赤らめて俺に寄り添うミナがかわいくて、愛おしくて手放せなくなってしまう。
捕まったのは確実に俺の方だな。キス以上のことはさせてもくれないクセに、雛鳥みたいに腕の中にいるミナを見ていると、そのぬくもりで結構幸せな気分を味わってしまって満足しているんだからなあ。
「リン、クリスマスの予定は?」
頭を撫でてやっていると、ふいに思い出したようにミナが尋ねてくる。
「あ〜25日は兄貴が帰ってくるから無理だけど、イブなら空いてる」
「じゃあ、うちの寮祭に来る?」
「寮…さい?」
「三年の寮生たちを送る会を兼ねてクリスマス会をやるんだって。割と大々的な催しみたい。おれも初めてだから良くは知らないけど…」
「へえ〜俺みたいな部外者が来てもいいの?」
「うちの生徒で案内状を持っていればいいって。後は…各自525円でクリスマスプレゼントを用意する。ビンゴゲームみたいなもんだよ。誰のプレゼントに当たるか判らないけど、全員に貰えるらしいよ」
「ワンコインでプレゼントは難しいな〜」
「百均詰め合わせとかになるよね。どう?リン、来てくれる?」
少しだけ頭を傾けて上目がちに見つめる。こういう頼み方をするのは本当にずるくて参るわけだ。
断れるわけがない。
「お姫様のお誘いなら、白馬の騎士は行かないわけには参りませんからね」と、言うとミナは少し不貞腐れて「おれはお姫さまじゃないし…けど、リンは白馬の騎士は似合いそうだな」と、真面目に呟くのだ。
2、3日前から回りの生徒達の俺を見る目が変わったのはわかっていた。俺を横目で見てあざ笑うように通り過ぎたり、わざとらしくこそこそと陰口を囁いていたり。
まあ、かわいいもんだ。
そんなもんシカトすりゃいいからな。
集団で来られりゃこっちも本気でお相手しなきゃならないところだが、どうやらここにはそこまで悪質な嗜虐者は居ないらしい。さすがは神様に守られているお坊ちゃん学校ってわけだ。
慧一が必死で学校探しに明け暮れていた理由がわかった。
三上が心配そうな顔で俺を教室に引っ張る。
「大丈夫か?宿禰」
「なに?」
「なんか凄い噂になってるけど」
「…別に…もう一年以上も前の話だろ?だいたいあれ、俺なんもしてないもん」
「へ?そうなのか」
「まあしょうがないよ。事件は事件だからさ」
「俺は…おまえを信じてるからな!親友!」
「ありがと」
「ところで、今度、クリスマスイブに寮祭ってもんがあるんだけど…親友のおまえに特別に招待状あげる」
「…もう、貰ったし」
「え〜!宿禰のプレゼント楽しみにしてたのに…」
「おまえには特別にキスのプレゼントをあげようか?」
「…いらない。ユミちゃんに怒られる」
「黙ってりゃわからんぞ」
「バカ、女は勘が鋭いんだよ。バレた時の事考えてみろよ。修羅場だぞ」
「そっか」
「おまえだって彼女に他の奴とキスしてると見られたりしたら、拗れるだろう?」
「…どうだろ?」
キスぐらいでミナが動じるとは思わないが…いや、前に泣いたって聞いたな…
俺もちょっとは控えめにした方がいいのかな…
今更無理だな。
今までの俺の習慣をわざわざ変える気にはならない。そういう性格がこういう事態を招くってわけなんだろうけどねえ。
クラスの大半は同じように俺に接してくれたが、時々卑猥なことを言ってはからかう輩もいた。
わざわざ当時の新聞を掲示板に貼り付けてくれた時はさすがに驚いたが、その後のお達しが効いた所為が以後は、ぴたりと止んだ。
さすがは生徒会というわけだ。
さて、例の事件っていうのは、要略すればこうだ。
ある男が森でピストル自殺をした。
彼は死に至る病魔に侵されていて長い命ではなかったが、痛みと恐怖に耐え切れず、自ら人生に幕を引いた。
同じ時、その男の住んでいた別荘で男に誘拐されたと思われる子供が裸で寝ていた。
そのガキが俺だったわけ。
ただそれだけだ。
事実を言えば、誘拐でもなんでもない。俺が付いて行ったんだからな。
裸なのは強姦されたわけじゃなくて、そうやってただ寝ていたんだからしょうがないだろう。
別に寝るのに絶対服着て寝なきゃならないって法律があるわけでもなかろう。
だいたいあれは…俺がガキだったからで…
俺がもっと大人だったら本当は…
本当は自殺なんかさせなかった。
結局俺は、何も出来なかった。それだけだ。
あの人を救えなかったのは俺の罪だ。
だからってそれに囚われて生きていたって無意味だろう。そんな事をあの人は望んじゃいない。
ただ…最後まで看てやれなかった自分が情けなく、最後に生きる意思を捨てたあの人の弱さに腹が立つだけだ。
俺を「天使」と呼んだ。
バカか。
俺は人間のガキだ。
それがわかっていなかった。
俺もあの人も。
だから…
終わったことを蒸し返しても仕方ないから、全部許してやる。
俺の目の前に亡霊はいない。
二度と俺を「天使」と呼ぶな…
羽なんかいらないんだよ。
ひとっつもな…