18
温室に行くと、水川が背を向けて、スケッチブックに夢中で鉛筆を動かしていた。
この間、ふたりで行った園芸店で選んだリンドウの鉢植えとスケッチブックの画用紙の間を、水川の目と顔が何度も行ったり来たりして夢中になって描いている。
邪魔をするのは不本意だったが、一応声をかけてみる。
「あ、遅かったね」振り向いたミナの顔がぱっと輝いた気がした。
「うん。期末の結果が良くなかったからさ、呼び出しくらってた。ミナはそういうの関係ないからな〜またトップか?少なくとも呼び出されることはないんだろうけど」
「それは…ないけど…」
「リンドウ上手く描けた?」
「どうかな」
上からスケッチブックを覗くと、鉛筆描きにも関わらす、まるで紫の花がつややかに咲き誇っているように見える。確かにこいつの絵は人を惹き付ける何かがある。
「おまえ、美大とか芸大、真面目に考えてみれば?マジ巧いと思うし、描くの好きだろ?」
「絵を描くのが好きだとか、ちょっと巧いからって、美大には入れないよ。それに、美大で勉強したって才能がなきゃ何になるんだよ。本物の芸術家なんてほんの一握りだ。絵は…趣味で楽しんでいればいいよ」
「…そう」
それが本音かどうかは俺に詮索しようもない。
未来を決めるのはこいつ自身でしかないんだからな。
「それより…おれ、宿禰に相談が…ある」
水川はスケッチブックを片付けると、俺の目の前に立ち上がって神妙な顔を向けた。
「へ?おまえが?…珍しい。ミナの相談なら何でも伺いますよ。ゆってゆって」
調子よくミナの側に近づいて、正面に向かい合う。
「…そんなに…近づくな。あ、あのさ」
「なに?」
「おれ、今まで植物とか風景とか、そういうのばっか描いてるんだけど、…あの、人を描きたいって…宿禰を…描いてみたいって思っているんだけど…」
「あ?俺?…絵のモデル?いいぜ。裸になる?俺、ガリであんま裸体に自信はないけど、ミナの頼みだったら脱いじゃう!」
「ば!…裸にならなくていいっ!なんで絵のモデルで裸になるんだよっ!」
「だってデッサンの練習なら身体の線を描きたいんだろ?裸になるんじゃないの?」
「おまえの裸なんか、描かないよ!」
「そう…じゃあ、顔モデル?俺、顔だけはいいからな〜」
「ち、がう…し」
「…ん?」
「おれはおまえの顔とか身体とかが描きたいわけじゃなくて!…おれがおまえを描きたいって意味はさ…おれは今まで誰かを描きたいって思った事が無くて…おれが自分から描きたいって思ったのはリンが初めてで…だから…その…言わなくてもわかるだろ?」
顔を真っ赤にして上目使いで俺を見つめてくる。
ああ…そう…いきなり来た…っていうかやっとその気になってくれたってわけ。
しかし素直に「好き」とは言えず、回りくどい言い方でもってくれるよなあ…
おまえ流の精一杯の告白なんだろうけど、そう簡単に受け入れるかよ。
こっちはどれだけ待たされたと思う。
「…何の話か、全然わからない。俺を絵のモデルにしたいのは了解したよ。それ以上の事は伝わらない」
「…わかっているんじゃないか!」
「ミナ、言霊って知ってるか?声に出して初めてその言葉の意味を成すんだよ。言い辛くても自分の言葉ではっきり言わなきゃ、俺の心には響かない。それが大事なことなら尚更だよ」
「…リンは意地悪だ」
「おまえの本気が見たいのさ。俺ばっか独りよがりみたいじゃないか。ほら、ちゃんと言えよ。ここまで待ってやったんだ。それ相当なご褒美を貰っても罰は当たらないと思うけどね」
「…わかったよ。ゆうよ。言えばいいんだろ!」
「ちゃんと心から俺に届くように魂を込めて言えよ。俺の扉は頑丈なんだよ。開けるには真なる言葉の鍵が必要だからな」
俺の言葉を聞くと、ミナは一旦呼吸を整えてから、少し伏せ目がちに言葉を紡ぎだした。
「おれは…どうしても自分に自信が持てなくて、おまえがどうしておれに拘るのか、いくら考えてもわからなくて…でも、おまえが選んでくれたのならって…そう思って…頑張ってみようと思ったんだ。おまえと付き合いたい。友達なんかじゃ足りない。もっと沢山色んなリンの事が知りたいって思う。おれは…リンが…好きだよ」
俺の目を見ながら言った最後の言霊が、俺の心に響き渡った。
ミナの本物の気持ちに感謝したい。
「…ありがとう、ミナ。俺もミナが好きだよ」
精一杯の言霊を返した。
ミナは少しだけ切なそうに俺を見つめてくれた。