7
翌週の金曜の夕刻、俺はひとり温室で水川を待っていた。
夏の夕刻は長く暑い。
まだ日没までには程遠く、暑さに参った草木たちに水をやりながら、なんだか少しずつ不安になってきた。
俺、すげえ独りよがりなバカやってんじゃないんだろうか…
水川は俺の事なんて何も思っていなくて、ただ傍迷惑なだけで…
…あいつからのアプローチなんて何ひとつもなかった。
俺を見て赤くなったりしたのも只の人見知りだったのかも知れない。
あれだけの顔と頭持ってりゃ、恋人のひとりやふたり居ないわけないじゃん。
俺、すげえ浅はかなんじゃないのか。
大体、ここに来てもう一時間以上経つのに来ないって事は…完璧に振られてるんじゃん。
…帰ろう…
なんかアホらしくなってきた。
ジョーロを片付けて、カバンを掴んで帰ろうと扉に向かったその時、扉は先に開けられた。
水川青弥が少し驚いた顔をして俺を見た。
「あ、来てたの…」
「来てたのじゃねえよ。俺、一時間も待って…もう来ないかと思ったから帰ろうとしてたんだよ」
「…ゴメン…時間とか言わなかったから。補習終わって一旦寮に帰って、これ、持ってきたんだ」
水川は済まなそうに謝りながら、見覚えのある紙袋を差し出した。
「この間の?」
「うん、凄く良かったから宿禰にも早く見せたくて…」
「あ、りがとう…」
受け取った紙袋からこの間の写真集を取り出す。
パラパラと捲りながら、水川の真意が全く見えないことに俺は高鳴る胸を押さえきれなかった。
俺に見せる為に寮に取りに戻ったって?
俺に早く見せたかったって?
…それって俺に好意を持ってるって考えていいのか?
それともただ友になりたいだけなのか?
グルグルしていると、水川が「あ!」と小さく声を出した。
「え?」
「ほらコレ…」
俺に近づいて手に持っている本を指差す。
クセの無い髪が夕陽に変わる硝子の光に反射して薄茶に映えた。
ドキリとする。
なんだろ…
すげえムラムラするなあ…
今すぐにでも押し倒したい気分だ。
…ったく。
なんでこいつだけにこんな気分になるんだよ。
「…でね…ね、聞いてる?宿禰」
「あ?…悪い。聞いてなかった」
「…この本について語ろうって言ったの、おまえだろ?」
「ゴメン。今度良く見て読んで完全把握しておきますので、それまでお待ち下さい」
変にかしこまって言うと、ミナはクスリと笑った。
なんだ、そんな顔も出来るのか…じゃああの時はどんな色っぽい顔をするのだろう…などと善からぬ事を想像したり…
「あ、水あげてくれたんだ。ありがとう、宿禰」
窓際のまだ小さいパキラの葉に溜まった水玉を撥ねながら言う水川の声は、とても静かだ。
もっとこいつを知りたい…そう思った。
「ミナ」
「ん?」彼は振り向く。
影になった顔が俺を見つめる。
「約束、守ってくれてありがとう。凄く…嬉しかったよ」
「…別に…俺が来たかったんだから…お礼なんかいらない…」
そう言うと、天邪鬼の水川青弥は、俺に背中を向けて懸命に照れを隠していた。
それが堪らなく可愛くて、俺は本当にこいつが欲しくて欲しくてたまんなくて、まるでクリスマスのプレゼントを欲しがるガキじゃないかと、自分を笑った。
そうして、俺たちは暇を見つけては、温室で色んな話をしながらお互いの距離を縮めあった。
俺は比較的どうでもいいくだらない話をし、水川は化学や数学の勉強を俺に教えたり。
しかし、水川は自分の事はあまり話したがらなかった。
家族の事や昔の友達の事や色々と。
俺もあんまり自慢できるような過去じゃなかったから都合が良かったんだが。
水川は、俺の話を好んで聞きたがった。
俺は4年前に事故死した姉から色々と世界の神話や物語を子守唄がわりに聞かせてもらっていた。一般的には知られていないマニアックなそれらの話を面白おかしく話してやると、ミナは目を輝かせてそれを聞く。
琥珀の宝石の輝きで俺を見る。
普段は目を合わせるのさせ、嫌がる風なのに。
俺はミナの好奇心だらけのそれが見たくて、まるで自分が作ったかのように言葉を紡ぎ出す。
ねえ、ミナ、あの砂漠の向こうをご覧よ。あの尖塔だけ細い丸い筒のような建物の中には、千匹の赤竜が住んでいて、美しいお姫様を守っているんだ。そのお姫様を娶る為には、それらの竜をひとつ残らず倒さなければならないって話を、ある旅の僧が風の妖精から聞きだしてさ…
すごい…千も居る赤竜なんて…壮観だね。
バカ、壮観なものか。火を吹くんだぜ。近づく事さえ出来やしないって。
でも、そのお坊さんは姫を助けるんだろう?
そう簡単な話じゃないから面白いのさ
本当?じゃあそれからどうなるのさ。
それはね…
まるで千夜一夜物語だ。
シェーラザードにでもなった気分だ。
じゃあ、ミナは俺のシャフリヤール王だな。
他の誰にも現をぬかさぬ様、俺は語り続けなければならない。
彼の心を射とめるまで…