第二章 輝恋 1
以下の物語と連動しております。
「GLORIA」
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「愛しき者へ…」
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「早春散歩」
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伝統と格式のある聖ヨハネ学院高等学校に、兄、慧一の鬼のような特訓の成果が実ってなんとか合格した俺は、意気揚々と入学式を楽しみにしていたが、思わぬ事故で欠席しなければならなくなった。
で、2日ほど入院。
で、今日無事退院。
アメリカの大学院へ十日間ほど研究の為、渡航していた慧一が、帰宅。
ベッドで休む俺の隣で林檎を剥いている。
「凛一、おまえよくよくついてない男だな」器用に林檎の皮を繋げたまま剥きながら、慧一は溜息を零す。
「仕方ないだろ。向こうが昔のケリを付けるって聞かねえんだから」
「だからって腕に傷つけることはない。折角ここまで奇跡的に無傷にできたものを。手負いやがって。おまえはミテクレだけはいいんだから、もっと大事にしろ」
「…どうせ、出来のいい兄貴とは違って頭はからっぽですよ。5針縫っただけじゃん。箔が付くってもんだろ。それもこっちは一切手を出さなかったんだから、褒めて欲しいくらいだ」
「ほら、林檎。特別に一個だけウサギにしてやったぞ」
目の前にデザートフォークに突き刺された皮付きの林檎を差し出された。
「…食いにくいじゃねーかよっ!」
「そっか?かわいいのに…」と言って慧一はその皮付きウサギを自分の口に入れる。
「美味い」
「良かったね」
食い終わった慧一が、またナイフを持って皮のない林檎を一口サイズに切っていく様を、俺は見つめた。
早く食いたいんだがね…
「だけど、どうして5針縫ったぐらいで入学式を休んだんだ?二日間も入院だなんて、他に具合でも悪かったのか?」
「栄養失調で点滴三昧…3日ほど、マトモに食ってなかった」
「一寸待て…俺、大学に戻る時、おまえの食事用にピザ一週間分作ってあげただろ?」
「一週間もピザばっか食ってられるかっ!二日で飽きたし!」
「…食べ物を粗末にするな」
「弟の食生活を粗末にして欲しくない」
「俺の料理に文句つけるなら…シカゴに戻っちまうぞ」
「やだっ!帰らないでくれよ、慧っ」
思わず本気で縋ってしまった。すぐに後悔したけど、遅い。
だって本当に、まだひとりにはなりたくないんだよ…
「…冗談だよ、凛。帰らないよ。約束しただろ?凛ををひとりにはさせないって。…そんな顔はするなよ」
「…かわいい弟をはめるな」
「そんなに寂しいなら、抱っこして寝てやろうか?」
「ふふ…嬉しいけど断るよ。さすがに高校生だからね〜」
慧一はとことん優しいから、お願いすればマジで寝てくれるだろうが、いつまでもそれに甘えてしまうのも成長がないというものだろう。
「ほら、アーンしな」
一口サイズに切った林檎を唇に突かれ、ヒナ鳥のように口を開けた。
「美味いかい?」
「美味くない」
そう言って俺はもう一度口を開ける。
入学式が終わって、一週間経った頃、漸く俺は聖ヨハネ学院高校の生徒として校門を潜る事になった。
門を入って中庭の中央にヨハネ像がある。
洗礼者ヨハネじゃなく、あの「主が最も愛された弟子」のヨハネの方だ。
ミッションスクールではキリストを抱くマリア像が一般的なのに珍しい為か、目を引く。
これがまた妙に良くできた彫像で…片膝を跪き、手を組んで祈りを捧げ見上げるヨハネの視線の先が、この学院のチャペルの尖塔の頂で、この頂点の像がこれまた熾天使ウリエルと言う。
聖典にも認知されていない大天使がここにおわすとは、この学院を創立した奴は相当変わり者だろう。
「我が光は神なり…か?」
昇る太陽に反射したウリエルの翼が、目を焼きつくすようだ。
一年D組の教室に行き、自分の机を探す。
クラスメイトと思われる方々が、俺の様子を伺いながらも声をかける気もなさそうだ。
好奇の目で見られることに慣れた俺は、それをシカトしながら、人の良さそうな奴に話しかけた。
「ごめん、ちょっといい?」
「あ?うん」
「俺、怪我で休んでいた宿禰凛一って言うんだけど、悪いが、俺の席を知っていたら、教えて頂けるかな?」
それはそれは、これ以上のいい人間は居ないという、柔らかな物言いで伺った。
「あ…ああ、宿禰君?」
「そう…ですよ〜」
「だったら俺の後ろの席だぜ」
「そう…ですか。ありがとう」
俺はカバンを机に置いて椅子に座った。
「カバンは後ろの棚に自分の名前があるから、そこに置いて」
「わかった」
「俺は三上敏志。よろしく、宿禰」
いきなり呼び捨てかよ。と、思ったがまあ新参者は大人しくっと…言う事で、
「よろしくな、三上〜」
ちょっと語尾に力入れたら、三上はオーバーに後ろにたじろいたフリをした。
机の中を覗くと、なにやら色々と書かれたプリントが出てくる。
「あ、悪い。なんか説明事項やらなんやら一杯あってさ。俺寮住まいだから、家が近いんなら、おまえの家に持って行って良かったんだけど、個人情報一切教えてくんなくて…あ、担任から連絡あった?」
「いや、ない」
「電話ぐらいしてやりゃいいのにな。あのジーサンボケてんのか。やる気が見えねえ〜」
「担任ってなんつーの?」
「神代って言う日本史の先生。定年間近の窓際先生だよ」
「ふーん」
「でもな、副担任がこれが…」
「起立っ!」
高音の声が教室に響いた。
俺は、教壇に立つ噂の窓際先生の姿を初めて拝見した。
「なんだ?あの人集り」
階段の前の踊り場に目をやると、掲示板の前に生徒の山。
「ああ、あれ、多分この間の校内模試の結果じゃないかな。入学式の翌日にあったんだぜ?おまえ、受けなくて儲けたな」
「美味くねえ儲け話」
「上位百番まで張り出されるって聞いたけど。…おい、長谷川」
群集から抜け出した奴を捕まえて、三上が聞く。確かクラス委員だった…か?
「トップは誰だよ」
「隣のクラスの水川青弥」
「水川か。まあ妥当なところだろうな」
「なんだ?その言い方。そいつそんなに有名人なのか?」当たり前のように吹く三上の言い方が気になって、聴き返してみる。
「宿禰は知らないんだったな。水川青弥。入学式の新入生代表で宣誓した奴だよ。同じ寮生なんで顔も覚えたし…ああ、ほら、あいつだ。あの真ん中の眼鏡っ子」
目線と顎で教えてくれた先を見る。
ちょうど隣のC組の教室から出てきた固まりに、ひとり、際立って白い子がいる。
眼鏡をした生徒は珍しくもなかったが、そいつは妙に目立つ。
一言で言えば…物憂い優等生…
翼に傷でもあるのか?裁かれてみたいもんだね…
…どういうわけか、俺は勘がいい。ここの受験だって殆どヤマ勘で通ったようなもんだ。
その俺の第六感が教えてくれる。
こいつは…俺のもんになる。
廊下に佇む俺達を横切る瞬間、ずっと見つめ続けていたのを気づいたのか水川青弥は、俺を見た。
俺は眼鏡の奥のたじろぎを見逃さなかった。