16
目が覚めた時、俺の目に映ったのは見慣れない真っ白な天井だった。
次に目に映ったのは慧一の顔。
「凛…」
「…け、い…ここ、どこ?」
まだ何か頭に靄がかかったようにはっきりしない。
「病院だよ」
「…どうしたの?」
何が何だかわからない。どこも痛くも痒くもないのになんで病院にいるんだよ。
「おまえは、睡眠薬で眠っていたんだよ」
睡眠…薬?
「…慧、泣いてるの?」
俺は慧一の顔が涙でぼろぼろに濡れているのが不思議で仕方なかった。
「どうして?…」
一体なにが起こったというのだろう…頭の隅から少しずつだが、見えないものが見えてくる気がした。
「慧…何か、なにがあったんだよ」
「何も…何もない。おまえが…帰っ…」
慧は言葉をつまらせ、両手を伸ばし俺の身体を抱きしめた。
「二度と…おまえを放さないから!おまえが逃げても追いかける。凛一の傍から絶対に離れない…誓う。だから…」
「慧…」
「生きてくれ…頼むから」
慧一の涙が俺の頬にも落ちて流れた。
俺はどうしてこの人にこんな苦しい涙を流させてしまっているのだろう。
月村さんの事は聞けなかった。聞かなくてもわかっていた…
あの人は「死」を覚悟していた。その時を迷っていただけだ。
俺に救いを求めても、結局はその決意を覆すことは出来なかった。
俺は…救えなかったんだ…
翌日、警察から月村さんの自殺についての状況や原因を色々と聞かれた。
隠すことなどひとつも無かった。
二日後、俺は自宅に帰った。
親父も叔母達も揃っていて俺を案じていた。
俺はインターネットで俺と月村さんの事が色んな掲示板に晒されている惨状を知った。
ひどく傷ついた。俺のやったことを否定されるのならまだしも、こうまでして貶める輩の気が知れなかった。
傷つく必要はないのに、やたら腹が立つ。
慧一は昼も夜も俺の傍から離れようとしなかった。
煙たがっても文句を言っても。
初めは常に慧一が傍に居ることに緊張して、言葉を交わすことが少なかったけど、日が経つにつれ、俺は月村さんの事を想い、少しずつ吐露するようになった。
「俺、救えると思ったのに…思い上がりも過ぎる。ここまで来るとバカみたいだ。慧一の言うとおりにあの人から離れれば…あの人はもっと生きていたのかも知れない」
「人を救うなんて簡単にできない。でもあの人は凛の存在に救われていた…それは確かだよ」そう言うと、慧一は俺の目の前に画集と一枚の紙切れを差し出した。
「彼の遺書だよ。凛一宛だ」
「え?」
「おまえが寝ていたベッドに…山百合の花と、これが置いてあったんだよ」
「…」
「あの人はおまえを本当の天使だと思うことで、救われていたのかも知れない…」
その画集には見覚えがあった。
月村さんが俺に見せてくれたものだ。
「凛一を天使にたとえるならラジエルだ」月村さんはその画集の天使を指差し得意満面で俺に言う。
「七大天使のひとりだね」
「そう、秘密の領域と至高の神秘の天使と言われている。この世のすべての秘密を知り尽くしてセファー・ラジエールという書を書いたんだ。ほら、よく見てみろ。凛一にそっくりだ」子供みたいな純な顔で俺を見つめる。
俺に似ているのかどうかは定かではなかったが、月村さんがあまりに嬉しそうに言うので、俺もその絵に描かれてあるラジエルの恰好を真似たりしたんだ。
あの人は本当に俺を重ねていたんだろうか…この天使の姿を。
封書にも入っていない一枚の紙切れを手に取った。
月村さんお気に入りのウォーターマンの青インクで書かれてある。
俺はその紙に書かれた文字を読んだ。
『凛一、君は何者にも束縛されない自由なる魂の持ち主だ。
故に生きていく道のりの重さを知るだろう。
僕はその道すがらに佇む傍観者にすぎない。
僕は君の姿を見つめるだけの存在であるべきだったのだろう。
どうか手を伸ばしてしまったことを許して欲しい。
あまりにもきらめく虹色の羽を欲しがったのは事実だ。
僕はその一枚の羽で満たされると思った。
ありがとう、凛一。
僕のことは忘れてくれていい。
願わくば君の糧と成りえることを。
ありがとう。僕は幸せだった。』
勝手な思い込みのその手紙は俺を怒らせた。
幸せだったって言うのなら、あなたはそれで良かったんだな。
だったら俺は望みどうり、あなたを忘れてやるよ。
あなたを喰らって消化させて、俺の血肉となるがいい。
それが永遠の解放だ。
さよなら、月村さん。
あなたの天使の凛一はあんたにくれてやる。