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俺を見た瞬間の月村さんの表情は、これ以上にないぐらいに驚き、言葉が出ない風だった。
「なに?その顔。お化けでも見たみたいだ」
「りん…いち?」
「そうだよ」
「…どうして、ここが?」
「俺、探偵になれるかも。と、言っても月村さんは証拠残し過ぎだよ。完全犯罪はあなたには無理だね」俺は例の写真を月村さんに見せた。
「ここに居るんじゃないかと思ったわけ。見事にビンゴだ!俺の勘も大したもんだと思わない?」
「凛一から離れる為にここに来たのに…その意味が無くなってしまう」
「何故だよ。俺から離れる意味って何?」
「俺はもうすぐ死ぬんだよ、凛一」
「…嶌谷さんから聞いた」
月村さんは俺の言葉に驚き、そして自重気味に笑った。
「同情してくれるのかい?君にはなにもしてやれることもない俺に…」
「月村さんには俺が必要だと思う。違う?」
「…」
「俺は医者じゃない。あなたの病気を治すことはできない。でも…傍に居て欲しいとあなたが望むなら、俺は居たいんだよ。それを同情って呼ぶんなら、それでもいいけどね」
「直にピアノが弾けなくなる。こんな俺に価値はないだろう。凛一が傍にいる理由はない」
「月村さん…どうせ死ぬのなら、あなたの好きな奴が傍に居た方が気持ち良く死ねるんじゃない?」
「…死ぬまで傍に居てくれるのかい?」
「あなたが望むならね」
「天国に導いてくれるかい?凛一」
「あなたの望むところなら、どこへなりとも連れて行くよ」
「凛一…キスをしてくれ…おまえを離したくない…」
すがりつく月村さんの身体を、俺は抱きとめた。
俺の胸で嗚咽する月村さんを哀しいと思うが、それ以上に…
月村さんの弱さをどこかで軽蔑しながら、俺は必要とされている事に自分の存在価値を見出している。
最も卑怯なやり口であなたを利用しているわけだ。
月村さんは二ヶ月前に見た時より、ひどく痩せていて弱りきっていた。
この二ヶ月間、いくつかの病院で治療方法を探していたが、静かに療養するしかないらしく、それも「生」への時間が僅かに伸びるだけで、死への道は逃れそうにない。
ならばと医師の止めるのも聞かず、昔友人から受け継いだこの別荘で、誰にも看取られずひっそりと死んでいこうと決めていたらしい。
「お生憎様だったね、俺が勝手に来ちゃったから」
「俺は運がいいんだよ、きっと。天使に見守られて死ねるなんてな」
月村さんは多分ここで死ぬと決めている。
俺はそれを止めることが出来るだろうか…それは正しいことだろうか…
俺はひとつのベッドに月村さんと一緒に寝る。
どんなに誘っても月村さんは欲情しないから、俺も半分ふざけて素っ裸になってやる。
裸になった俺は、月村さんの身体を抱きしめるようにくっついて眠るんだ。
「俺に羽があるかどうか、裸にならなきゃわかんないだろう。どう、月村さんの目と両腕で確かめてみるんだね」
「その高慢さが、天使の役得かもしれない。本当は凛一を見ているだけで、充分救われた気がしていたはずなのに…人間というものは貪欲だね。こうやって君を腕に抱いていると、このまま連れて行ってしまいたくなるよ」
「じゃあ、あなたが俺の死神になるわけだ。…別にいいよ、試してみたらいい…それで死んだら、俺は天使じゃないってあなたにもはっきりわかるしね」
俺の挑発に月村さんは真顔で、俺の首を絞める真似をする。
俺は知ってるよ。あなたにそんな勇気はないことぐらい。
ところが身体の疼痛に耐えかねて痛み止めのクスリも効かない時は、月村さんは一変する。
俺の制止も効かない。手が付けられない程に暴れて苦しがるから、俺は恐ろしくてたまらない。
このまま狂って本気で殺されるんじゃないかと思うことすら多々ある。
いや、本気でやられても、弱った月村さん相手に、俺はなんとでもかわせる力はあった。
ただ俺にはそれを払う意思が少ないって事だ。
恐ろしいことに愛してもいないこの人に手をかけられたとしても、俺は恨む気にはならないことがわかっていた。
たったひとつ気になることは、俺が死んだら、慧一はどうするのだろう…その一点だけが気がかりだった。
俺は思い余って慧一に携帯電話を掛けた。
この別荘じゃ電波は入らない。
俺は月村さんに気づかれないよう、買い物に出たフリを装い、バス停の近くで連絡を取った。
「凛一か?どこにいるんだ!」
電話の向こうの慧は俺が思っている以上に切羽詰った声で、俺は思わず次の言葉を飲み込んだ。
「凛…どうした。頼むからおまえがどこにいるか言ってくれ。おまえが旅行に行くと言ってもう十日も経つんだ。連絡しようにも…携帯の電源を切っているんだろう?凛」
「慧…は俺が死んだら泣く?」
「…何言ってるんだ。いい加減にしろよ」
「俺、殺されるかも知れない…けど、恨まないでよね。その人が悪いんじゃないんだ。俺が救えなかった罰だと思ってくれよ、慧」
「おまえが死んだら、俺は許さないから。そいつもおまえも、世の中の奴全てを許さないからなっ!凛、帰ってくるんだ。おまえが居ないと俺の生きる意味はないって…そう言ったはずだ。覚えているだろ?」
「…ごめん、慧」
「俺が守るから、戻ってきてくれ、凛…」
俺は電源を切った。
慧一の最後の懇願が俺を揺るがせた。
戻りたい…そう思った。
目の前にバスが止まる。
これに乗れば慧の許へ帰ることが出来る…
通り過ぎたバスを見送りながら、俺は慧一の哀しむ顔を思い浮かべた。
そこまで追い詰めたのは俺だ。
慧一が俺をどんなに愛しているのかわかっている。それを試す為にこんなところに来たのかもしれない…なんて、今頃気づいても遅いんじゃないか…
だけど、月村さんの為にここにいたいと思っていることも、本当なんだよ。
ごめんなさい、慧。
殺されても恨まないでくれよ。