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その年の新年は、親父も帰っていて家族3人で過ごす羽目になった。

親父は結婚を前提に付き合っている女性がいると報告し、慧一と俺はそれを祝福した。

父親の幸せを子供が願うのは当たり前だ。そしてその逆も又しかり、と、親父は言う。

「おまえ達の幸せが、死んだ母さんと私の願いなんだ。なにもしてやれない父親だが、ふたりを信じているよ」

勝手なことばかり言う親父は今に始まったことじゃない。しかし、腹も立たないし、反感すら抱かせないっていうのはこれはこれで凄い人徳の持ち主だ。

俺も慧一も顔を見合わせて呆けてしまった。


親父と慧一が自分達の居場所に帰ると、俺は俺のホームグラウンドに直行する。

今や「Satyri」の店だけじゃなく、月村さんの狭くて汚いアパートも根城にしていて、ポストの中にある鍵を開けて勝手に部屋に入り込んでも、月村さんは怒らない。

俺は家事もそこそこ出来るから、ふたりで食事をしたり、そのまま泊まる事もしょっちゅうだった。

ただ月村さんは、俺とセックスをすることは求めていないらしく、俺が誘っても本気で嫌がるばかりだ。

ホモフォビアではないらしいけど、ゲイの人たちが集まる「Satyri」が苦手だとも言う。

だからと言って、俺とのキスは嫌いではないらしい。

初めて俺からした時は、戸惑ってキレ気味に怒ったりしたけど、今では自分から求めてくれるようになった。


月村さんのキスは独特だ。

いつも躊躇いがちに俺の口唇に触れ、確かめるように何度も繰り返し、慣れた頃、その舌がおずおずと口内に入り込む。そのやり方が何かに恐れを為している様にも見え、俺は哀れみさえ覚えてしまう始末だ。

この人はどうしてこんなにもピアノ以外のすべてに、不器用なのだろう…と。


「月村さんの髭がちくちくして痛いよ。ちゃんと剃ってよ。その方が若返るし、かっこいいと思う」

「面倒臭くて毎日剃れるかい。それに髭がある方がジャズピアニストとしては箔があるように見える」

「月村さんらしくない理由だ」

「大事なことだよ。俺はピアノを弾く為に生きてるんだ。そのための見かけだったら少しは気にするさ」

「…月村さんはピアノの他に大事なものはないの?」

「そうだね…今は凛一がいれば他はいらないかな」

「俺は男だけど、いいの?」

「凛一は天使だから男でも女でもないんだ」

「…ペニスあるよ」

「現実に引き戻すなよ。夢を見せてくれてもいいだろう」

「おっさんの癖に馬鹿みたい。だいたいさ、絵に描かれてある天使だってほとんどが男じゃないか。月村さんは俺におっぱいがあったら欲情するわけ?」

「…たぶんしない」

「じゃあ、性別は関係ない。月村さんは俺とするのが怖いんだ」

「凛一を犯したら…俺は天国に行けない。君が穢されるのが恐ろしい。俺はそんなものは見たくない。だから、凛一にそんなことを求めていない」」

「あなたは誤解しているよ。俺はイノセントじゃないし、気に入った奴とならすぐに寝る奴だよ。あ、そういう俺とするのが嫌なわけだ、月村さんは」

「…そうじゃない」月村さんは俺から顔を叛けた。

月村さんは本当の俺を見ようとしない。

俺は天使なんかじゃないのに…


春になって、中学最後の学年を迎えた。

取り敢えず必要な友人の数は揃った。上辺だけだとしても、一応の学校の情報力を求める努力はしておいた。

気のいい友人達は、偽善としても俺に多少の優しさと親しみを持って接してくれる。

俺もありがたく受け取っておく。

と、言っても俺の帰るところは結局大人の中でしかなく、俺はそこで自分に還ることができた。


嶌谷さんも店の常連さんたちも俺を一人前の宿禰凛一と認め、俺は彼らの中から深く浅く闇も光も見出すことが出来た。

月村さんのピアノはまさにそれを具現化する。

月の光のようにきらめき、暗い深海にゆっくりと漂うように音を奏でる。

その音に身を任せるだけで、俺の頑なな魂の一部分が溶かされ高揚する。

そう、喩えて言うなら、いつもは隠している翼を無限に広げたい感じ。


いつの頃か時折、彼の左手から生み出される構築されたメロディのイメージが、ぽつぽつと抜け落ちるように聞こえることが多くなった。

月村さんはそれを右手で上手くカバーしているし、もともとジャズはクラシックみたいにきっちりと楽譜通りに弾かなきゃならないものでもないから、殆どのお客さんはわからなかったけど、玄人の人達は首を捻ることが多くなった。

「どうしたの?」と、聞いてみても月村さんは「なんでもない」と、言うばかりだった。


5月の或る晩の事、俺は月村さんの出演だからといつものように「Satyri」に出向く。

楽屋に月村さんの姿は無く、いつまでたっても来ない。

嶌谷さんに聞いても曖昧に誤魔化そうとするから、俺はしつこく詰問した。

嶌谷さんは渋りながら、月村さんが「Satyri」の仕事をキャンセルしただけじゃなく、契約を解除したと言う。

「何故だよっ!」

「腕が落ちたからと言うんだ。納得できない演奏をお客さんに聞かせるわけにはいかないからって。凛一も知ってるだろう?近頃の月村さんの演奏は冴えなかったじゃないか」

「だからって、辞めさせなくてもいいのに」

「止めたんだがね…せめて契約期限までは、って…」

「ここを辞めたら月村さんはどうするのさ」

「凛一、あの人は大人だ。おまえが心配することじゃない。もう月村さんに付きまとうのはやめなさい」

「嶌谷さんにはわからないんだよ。月村さんはひとりじゃ生きられない人だよ」

「だからって俺は、月村さんにおまえを選ばせないよ、凛一。これは大事なことだ。月村さんから離れなさい」

「嶌谷さんは…あの人をなにも知らないんだよっ!」





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