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「月村さん!どうしたのさ!」

「なんでもない。さっき外でちょっと転んで、腕を打ったんだよ。大丈夫、大したことはないんだ」

「ピアニストなのに、腕とか怪我しないでよ。月村さんのピアノを聴けなくなってしまったら、何の為にあの店に行くのかわからなくなるだろう?」

「…凛一君は本当に、人を喜ばせるのが上手くて、腹が立つ」

「本気で言ってるんですよ。それに俺の事は呼び捨てで結構。月村さんは休んでてよ。腕が痛いんじゃ食事の用意も無理だろ?俺、なんか作るよ」

「予定があるんだろ?俺の事はいいから帰りなさい」

「…いいんだ」

俺は台所に向かい、汚れ物を洗い始めた。

この分だと帰れそうもない。

慧一は俺を待っているだろう。

俺はまた慧一を裏切る。後悔と罪の意識に苛まれるのはわかっている。

それでも俺はここ居る事を選んだ。


逃げているだけだとわかっているんだ。


ふたり分の簡単な食事を作り、コタツの上で向かいあって食べた。

慧一の事を思うと、美味いかどうかの味がわかるわけも無く、月村さんも口数が少ないから、自然と静かな晩餐となる。

「せっかくのクリスマスなのに、良かったのかい?」

「兄貴が…待っているんだろうけど、いいんだ」

「兄さんか…羨ましいね」

「何が?」

「凛一みたいな弟がいるだけで、兄さんは幸せ者だろう」

「…俺は鬼っ子だよ。兄貴に迷惑ばかりかけてる」そう言うと、月村さんはただ黙って微笑した。


月村さんは頭痛がすると言うので、いつも寝ている部屋に布団を敷いて寝るように促した。

「凛一はただのお坊ちゃんじゃないんだな。何でも出来るし、驚いたよ」

「これぐらいは当たり前です。それより月村さんがニューヨークに住んでたっていうのが信じられないよ。なに?このせんべい布団」

「シカゴにもボストンにも居たけど、日本の畳とせんべい布団が一番寝心地がいいんだ」

「お嫁さんでも貰えばいいのに」

「…こんな駄目な奴に、誰もかまわない」

「俺はかまってもいいけどね」

薄い布団に潜り込んだ月村さんは怪訝そうな顔で俺を見た。

「君は嶌谷さんの恋人だろう?」

「え?嶌谷さん?…あはは、凄い誤解だよ。嶌谷さんは俺の親父みたいなもんだ」

「…嶌谷さんの自宅に入り浸ってるって聞いたんだが」

「…それ、嫉妬してんの?嶌谷さんに?それとも俺に?」

「…」

「俺、月村さんが好きだよ。月村さんとだったら寝てもいい」

俺は月村さんの隣に滑り込むと、肘を立てて寝ている彼を覗き込んだ。

「天使のクセに俺を地獄に突き落とすつもりかい?」

「天使でも悪魔でもない。俺は宿禰凛一だよ。それ以外にはなれないし、なる気もない」

「潔いね」

「間違っても天の御使いではないって事」


「凛一、俺を…救ってくれないか」

「何の話?」

「初めて…君をサテュロスで見た時、天使がいると思った。君の背中に虹色に輝く羽が見えたんだ」

俺は驚いた。梓と慧一が良く吐いていた言葉を、この人は同じように言うんだ。

「…俺に羽なんか無いよ」

「いや、凛一にはあるんだよ。でも天使かどうかはわからなくなってしまいそうだ…こんなに俺を誘惑する奴は天使にしとくには勿体無いからね」

「じゃあ、メフィストフェレスだ。俺と契約する?ペンタグラム無しでもご主人の命には死ぬまで叛きませんよ」

俺は月村さんの顔にぎりぎりまで近づくと、額にキスをする。

「…俺は哀れなファウストか?…俺がおまえに傅きたいよ、凛一…君は俺の光だ」

「どこに連れて行って欲しい?」

「おまえの夢でかんじがらめにして欲しい…」

「じゃあ、抱いててあげるよ。月村さんが目を覚ますまでね」

彼の胸に頭を乗せ、俺は月村さんの鼓動を聞いた。

耳の奥に響く心臓の音が俺の鼓動と重なって、和音となる。


深夜遅く、帰宅した。

リビングもキッチンにも灯りはついていない。

当たり前だ。

自分の部屋に戻ると、机にリボンをかけた箱が置いてあった。

慧一からのクリスマスプレゼントだろう。

俺はその包みを開けた。

前から欲しがっていた腕時計だった。IWCの最新モデルだ。

胸が痛い…目頭が熱くなる。

どうして慧一は俺を泣かせることばかりするのだろう。


俺は慧一の部屋の前に立った。ドアの隙間から灯りが見える。

まだ起きているんだ。

俺はドアを叩いた。

「凛一か?」

「そうだよ」俺はドアを開けないまま応える。

「…入れよ」

「ここでいい。…慧、今日はごめんね」

「…いいよ」慧一の声が近くに響いた。

ドアの向こうにいるのだろう。

ドアノブが動くのを感じて俺はそれを止めた。

「開けないで聞いてよ。プレゼントありがとう。でもあんな高価なものは俺にはふさわしくない。俺はもう兄貴の期待に応えられるような人間にはなれないから…だから、見捨てていいんだよ。恨んだりしないから…慧は自由になっていいんだ…」

ドア越しに俺の名を小さく呼ぶ声がした。

「凛…おまえを愛しているんだ」

「そんな資格、俺にはないよ」

「関係ないだろう。おまえは俺の弟だ。おまえを幸せにしたいと願うのは本能だろう。おまえが俺をどう思っても構わないよ。でも…信じてくれ。俺は凛一を愛してる」

慧一の言葉は今の俺には、あまりにも純粋に美しく輝き、それに触ることさえ適わない。

俺は、どうしようもなく腹立たしかった。

俺自身に、慧一に、愛という尊いものに…



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