最終話
オスカーエンドです。
どちらのエンドも成立するように本編は書いてあるつもりです。
ちょっと長く5000字くらいです。
今日は今年最後の日、だというのにオスカーは変わらずに実験に夢中でいる。
5年間、引きこもった地下室から出ることに成功し、ちょっとした旅を経て、オスカーは隠していた顔を人前に晒すことまで出来るようになった。
しかし、神話の美青年のように整いすぎた容貌はやっぱり目立つ。仕事に真面目な人が多い製薬研究所の所員すら、無駄に誘惑した。それは男女を問わなかった。
華やかな金髪、サファイアのように煌めく青い瞳、一切日焼けしていないことによる白皙の肌は、遠くからでも目を惹くし、どんなに近寄ってもその美貌に瑕疵ひとつ見当たらない。これで薬学者としていくつも新しい発見をした天才であり、更に水の精霊士という何でも持ちすぎな存在だ。嫉妬の感情も多く向けられた。
何でも出来るオスカーだけど、人の気持ちを慮ることだけは不得意と来ている。若しくはやる気がないのか。
オスカーは、しばしば対人関係で衝突を起こした。オスカーは天才だし美しいから何を言ってもいいよという擁護派と、オスカーなんて生意気だしとっとと地下室に戻りやがれという排斥派で、所員が真っ二つに割れたりもした。
私はオスカーの助手として、両者の橋渡しに奔走した。もしかしたらオスカーの策略なのかな?と思ったりもしたけど、私は研究所内での立場を確実なものとした。
また、少しずつながら、薬学について勉強は進んでいる。私は子供が結構好きなので、子供が飲みやすい薬を作りたいという目標がある。オスカーは、そんな私に不器用な優しさを見せてくれるのも大いに心の支えとなった。
「ねえオスカー。約束しましたよね? 年末のお祝いくらいはゆっくりしようって」
「うん……ごめん、あとちょっとで終わるから」
オスカーは、もう何百回目かの手順を素早く行う。ちょっとずつ用量や材料を変えて、最良と思われる組み合わせを目指し、何度も繰り返すのだ。オスカーは、病気の皇太子のための新薬開発グループに参加するようになったけど、自分の研究も続けているので働く時間は長くなった。だから、研究所内は移動しているけど研究所外には出かけていない。
「この辺の器具、洗っておきますからね」
「ありがとう」
使用済みのシャーレや何かを私は流しに持っていく。部屋の角で、雪豹の姿のカンパニュラと、三毛猫の姿のオスカーの精霊、ブローディアが毛繕いをしあっていちゃいちゃしていた。
『あん、大精霊さまぁ……私、幸せ』
ブローディアはすっかりカンパニュラに懐き、いつも子猫のように甘えている。サイズ的にはブローディアは小さすぎるくらいだけど、猫科同士なのでまあ似合ってると言える。
カンパニュラも満更でもないようで、ブローディアに胸の辺りをフミフミされて、喉を鳴らしていた。大精霊になったカンパニュラは、全ての精霊の母的存在だ。毎日その懐に甘えられるブローディアは、ガン決まりに幸せなんだろう。忙しい日々の癒しの光景である。
器具を洗って、ぼんやりカンパニュラとブローディアを眺めていた。
「終わったよ! お待たせ!!」
オスカーが大声をあげる。
「じゃあ行きましょうか、ご飯はちゃんといっぱい用意したんですよ」
「う、うん。ありがとう」
オスカーは白衣を脱ぎ、その辺にかけた。今日はオスカーを私の部屋に招待している。研究所の敷地内だけど、初めて呼んだ。
世の中のほとんどの人は、家族と過ごす一年最後の日。私には家族がいないし、オスカーの両親は遠くに暮らしている。だから寂しい者同士、一緒に過ごそうかという流れだ。
人が誰もいなくなって閑散とした廊下を通り、うっすら雪の積もった中庭を歩く。
「寒い」
「オスカーはコートを持っていないんですか?」
「ないね。僕は室内専用なんだよ」
「よくわかんないですけど……」
自分の身をかき抱くように腕を組み、震えてるオスカーを見上げる。私よりかなり背が高いオスカーに貸せる服なんてない。仕立てるように言っても、中々やらないだろうなと思った。
「どうぞ」
「お邪魔します」
私は自室の黄色のドアを開けた。春からここに来て、すっかり冬になったので家具やなんかも揃ってまあまあおしゃれになってると思う。オスカーは、くるっと中を見回してから、ポケットに手を突っ込んだ。
「はい、これあげる」
小さな丸型フラスコに、コルク栓をしたものを差し出してくる。中に入っている溶液には、星のような結晶が浮遊していた。
「何ですかこれ?」
「……手ぶらで人の部屋に行くってのも悪いかと思って、作った。中身は硝酸カリウムと塩化アンモニウムと樟脳とか」
「すごい……ありがとうございます」
溶液の内容はともかく、忙しいオスカーが気を遣ってくれたことが嬉しかった。いつの間に作ったんだろう。
「天気や気温によって結晶が変わるから、その日の服装の目安になると思うよ。君は、僕と違って出かけるんだから」
オスカーは寒さのせいか、色白の頬を紅潮させていた。でもその肌はいつも過不足なく潤っている。何も塗らなくても無駄に美肌だ。
以前、秋に差し掛かった頃、肌が乾燥した私を見て保湿剤を作ってくれたときは例のごとく微妙な気持ちになったけど、この溶液は素直に喜べた。私も段々おかしくなってるのかもしれない。
◆
「君って、料理本当に上手だよね。なんで目分量であんなおいしくできるのか本当に不思議」
食後のコーヒーを淹れる私を、オスカーは不思議そうに眺める。食器洗いはオスカーとブローディアが買って出てくれた。
「オスカーのお母さんだって、いちいち計量してなかったんじゃないですか? 家庭料理ってそんなものです」
「確かに計ってなかったけど、おいしかった」
「たまには会いに行ってあげたら良いんじゃないですか?」
「ええ……」
オスカーは形の良い眉を寄せる。オスカーのご両親は、色々あって遠方の地で酪農家をしているらしい。だから向こうは移動出来ない。
「ちゃんと手紙ではやり取りしてるし、いいよ」
「まだひとりじゃ遠くまで行けないですか?」
「それもあるけど……未だに独り身だから、みじめじゃん。僕の姉なんてもう3人も子供産んだのに……姉に何て言われるか……昔から頭でっかちのもやし野郎っていじめられてたのに」
オスカーはお皿を置いて、こめかみをおさえた。初めて聞いたけど、姉が怖いらしい。
「コーヒーを飲んだら、年越しの花火を見るのに外に出ましょう。そろそろ時間ですよ」
話題を変えようと、私はなるべく明るい声を出した。それからオスカーの防寒用に毛布も持ってくる。
かなり冷え込んだ外に出て、花火が上がるという市街地の方向を向いて待つ。闇夜に、私たちの呼気が白く滲んだ。
「やっぱり寒いね。デイジーも一緒に毛布に入る?」
毛布を肩からかけているオスカーが、何でもないように片腕を広げて誘ってきたので私は胸がギュッと痛くなった。
「いいんですか?」
「君の毛布じゃん。一緒が嫌なら君だけで使っていいよ。僕は大丈夫だし」
「嫌じゃないです」
毛布を外そうとしているので、私は慌ててオスカーに背中を預けた。運動なんてほとんどしてないはずなのに、意外と硬質な感触が背中に伝わる。オスカーは頻繁に地下室の水槽で泳いでるからかもしれない。後ろから抱かれる形で、肩にふわっと毛布がかかった。
「僕もこの方が温かい」
「そうですか」
私は平静を装って返事をする。私の鼓動がばれなければいいなと思う。
私とオスカーは友人関係ということになっている。以前オスカーに、友達だと思ってると言われたからだ。でも、友達同士でこんなことをするのかは良くわからない。私はちゃんとした友達なんて居なかったし、オスカーにも居なかった。
「なんか、君ってサイズ感が丁度いいね。ずっとこうしてたいくらい」
「もう、何言ってるんですか……」
私のため息が白く煙った。オスカーは、人と接することすら避けてたから距離感が変なのだろう。首に腕を巻き付けられたまま、私は緊張でぴくりとも出来なかった。
「オスカーって、変な人ですよね」
「まあね、良く言われる」
「でも、オスカーの顔はかっこいいじゃないですか。何とかオスカーの気を惹こうとしてる人いっぱい居ますよ」
「そうだけど」
相変わらず顔がいいことだけは、絶対に否定しないオスカーに笑う。揺るがない事実ではある。
「私は、オスカーほど放っておけない人を見たことがありません。何かせずにいられないし……この気持ちを何て名付けたらいいでしょうか?」
「さあ。未定義の他人の気持ちを勝手に名付けられるほど、僕は偉くない。ちょっとそういうのは、まだ早いと思うよ」
オスカーは急に早口になった。この話題を避けようとしている。でも私はやめなかった。
「私はオスカーが好きですよ。特別に」
言い終わると、沈黙が訪れた。降り積もった雪は色んな音を吸収しているんだろうか。背中は温かいのに、オスカーが何も答えてくれないから世界にひとりきりになってしまったかのように寂しくなる。
「何でそんなこと言うの……」
苦しそうな声が頭の上から聞こえた。ダメなんだ。血の気が引いて、ただでさえ暗い視界がもっと暗闇になった。オスカーはやっぱり友達で居たかったのかもしれない。空虚な思いで、立っていられない気がした。背中は支えられたままだけれど、今は気まずい。
ふっと真っ黒な夜空が明るくなり、いくつもの花火が上がり始めた。遅れて、お腹に響くような低い音が響き渡る。
「は、花火が終わってから、僕から告白しようと思ってたのに」
「え?」
花火が燃え尽きたあとの隙間に、オスカーが何か言った。ショックのあまり、都合の良い幻聴を聞いたのかと思う。
『にゃはは!オスカーだっさ!先に言われてるじゃない!』
ブローディアの声がして、目の前に氷の粒が花火のように弾ける。そこには、『おめでとう』と書かれていた。
『まあオスカーには無理だっただろう。どれだけ待っても言い出せそうもなかった』
カンパニュラも姿を現して、あきれたように言い放つ。
「ううっ。だって、次に振られたら僕、絶対立ち直れないよ、死ぬまで地下室だよぉ……」
何か頭の上でごちゃごちゃ言ってるオスカーに、方向転換して向き直る。なんだか頭が混乱して、寒さなど感じない。
「オスカー……私をどう思ってるんですか?」
「僕だって好きに決まってるじゃん!!」
顔を赤らめてオスカーは叫んだ。びっくりする程の大声で、雪の中庭にこだました。周囲に誰かいないか確認したくなる。
「そりゃ、お互いはっきりとは言ってないけど、最近は週に1回は夕食一緒だし、もう完全に付き合ってるからまだいいかなと思ってたけど、今日みたいに部屋に招かれて手作り料理食べさせられたらもう結婚するしかないでしょ」
「えっ、そこまで?!」
そこまではまだ考えていなかった。そして付き合っているとも思っていなかった。私の反応に、オスカーの顔が急激に青ざめる。薄い唇が震え出した。
「じゃ、じゃあ何、結婚もする予定なしに好きとか言うの?僕ってまた勘違いしてたの?」
オスカーのトラウマを刺激したようで私は慌てる。オスカーは、付き合ってもいなかったどこかの伯爵令嬢に振られたのもあって引きこもった訳だけど、こういう感じだったんだなと妙に納得してしまう。美形を極めた顔で、異常に純情なのはやめて欲しい。
「あの、結婚しましょう」
「いいけど、絶対離婚しないからね」
「しませんよ、何ですかそれ」
もうロマンチックさの欠片もない。花火は終わっていた。それでもオスカーのサファイアみたいな瞳は潤んでいて、保護するべき美しさがある。
「お願い、絶対最後まで一緒にいて。君に振られたら、僕は生きていけない」
「私もおんなじ気持ちですよ」
お互いに手袋をしていない手を取って握る。冷たいかと思ったらオスカーの手は温かかった。興奮してるのかもしれない。
手を引かれて、私はオスカーの胸に収まった。
「オスカーって、体温高いんですね」
「燃費が悪いんだ……それより、キスとかする?」
「え?」
顔を上げてしまって、しまったと思う。目が合ったけど恥ずかしくてすぐに視線をずらす。
「ま、まだ早いですよ」
「いつならいいの?明日?」
「バ、バカ!感覚がめちゃくちゃすぎる」
フフッとオスカーが笑った。
「僕にバカなんて言っていいのは、君だけだよ」
「もう……」
オスカーって、こういう人だなあと改めて実感する。めちゃくちゃなんだけど放っておけない。ダメなところも含めて好きだと思う。
「あとさ、僕の両親に会ってくれる?一緒なら堂々と会いにいける」
「それはもちろん行きますよ」
オスカーの両親には会ってみたい。息子さんを下さいって言えばいいんだろうか。それからオスカーが苦手としてるお姉さんからも、守ってあげなきゃ。
「これからは、二人で色んなところに行きましょう。私が引っ張って行きますから」
本当に結婚する前に、きちんとデートくらいはしたい。オスカーに外出用の服を着せて、お店でお食事をして、それから、ユーゲンベルク周辺のきれいなものだって一緒に見に行きたいなと思う。
「……うん。わかった。デイジーと一緒なら行けると思う」
自分に言い聞かせるみたいに、オスカーは何度も頷く。その振動が伝わってきておかしかった。
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