罠
「カンパニュラ! 大丈夫?」
太い矢は、地面に突き刺さった衝撃でまだ震えている。私はカンパニュラの分厚い被毛をかき分け、矢が貫通したはずの怪我を探す。
『問題ない。私の体にはデイジーしか触れないし干渉出来ないから、矢など効かない』
「あっ、そうだったね」
慌ててしまったけれど、確かにカンパニュラの体には傷ひとつなかった。ただ見た目だけ貫通したらしい。
『それよりデイジー、済まなかった。私の警戒が足りないばかりに』
「ううん、私が不注意だった」
私は足を引っかけた縄を外し、辺りを見回す。この縄を引っ張ると仕掛け矢が発射される仕組みだったようだ。矢には毒が塗ってあると思われる。誰かが獣を捕えるために仕掛けたんだろう。
『こういうものがあるのか……。覚えたから、今後は探知して進む。地面に設置してあるならわかるぞ』
「うーん、でも本当は人間がかからないように細工するんだよね」
『何?』
「人間が間違って罠にかからないように、人間の頭の高さくらいに糸を張りめぐらせるとか。人間の背の高さの獣ってあんまりいないし。それか、罠注意の木札を立てるのが狩人の常識なんだけど」
でもそんなもの一切ない。これじゃあ罠を仕掛けた本人だって間違って引っかかる可能性がある。
『……デイジー、その矢を拾ってついて来い。直接本人に文句を言うぞ』
「本人? わかるの?」
『こっちだ』
カンパニュラは方向を変えて、のしのし歩きだした。私は矢を拾って、急いで後ろを追う。
『許せん……!! 私ならデイジーがどんな怪我をしようが毒を浴びようが治せるが、デイジーが痛い思いをするだろう。許せん!!』
カンパニュラは怒りで毛が逆立っている。罠の常識のことなんて黙っておけばよかったと思った。
何か既視感があると思ったら、子供の頃に養護院であった事件だ。養護院にいた子が、村の学校で男の子を殴ってしまった。その男の子のお母さんは凄まじい形相で養護院に乗り込んできたのだった。許さない、どんな教育をしてるんだと――
やがて麦藁で葺いた三角屋根の家が見えてきた。あんなの私の村にもない、古風なつくりだ。風見鶏が風に揺れてキイキイ鳴っている。玄関まであと30歩くらいで、カンパニュラに合わせて足を止める。
『矢でも石でも投げてやれ』
「えっ、そんな?!」
知らない人の家にいきなりものを投げるのは良くない。でも不用意に近付きたくない、おどろおどろしい雰囲気がある家だ。これ以上カンパニュラに心配をかけたくないので私はその辺から松ぼっくりを数個拾った。
「えいっ」
軽い松ぼっくりを、玄関先に向けて投擲する。軽くてかえって難しいけど、何とか狙い通りに3個、玄関に続け様に落ちた。その途端、扉が内側から開く。黒い大きな犬が吠えながら飛び出てきた。迫力に体がびくっと反応してしまう。やばい、いきなり近寄らなくて良かった。
「ドーリス、あいつか?」
黒い犬の後ろから、体の大きな男性が出てきた。黒い髪が肩まで伸びていて、髭が顔の半分を覆っている。あと、むき出しのナイフを持っている。やばい人だ。
「あのー!! 突然すみません!! お話があります!」
私は矢を捨て両手を上げて、彼らに声をかけた。とりあえず平和的に交渉したい。私なんて非力なただの少女に見えるし、カンパニュラの姿は彼らに見えないから、いきなり襲ってはこないはずだ。
予想を超えて、男の人は目を見開いて数秒固まった。そして首を動かして、私を上から下まで何度も眺める。
「だ、誰だ?! どこから来た?! こんなところに?!」
「デイジーといいます。フューゼン村から、旅の途中です」
「そ、そんな遠くからひとりで……?」
男の人はとりあえず私が危なくなさそうだと判断してくれたのか、犬をなだめながら、ナイフを鞘に納めた。良かった、話が通じる人だ。世の中にはトムみたいに、言葉が通じるのに話が通じない人がいるけど、この人は見た目よりまともかもしれない。
「はい。それで、あっちに罠を仕掛けたのはあなたですよね? 狩人なら目印くらいつけてもらえません? 私、顔に大怪我負うところでした」
「なに……?!」
私が持ってきた矢を見せると、男の人は大丈夫かというくらい目を見開き、再び固まった。この距離でもわかるくらい血の気が引いている。
「ごめん、申し訳ない……怪我は……いてっ」
少しよろけながら男の人が足をこちらに踏み出してこようとしたとき、小さな礫のようなものが男の人の顔に当たった。周囲にいつの間にかハート型の葉の植物が生い茂り、実の部分から種を発射している。
「いて、何これ」
「ごめんなさい、私の精霊が! カンパニュラ!やめて!」
いつの間にか私がお母さん役みたいになっている。
『報いだ』
「もう十分だから!」
カンパニュラは牙をむき出し、噛みついてやりたそうな顔をしている。私以外には、カンパニュラの体に触れられなくて本当に良かった。植物での攻撃がかわいくて良かった。
「き、君、精霊の加護を受けてるのか?! 植物ってことは大地の精霊?」
「ええまあ……すみません、最近急に活発になってこんなことを」
「すごいよ!! 君は精霊に愛されているんだね! すごい力じゃないか!! 千年に一度のとてつもなく強い精霊だ!! 植物をこんなにあっという間に成長させるなんて伝説級だよ!」
カンパニュラは誉められてヒゲをピクピクさせている。満更でもなさそう。そして私も嬉しい。
「はい、カンパニュラはすごいんです。それじゃ、さようなら」
「待って! 迷惑かけたお詫びにお茶でも!!」
うちの子自慢をして帰ろうとする私を、男の人は引き止めた。お茶、と聞いて少し心が揺らぐ。そういう文化的な味は久しく口にしていない。カンパニュラが見つけてくれる湧水と果物の水分で今の私の体が構成されている。
「俺が焼いたやつだけど、パイもあるから、寄っていかない? そして少しだけでも、精霊さんの話を聞かせてくれないかな?」
「いえ、そんな悪いですから……」
パイと聞いて涎が出そうになったけれど、断腸の思いで背を向けた。
『デイジー、食べたかったら食べていけばいい。急ぎの旅じゃないんだ』
私の進路を防いでカンパニュラが優しくそう言ってくれた。まさに天の声に聞こえる。
「え、でもカンパニュラのイチゴがあるし」
『栄養が偏っているだろう、そのくらい私にもわかっている』
「……やっぱり、少しお邪魔していっていいですか?」
くるっと軽快に方向転換をして、男の人に向き直った。よその食べ物を食べたらカンパニュラが嫉妬しちゃうかと思ってたけど、大丈夫そう。
「大歓迎だよ!お客さんなんて久しぶりだなあ。あ、申し遅れたけど俺はザシャ」
ぱっと笑顔になって、ザシャさんは近寄ってきた。手を差し出しているけど、背が高くてがっしりしているので少し怖い。大きな男の人はトムのせいでダメかもしれない。
「えっと、デイジー? 悪いけど握手してもいいかな? 家に入る前にそうしないとうちのドーリスが吠えてしまうから」
「あっはい」
ドーリスとは戸口で警戒を崩さない黒い大きな犬だろう。私はスカートで手を拭いてから彼の手を握った。ザシャさんは、大きくて固い手のひらだった。相当な手練れ――的な。
「ああ、すごい。これが精霊の加護を受けている人の手なんだ……何だか心が暖かくなる」
「いえ、手は普通だと思います」
ザシャさんは、蜂蜜色の瞳をキラキラ輝かせて、憧れのような眼差しで私を見てくる。初見の印象より若いかもしれない。20代中頃か後半くらい。
「でも話しているだけで心が浄化されるようだよ! さあどうぞ、入って」
「はい……」
村の外でいちから人間関係を作るとこんな感じになるのかと呆気に取られてしまう。精霊ってすごいんだなあ。飼い主と握手をしたことで認めてくれたのか、尻尾を振ってくるドーリスにも挨拶をして家に入った。
中はふわっと温かった。今日は春でも肌寒い日なので、暖炉で燃やしている薪の薫りがした。