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私の精霊が本気出した結果  作者: 植野あい
ザシャエンド
49/50

終幕②

「デイジー?」


 呼ばれて反射的に振り返りると、蜂蜜色の瞳が、ぱっちりはっきり開いてこちら見ていた。


「何で俺の部屋にデイジーがいるの?」


 体を起こしたザシャさんは率直な疑問を投げかけてくる。多分、寝ぼけてる。私は賭けに出た。勝手に部屋に入って、意味もなく引き出しを物色していると思われたくない。なかったことにしたい。


「こ、これは夢ですよ!」


 しばらく瞬きをして、ザシャさんは微笑みを浮かべた。


「なんだ、夢か……」

「そう、夢ですよ。それでは私はこれで」

「行かないで」


 退室しようとする私を、ザシャさんが哀しそうに呼び止めてきた。


「ここに来てよ、ねえ」


 ザシャさんは山と積まれた枕に半身を預けて、広いベッドの空きスペースをポンポンと叩いた。


「そ、そんなのダメですよ!私はドーリスじゃないんですよ!」


 ふと気になってドーリスの姿を探すと、部屋の角に、綿がたっぷり詰め込まれた大型犬用のベッドがあった。もうドーリスも眠かったのか、お腹を出して寝ている。


「わかってるよ。ドーリスとは一緒に寝ないよ。おいで、デイジー」

「ダメですよ、そんな、そんなの」

「ダメか……」


 すん、とザシャさんは鼻を鳴らした。


「やっぱりデイジーは来てくれないんだ、夢でも」

「……!」


 私は、この部屋を去ることが出来なくなった。足が、いつかのように動かない。ザシャさんの潤んだ瞳があまりに切なくて、物悲しくて、胸が締め付けられた。少しだけ。少しだけ添い寝して、ザシャさんが寝たら、そっと抜け出して自分の部屋で寝よう。


「し、仕方ないですね……」


 なるべくさりげなく、夢であるかのように私は振る舞う。自分が大それたことをしてるとわかってる。でもこれは、夢だから。


「わ、来た。すごい夢。おいで、もうちょっと」

「もう、私は野良犬じゃないんですよ」

「うん、世界一かわいいよ。おいで」

「すぐそういうこと言うんですから」


 腕を広げているザシャさんの胸に、酔った勢いで飛び込んだ。そのままぎゅっと抱き締められて、体温とか、いい匂いとか、情報がいっぱいで頭がくらくらした。


「デイジー、愛してる」

「あ……」


 しばらく、あ……という言葉しか出て来なかった。それだけで心が埋め尽くされてるのに、まだ頭の上から愛の言葉が降ってくる。ザシャさんは、ドーリスにも同じことを言ってるとわかってるのに、嬉しくて全身が溶けそうになった。

 こんなに近付いたら、ダメってわかってたのに。もうザシャさんの光の精霊の効果なんて関係ない。そんなのじゃ抑えが効かないくらいに、自覚してしまう。ザシャさんが好き。


 ずっと前から、初めて会ったときから、あの家に入ったときから予感があった。私はこの人を好きになるだろう。

 でも、私とは絶対に釣り合わない人だろうという予感もあった。


 だから、ザシャさんの優しい眼差しを居心地の悪いものとして、たくさん理由をつけて自分の感情を拒んだ。たまたま私がザシャさんを助けたから、好意を持ってくれているようだけど、それだけだと。ザシャさんにはもっとふさわしい人がいるはずだ。


 だけど、もうこの場所を誰にも譲りたくない。


「ザシャさん」

「うん」


 顔を上げると、警戒心の全くない笑顔が私に向けられていた。私の臆病で、卑屈な心が溶けてしまう。


「好き」


 私の胸の奥底にあった、単純で、ものすごく我が儘で強い気持ちが言葉になる。ザシャさんの蜂蜜色の瞳の虹彩がじわじわと潤んで、流れ落ちそうに見えた。


「俺の方がずっと好きだよ」

「……キスしてって言ったら、してくれるんですか?」

「いいなら」


 私は黙って、ザシャさんの頬骨から顎にかけて、指先でなぞる。私とは違う、引き締まったこの貌がすごく好き。目を閉じると、確かめるように恐々と、温かい感触が唇に降り注いだ。初めてだから良く知らないけど、ちょっとくすぐったかった。ザシャさんはキスまで優しい。


「ほかの人にこんなことしたらダメですよ」

「しないよ」

「もうダメです。心配だから、生命の樹の実を使います」

「うん、デイジーがくれるなら食べるよ」


 冗談なのに、ザシャさんは大真面目な顔で頷く。酔ったザシャさんはおかしい。人懐こくて、無防備で、誰にでもついていきそう。


「それを食べたら、俺と結婚してくれる?」

「うん」


 私は即答してしまってから急に恥ずかしくなって、ザシャさんの胸に顔を埋めた。ザシャさんは酔って変なこと言ってるだけなのに、そうなったらいいなと思う。


「俺だって、デイジーを一人占めしたいよ。誰にも渡したくない」


 私を抱くザシャさんの腕に、少し力が入った。


「俺、本当に大事にするよ」


 ザシャさんが結婚相手を大事にしない訳がない。こんなに誰かを愛したがっている人に、愛されたらどんなにいいかと思っていた。


「泣かないで……嫌?」


 ザシャさんに言われて、私は泣いてると気づく。ザシャさんのシャツを濡らしてしまっていた。


「嫌じゃないです。でもザシャさん、これは夢ですから」

「うん……」


 ザシャさんが頭を撫でてくれて、ベッドに溶けそうに気持ち良くなった。




 ◆



「デイジー」

「へっ?!」


 目を開けると、気まずそうなザシャさんと目が合った。昨日、途中まで外していたボタンを上まで全部閉めている。僅かにカーテンの隙間から光が漏れている窓を見る。これって、朝――


「申し訳ない、本当にごめんなさい。酔ったからって俺は何てことを……」

「いえ、私こそ酔ってる人のベッドに……」

「デイジーは悪くない。だけど未婚の女性に不名誉なことをしてしまった。もし、もし良ければ責任を取らせて欲しい」


 ザシャさんの顔は少し青ざめていた。そういえばザシャさんは、女性と同室で寝たら責任を取らなきゃいけないという、貴族ルールのようなものを、旅の間も大変気にしていた。でもそんなの私に適用しなくていい。


「嫌です、そんなの」

「嫌か……ごめん。使用人には固く口止めするから」

「こちらこそ、ごめんなさい」


 痛む頭を下げて、謝罪するけど時は戻らない。信じられない。あのまま、朝まで寝てしまった。


「カンパニュラ!どうして起こしてくれなかったの?! 出てきてよ!!」


 音もなく、カンパニュラが大きな雪豹の姿をベッド横に現した。


『起こせと言われてないし』

「言ってなくても、私の心なんかわかってるでしょ?! なのにどうして…」

『わかってるから、起こさなかった。酒の力を借りたとはいえ、やっとお互いに素直になったんだから、いいかなと』


 私の喉がひゅっと鳴った。それ、ザシャさんの前で言う?――ていうか今、お互いって言った?


『ザシャ』

「は、はい」


 固まっている私を放置して、カンパニュラはザシャさんに迫力ある顔を向けた。


「お前が夢の中の出来事だと思っているそれは、ぜーんぶ実際にあったことだぞ。だから責任取りなさい」

「あ……!!」


 ザシャさんは掠れた声を出したけど、私は叫び出しそうになった。靄のかかっていた記憶が鮮明によみがえって、頭がかち割れそう。精神的なものなのか、二日酔いのせいなのか知らないけど。私、昨日、なんて大変なことを―――


『お前たち二人は、前から会えば心の中で好きだ好きだとうるさいのに、全然きちんと口に出さないから、いつ言ってやろうかと思っていたぞ。ああ、やっとすっきりした』


 カンパニュラは満足そうに目を細め、太い尻尾を振った。そして勝手に消える。私が文句を言う前に。


「デイジー」

「………はい」


 名前を呼ばれて、私は首を痛めた人のように、ゆっくりザシャさんに振り向いた。カンパニュラの姿が見えなくなると、こうするしかない。顔を赤らめたザシャさんが、私の手を取る。


「夢じゃなくて、すごく嬉しい」

「う……あ……どうでしょう、カンパニュラの嘘かも」

「精霊は嘘がつけない」

「そうですね」


 多分、私の顔の方が赤い。顔を見られるのが恥ずかしくて、ザシャさんの胸の辺りを凝視する。広くて、温かくて、すごく良かったなと思い出してしまった。


「もっとロマンチックな雰囲気で言いたかったけど、俺の気持ちは昨日言った通りだよ。結婚してくれる?」

「でも、私なんかじゃ……」

「大丈夫だから。デイジーが俺を好きでいてくれるなら、あとは俺が支えるから、何も問題ない」


 低くて落ち着いた声が、特別な説得力で私を勇気づける。ザシャさんがそう言ってくれるなら、絶対だと思えた。もしザシャさんの腕が届かないときは、私が支えればいい。


 一応、名前を変えたときに、ザシャさんの遠縁の伯爵家の娘という身分になったので表向きだけは問題なくなっていた。


「はい。これから、よろしくお願いします」


 結構、きちんと返事をしたつもりだったのにザシャさんはおかしそうに笑い出した。


「昨日デイジーが、うんって言ってくれたのすごくかわいかったよ。これから夫婦になるんだから、もっと砕けて欲しいな」

「そ、それはそのうち……」


 夫婦という言い方も、昨日の記憶がはっきりしてるらしいザシャさんにも、恥ずかしくてそわそわしてしまう。私は忘れて欲しい。


「デイジーは感情を隠すのが上手いんだね。俺は人の気持ちを読むのが得意だと過信していた」

「ザシャさんだって、隠すの上手いですよ」


 私の行動は忘れて欲しい一方で、ザシャさんの昨日の甘くて、情熱的な雰囲気は忘れられない。あれ、正気では耐えられないかもしれない。


「そう? 出来てた? 俺がどんなに仕掛けても顔色ひとつ変えないから、歳上の友人らしく振る舞ってたつもり……。でももう隠さなくていいんだね」

「えっ?」


 ザシャさんは、私を勢い良く抱き締めて、そのまま後ろに倒れた。柔らかいベッドが衝撃を吸収して、私はザシャさんの上に乗った体勢になる。


「あ……あの……」

「顔赤くなってる。かわいい」


 こんなことされたら、誰だってそうなると思う。私の乱れた髪を梳かすザシャさんの手が耳に触れた。


「や、あの」

「かわいい」


 もう限界、もう一回お酒でも飲まないと心臓が限界迎えそうと思ったとき、ガタッとドアの方向から音がした。


 誰か来たのかとザシャさんの体の上で跳ね上がりそうになる。踏まないように横にずれて振り向くと、黒犬のドーリスが、ドア下部のフラップをくぐって侵入してきているところだった。


 ドーリスは、重大な使命を背負っているかのような顔つきでベッドに駆け寄ってきた。


「ドーリス、ありがとう」


 首輪に挟まった小さな紙を見つけたザシャさんが、ドーリスの頭を撫でてそれを広げた。こんなことをするのは、ザシャさんのご両親だと思われる。


「何て書いてあるんですか?」


 緊張感を持って訊ねるが、ザシャさんは笑って手紙を私にも見せてくれた。そこには、流麗な文字でこう書かれていた。


『そろそろ婚約祝いのお食事をしましょう。こちらは用意できています』


 お見通しといった感じで、すごく気恥ずかしい。


「これ、母さんの字だよ」

「……今思うと、フローラさんは、昨夜の時点でこうなると予測されてたかもしれないです」

「嵌められたかな。やけに俺に飲ませるなあと思ったんだ」


 お互いに顔を見合わせて苦笑する。私たちがモタモタしてるのを見て計画したのかもしれない。私に、楽なドレスを送ってくれたのも含めて。


「母さんも父さんも、デイジーが家族になったらいいのにとはずっと言ってたから、すごく喜んでくれるよ」


 社交辞令かと思ってたけど、認めてくれていたんだと嬉しく思う。優しく、時に厳しいザシャさんのご両親は二人ともあまりに理想的なので、あり得ないと決めつけていた。孤児だった私は、家族というものに憧れていた。


「ねえ、カンパニュラ。出てきて」

『何だ?』


 どうしても直接言いたくて、カンパニュラを呼ぶ。姿を現さなくてもカンパニュラはいつも私を見守ってくれているし、心を見ているけれど、ふわふわの毛皮に触れたかった。指先が白と黒の、輪状の模様に埋まる。


「さっきはごめんね、大好き」

『わかっている』


 カンパニュラは朝の空のように、透き通った青い瞳を細めた。

ここまでご覧頂きありがとうございました。

ザシャさんルートは完結です。


オスカーエンドはまだちょっと時間かかりますが書いています。

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