決着
拳に伝わる確かな感触。時の流れが遅くなったかのように、私はひとつひとつの瞬間をはっきりと知覚した。
トムの顎に私の拳が当たったことによって、トムの頭の骨全体が揺れた。トムの目が、開いたままぐりんと上を向き白目ばかりになる。脱力した体が、バランスを保てなくなって不格好に後ろに倒れた。頭を地面にぶつけた鈍い音。
呆気ない――あまりに呆気ない、私の勝利だった。
ずっと勝てないと思っていたトムを見下ろして、私は次にどうしたらいいのかわからなくなる。9歳のときに養護院に連れられていったら11歳のトムが居て、目が合った瞬間髪を引っ張られて、泣かされて、取っ組み合いもしたけど、抵抗しても無駄だと無意識に刷り込まれてきた。
色々と解放された、のかもしれない。
『もうやめて! トムを殺さないでよ!!』
白ウサギの姿をしたトムの精霊、ミリカが姿を現して駆け寄った。小さな前脚でトムの顔を叩くがピクリともしない。息は一応あるようだけど、失神してるんだと思う。
『トム! トム! やだあ、起きてよお!』
ミリカをぼんやり見ている私の傍らに、カンパニュラが大きな雪豹の姿を現した。私の腰くらいの体高があり、白い毛並みに広がる輪状の模様は、いつ見ても迫力がある。そのカンパニュラは、のしのしとミリカに近付き、極太の前脚で軽くミリカをはたいた。
『邪魔だ』
『きゃん』
ミリカはボールみたいに、簡単に転がされる。カンパニュラとの体格差は圧倒的だ。というか、実力もそうなんだろう。転がされてもミリカはすぐにトムの元にウサギらしい、跳ねるような動きで戻った。
『殺すならまず私から殺しなさいよ! 絶対呪ってやるから!』
『ふん、すぐに浄化してくれる』
カンパニュラは、ミリカの丸っこい体をまた転がした。それがおもちゃのボールみたいで、まあまあ哀れを誘った。
『デイジーの同情を誘いおって、この……』
『わーん! 新しい大精霊様は慈悲がないよお、弱者にひどいよお』
『お前らが、デイジーにやって来てたのはこういうことだろう!』
『もうしないから!許して!』
私は、それを聞いてカンパニュラの行動の意味を理解した。仕返しとしてミリカをいじめてた訳じゃない。どうせ精霊の体は仮のものだから、叩いたってダメージはない。
「ミリカ、いいのね? 精霊の約束は絶対なのにそんなこと言って」
『……いいわよ。元々私は、あんたなんかに興味ないし。トムがデイジーに関わろうとするときは、力を貸さないって約束するわ。ていうか、私が止めるから。私はトムさえいればいいの』
ミリカはつぶらで真っ黒な瞳で私を見つめてきた。
ミリカが約束してくれるなら、これでいいのかもしれない。精神体である精霊は、約束を破らない。約束を破るということは、自分が自分であることをやめるようなものだからだ。トムを説得して改心させるなんて無理だとは思っていたし。
『では許してやるとするかな』
カンパニュラが蔓性の草でトムを縛り上げ、満足げに口元を膨らませた。
「終わりって、みんなに教えてあげなきゃ」
『うむ』
大将であるトムを討ち取ったと知らせれば、にわか作りの反乱軍は意気消沈して降伏するはずだ。何と言っても、風の英雄としてトムの戦力は圧倒的だった。
私はトムを引きずって、ザシャさん、オスカーと合流しようとする。
『ちょっとぉ、もっと大事に扱ってよね』
ミリカが文句を言いながらぴょんぴょんとついてくる。途中から風でトムの体をちょっと浮かせてくれたので縛った蔓を引っ張るだけで楽だった。
まだ乱戦になっている所に近づくと、ザシャさんが槍で周囲を薙ぎ払い、オスカーがぐるっと氷柱を生やして一時的な囲いを作る。
「ザシャさん! オスカー! 私、やりましたよ!」
二人は、私を見てちょっと驚いた顔をした。それから笑って応える。カンパニュラは強い光を明滅させ、遠くまで信号を送った。
「じゃあ後は、ザシャさんお願いします」
ザシャさんが槍を地面に突き刺し、頷く。
「諸君! 私は皇帝陛下の命を受けたザシャ・エーヴァルト・ラインフェルデンである!」
ザシャさんの声は荒野の隅々まで響き渡った。カンパニュラが風を操り、声の波長を遠くまで送っているのだ。これはオスカーの発案で、事前に少し練習した。
「トム・ブレヒトは捕らえた! こちらには二人の精霊士がいる!諸君らに勝ち目はない!」
打ち合わせ通りの内容を話しているだけだが、ザシャさんは流石の貫禄だと思う。貴族らしい美しい発音と、低く説得力のある声には強い求心力があると思う。
無駄な血を流さずにこの戦いを終わらせるには、きちんと区切りをつけて締めなければいけない。
私が合図すると、カンパニュラが頷いた。大地が唸り声を上げ、私たちの数歩先に亀裂が走る。鮮烈な泥土の匂いと共に、私たちと反乱軍を遮る地割れが発生した。軽く勢いをつければ越えられそうだが、暗い地底はぽっかり口を開けてあちらとこちらを明確に隔てていた。
「地割れを越えて私に向かってくる者は、直ちに首を斬り伏せる!その場に留まるものは降伏とみなし、刑を軽くする!」
数百人はいるように見える反乱軍は、ザシャさんの演説を聞いて戸惑っていた。だが、諦めきれない数人が奇声をあげて、白刃を構えたまま突進してこようとした。
「はあ。馬鹿なやつら」
オスカーの指示により、ブローディアが高圧の水流で男たちを押し返した。かなりの勢いで吹き飛ばされ、人垣にぶつかる。元より誰もこちらに来させる気はない。そして、誰ひとり逃がしはしない。下手に逃がすと、自暴自棄になって強盗などになる可能性がある。風の壁で反乱軍を囲んだ。
先ほどの光の信号で、騎馬兵を先頭に、国軍が地鳴りと土埃をあげて駆け付けてきた。決着が着くまで待機してもらっていたが、彼らの人数も相当なものだった。捕縛は彼らに任せる。全員降伏ということで、ザシャさんの演説通り刑は短くされるはずだ。
「やっと終わったね。もう身体中砂だらけだよ。僕、その辺で水浴びしてきていい?」
「いいんじゃないですか?」
オスカーがしきりに体を払ってそう言った。確かにオスカーの白晳の肌は汚れていて、全然似合わなかった。私も出来たら水浴びしたい。
カンパニュラが不意に、色とりどりのデイジーの花を一斉に生やして、風で花びらを舞い上がらせた。みんなぽかんと、夢みたいな光景に目を疑っている。
「カンパニュラ……恥ずかしいんだけど」
『どうせあの野蛮な男どもには何の花かなどわからんだろう』
◆
反乱軍を無事全員取り押さえ、合流した国軍と合わせて大軍団となった私たちは、ようやく帰路につこうとする。結構な馬車の行列なので、道が渋滞しないよう編隊を組むのに時間がかかった。
この国境沿いの何もない辺りからまず王都に行き、皇帝陛下と光の精霊士にトムを引き渡す。光の精霊士によって、精神的な何らかの罰が与えられるらしい。
トムは、馬車の準備をしている最中に目を覚ましたけれど、すぐに事態を理解したのか、一切口を開かず無言を貫いていた。
一応見張っていた私だけど、段々と気まずさが打ち勝ってきた。幼なじみが縛られている側にいるなんて、妙な気分になる。どこかに行こうかと足を踏み出し、じゃりっと靴音がしたとき、トムが勢い良く首を動かした。
「待て。デイジー、少し話をしてもいいか?」
「な、何……?」
トムの両手は縛ってある。だけど何と言われても、解くつもりなんてない。久しぶりに声を出したからかトムの声は掠れていた。




