王宮の庭で
王都までの数日の移動の間に、私とオスカーはすっかりザシャさんに飼い慣らされた。馬車に乗ってるときはともかく、ザシャさんが歩けばその後ろを、ザシャさんの愛犬ドーリスと一緒にただついていく。
旅程については何も考えていない。ザシャさんの後ろをついていけば宿も休憩場所も全く問題ない。
ユーゲンベルクから王都の道のりは、人の往来が多いので、宿場町みたいなのがぽつぽつとある。でも、ザシャさんはちゃんと調べておいてくれているので、泊まるのはいつもベッドがきれいで、ご飯がおいしい宿だ。本当にザシャさんが同行してくれて良かったと思う。
ときどき、頼まれて薬師のまねごとをするくらいであとは順調な旅路と言えた。
今も、ザシャさんの予定通りに、美しい泉のほとりで昼休憩を取っている。ここは、おいしい炭酸水が湧いているので旅人の休憩に人気の場所らしい。
深い緑に囲まれ、ときおり涼しい風が吹き抜ける。その近くで火をおこし、ハムとチーズを挟んだパンを焼き網に乗せて炙っている。私が熱視線を送っていると、中のチーズがとろけて、下の炎にしゅわっと落ちた。
「はい、デイジーの分。焼けたよ」
「ありがとうございます」
私は、ザシャさんが私のお皿に乗せてくれるのをじっと待っていた。格子模様に焼き色がついたパンは香ばしい湯気を上げている。
「僕のは?」
「オスカーのはもうちょっとかな」
オスカーも大人しくお皿を持って待っている。その横には、ザシャさんの愛犬、ドーリスまで三角座りをしている。この平和なときがずっと続けばいいのにという感じだ。
「はい、オスカー」
「おいしそー! やっぱ焼き立てはいいね! 外で食べるのもおいしいし」
オスカーは、もうフードを被るのをやめた。ただの100万年にひとりの美青年になった。整いすぎた容姿は人目を集めるけど、ここはユーゲンベルクから離れてるし、旅をしてなんだか吹っ切れたようだ。
それに馬車の中の会話でオスカーに言われたけど、誘拐された人物などと勘違いされるのはすごく嫌、そんな単語聞きたくもないらしい。オスカーは、かつて片思いしてた人を、身代金目的で拐われたことがある。その人は無事だったけれど、もう思い出したくないようだ。
私はカリッと焼けたパンを齧り、とろけるチーズとハムの肉汁を堪能した。昼時に人里を通らないときは、こんな風にザシャさんは軽食の材料をいつの間にか用意している。本当にザシャさんはすごい。
「二人ともすごくおいしそうに食べてくれるから、作り甲斐があるよ。時間と道具があればもっと色々作りたいけど」
蜂蜜色の瞳を細め、ザシャさんは追加のパンとソーセージを焼き始めた。その背後から、野ウサギがぴょこんと顔を出す。ザシャさんの、光の精霊の恩恵のせいだろう。いつも癒される雰囲気があって、人だけではなく動物まで集まる。
「このウサギ、捕まえていいのかなあ?」
大食いのオスカーは、冷酷にウサギに捕食者の目を向けた。
「いや、オスカー。ウサギ肉は長時間煮込んだ方がおいしいから、今捕まえても」
「僕、干し肉ならすぐ作れるんだけどね。前に実験したんだ。体中の水分を奪ってさあ。それで砕いて煮込めば……」
「水の精霊士だとそういうことも出来るんだな」
かわいいウサギを前に、ザシャさんとオスカーはひどいお話をしている。ウサギは大きな耳をそばだて、熱心に自分が食べられる話を聞いているように見えた。
ただ、私はウサギを見るとトムを思い出してしまうので、パンを咀嚼しているふりをして口を閉ざす。昔、トム本人から聞いたが、トムについている風の精霊の姿はウサギなのだ。だからトムはウサギだけは絶対に食べない。
結局ウサギは捕まえなかった。
翌日、私達一行は王都に到着した。ユーゲンベルクよりも歴史を感じる街並みで、灰色の石造りの建物が目立つ。街の中心には、青空に映える真っ白な壁と、鮮やかな黄色に塗られた窓枠が豪奢な王宮がそびえていた。玉ねぎのような丸い屋根を中心に、尖塔がいくつも連なっている。遠くからでも見えるくらいに、王宮は大きく高いようだ。
今回は非公式の謁見なので、私達は旅装のまま王宮の敷地へと進む。ザシャさんが、ラインフェルデン家の紋章みたいなのを見せたら衛兵はすぐにかしこまり、案内役の騎士を連れてきた。
「庭で会うことになってる。だから、すぐに終わるよ」
ザシャさんはぽつりと、私とオスカーに説明する。私達が少し緊張しているのを察したんだろう。
「もしかして、ここは既に庭ですか?」
生け垣が迷路のようになった細い道を歩きながら、私はザシャさんに質問した。
「庭の一部だね」
「そうですか……」
王宮が広いのは遠くからでもわかったけど、庭の広さも異常なくらいだ。私の想像する庭とは全然違った。ユーゲンベルクの公園より広いんじゃないかと思う。
広大な庭を進むと、ドーム状の屋根が付いた休憩場所のようなものが目に入った。
「あのガゼボで、お話しようって言われてる」
ザシャさんはその、カゼボ――を指差した。今初めて聞いた単語だ。乳白色のガラスの屋根には、多分色ガラスが花のように嵌め込まれている。色ガラスと思いたい。いくらなんでも宝石ではないはず。それらを支える白い柱には花々が巻きついている。天上人が、ロマンチックな恋の噂話でもしそうな雰囲気があった。
そこにザシャさん、オスカー、私と並んで座ると変な感じだった。
『舐められては困るから、出ておくか……』
カンパニュラが私の横に大きな雪豹の姿を現して、ガゼボの屋根の下は生き物の密度がすごく上がった。カンパニュラは、雪のように白に、黒い斑点がある分厚い毛皮もあって、体の幅は私の倍くらいだ。オスカーの膝にはちょこんと三毛猫の姿をした水の精霊、ブローディアが現れて、緊張するオスカーをなだめている。
しばし待っていると、従者に日傘を差してもらいながら、皇帝陛下らしき人がやって来た。その後ろには、騎士がぞろぞろと3人ついてきている。
「皇帝陛下、ご機嫌麗しく存じます」
ザシャさんが立ち上がって挨拶をした。
「久しぶりだな、ザシャ。そちらが精霊の女王、デイジーと大精霊カンパニュラ、それから水の精霊士、オスカーか。ついに会えて嬉しいよ。公式の場ではないから楽にしてくれ」
ザシャさんの伯父であり、皇帝陛下であるその人は、意外と柔和な笑みを浮かべた。でも、日傘の作る影の下、真っ黒な髪と、灰色の瞳は少し怖くも見える。微笑を絶やさないのに貫禄と威厳がとてつもない。
黄色の肩章のフサフサした紐を揺らしながら、陛下は静かに着席した。ザシャさんの隣だ。
「ふむ。これが、話に聞いていた光の精霊の恩恵か。すごいものをもらったな」
「私には加減が出来ず、申し訳ありません」
陛下は気持ち良さそうに深呼吸した。それはわかる。ザシャさんはひとりで大森林並みの癒しの気を発している。
「構わぬよ。うちの光の精霊士は、私に何かしては不敬だからと何もしてくれないからな。新鮮な気持ちだ」
そう言って陛下は、背後に立っている騎士のひとりを見た。ザシャさんから聞いてはいた。王宮勤めの光の精霊士、アゴストさんだ。肩に精霊が乗っているからすぐわかる。小さなフクロウの姿をした精霊は、私と目が合ってボワッと羽根を膨らませた。
「さて……本題に入ろう」
皇帝陛下は中央の卓に両手を置いて軽く指を組む。
「精霊の女王、デイジーよ。あなたの望みは?」