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森の秘湯

『これからデイジーはどうするつもりだ?』

「えっと、人の多い都市、ユーゲンベルクに行こうかなと。身を隠しやすいし、仕事も見つかるでしょ」


 私はトランクを開けて、地図を広げた。ここ数年で急に栄え、花の都とも呼ばれるユーゲンベルク。ここから馬車で2週間以上の距離だけど馬車って結構遅いし、馬車が通れる街道は遠回りだ。私の足で森の中を突っ切ればもっと早く着けると思う。


『悪くない判断だな』


 カンパニュラは地図に顔を近付けて、ふんと鼻息で地図を吹き飛ばしそうになった。地図の見方わかってるのかな?


『準備が出来たら早く行こう』

「うん」


 私は朝食の続きを食べて、残りは布にくるんで地図と一緒にトランクに詰めた。


 カンパニュラは太い足を優雅に動かしてさっさと歩きだす。その尻尾は楽しそうに揺れているから、私も釣られて足が出た。歩いてみたら、歩き続けるのは簡単だった。


 私を振り返ったカンパニュラの瞳は、澄み渡った冬の空みたいに青い。雪豹の姿なのであまり表情はないけれど、嬉しそうに見える。


「一緒に歩いてくれるの?」

『そうだ、これからはなるべくそうする』

「嬉しいけど、カンパニュラは疲れないの?」

『精霊が疲れるわけないだろう』

「そういうもの?」


 本当に急にカンパニュラは優しくなった。もしかして、村にいるよりも森にいる方がいいのかもしれない。大地の精霊だから、自然が多い方が。多分。


 私はわざと拓けてない森の中を歩き続けた。正直お金は全然足りないし、カンパニュラが一緒に寝てくれるなら寒くない。


『今夜も野宿か?』


 歩き続けて日が沈む頃、カンパニュラが少し心配そうに聞いてきた。


「そうね、そのつもり」

『若い娘が2日も森の中は良くないな。少し街道に出て宿を探したらどうだ?』

「いいの。カンパニュラさえいれば私はいいの」

『……し、仕方ないな』


 カンパニュラはちょっと足を止めて、青い瞳で虚空を見た。少し間があって、左斜め前に歩いていく。


「カンパニュラ?」

『ここに地下水の流れがある』


 地面が激しく隆起したかと思うと、土砂が収縮していく。


「ええっ?!」


 大穴が出現した。土砂を圧縮して固めたのかもしれない。岩盤みたいなもので固められたその穴に、一箇所からものすごい勢いで水が湧き出てきている。いや、湯気が立っているから水じゃなくてお湯だ。見る間に透き通った泉が完成――もしかしてこれは幻の温泉、というやつかもしれない。


『あと、デイジーが良く使っていたのはこれだったな?』


 泉の周りには、サボン草とカモミールの白い花が一斉に咲いた。体や髪を洗うのに便利な植物だ。


「す、すごい!ありがとうカンパニュラ」

『私には大したことじゃない』

「もうずっとここに居ちゃダメ?」


 温泉があるし、食べ物にはイチゴなどがある。もう面倒な人間界に戻らなくても良さそうに思ってしまう。


『ダメだ!人間はすぐ堕落する!こうなるから、あんまりやりたくなかったんだ!森に居着くのは絶対にダメだからな!』


 唸り声とともにカンパニュラは太い尻尾を当ててきた。不機嫌そうに振り回している。


「わかったわよ……」


 私は汗をかいた服を脱ぎ、下着になった。ふと、鹿か何かの鳴き声が聞こえて手が止まる。森の中で裸になるのはやっぱり無防備で、少し気になった。普通の獣ならまだしも、万が一魔獣が来たら面倒なことになる。


『……茨で囲うか』


 カンパニュラは温泉の周りに茨の茂みを生やした。細い枝にトゲがたくさん生えて、絡まるように伸びていく。私の身長を超えるくらいの高さにまで伸びたので、獣もそう簡単に入って来られなさそう。


「あ、すごい安心。ありがとう」


 私は全てを脱ぎ捨て、人生初の温泉に浸かってみた。歩き疲れた足先がじんとしびれて、ため息が出る。


「気持ちいい……カンパニュラは入らないの?」

『私には不要だ』


 確かにカンパニュラの雪のように白い毛並みには、輪状の模様が鮮やかに描かれているだけで汚れひとつない。


「カンパニュラ、今さらだけど聞いていい?」

『何だ?』

「カンパニュラって男なの?女なの?」

『ああ、精霊の性別は人間とは違う。大精霊様だけが精霊を産む。私はどちらでもない』

「そうなんだ……」


 どちらでもないとはいえ、大精霊様と精霊の関係は、蜂の女王蜂と働き蜂みたいだなと思った。確か働き蜂はみんなメスらしいから、カンパニュラもどちらかというと女子なのかもしれない。聞こえてる声はすごく低いけど。


「ふふふ……」

『どうした?』

「ううん、何でもない。温泉気持ちいいなーって」

『そうか。不潔にしていると、心が廃れる。なるべく毎日きれいにしていろ』

「カンパニュラってお母さんみたい」

『何だと?』


 居たことはないけど、お母さんがいたらこんな感じだったのかなと、湯気越しにカンパニュラの青い瞳を見た。




 それから更に何日間も、森の中を移動し続けた。太陽の位置で確認しているので、方向は一応間違っていない。


「明後日くらいには、ユーゲンベルクに着くはずよ」

『そうか。いい加減に森を出ないと、デイジーが人間に戻れなくなるから急がないとな』

「あはは……」


 もう遅い感じがする。こんなに静かで、伸び伸びした森の中の日々から、都会の喧騒に身を移せるか不安になってきた。私は田舎娘だし。


「ユーゲンベルクに着いたら、久しぶりにお肉を食べたいなあ」

『そうか、小鳥くらいなら今でも獲れるが。枝に止まっているところを蔦で……』

「焼くのにたき火したら危ないからいいよ」


 トランクの中にメノウの火打ち石なんかも入ってはいる。いつか村を出るかも、と準備はしていた。ただここは油分の多い針葉樹の森なので、軽率にたき火などをして、火の粉が散ったら大変かと自重している。


 だから生で食べられる果物だけ食べて過ごしてきた。ちょっと体に力が入りづらくなってきたかな、と私は深く息を吐いた。


 そのとき、私は何かに足を引っかけてしまった。前のめりに転びそうになる。カンパニュラが素早く前に体を出して転倒を防いでくれた。


 そして、私の鼻先を何かが掠め、カンパニュラの体を貫通した。


「なっ……」


 何かが通った方向を確認すると、矢が地面に突き刺さっていた。

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