旅の準備
「ねえカンパニュラ、トムの精霊の居場所はわかる?」
トムが失踪したと言っても、大精霊となったカンパニュラなら、トムの精霊の探知が出来る。カンパニュラは先の丸い耳をピクピクと動かして少し沈黙した。カンパニュラの方が上位の存在なので、一方的に精霊の心まで覗ける。そしてこちらの情報は知らせたくなければ知られない。
『……国境付近だ。トムは潜伏先を見つけて寝ている』
生きている、と聞いて私は少し安心する。
「良かった、彼はちゃんと生きているんだ」
ザシャさんも安堵の息を吐いた。優しいザシャさんらしいと思う。カンパニュラは探知をやめて首を振った。
『だが、距離があると人間の心は読めないから、トムが何を考えているかはわからない』
「そう……」
私は何となく夜着の裾を握って、下を向く。私の偽りの死亡話を聞いたせいなんだろうか。この話は、ユーゲンベルクの大爆発として戦地のトムの耳にまで届いたらしい。
でもいくらなんでも失踪までするだろうか?普通に帰還したら、今回の戦争の英雄として表彰式があって、報奨金だってたくさんもらえたはずなのに。
「デイジー、落ち込まないで。何であろうとデイジーがトムに付きまとわれたり、まして結婚までしなきゃいけないなんてこと、絶対ないんだ」
俯いてる私と目線を合わせるためか、ザシャさんはわざわざ床に片膝をつき、蜂蜜色の瞳で私を見上げてきた。私も子供をなだめるときにそんなことをしていたと思い出して少しだけ笑ってしまう。
「もう、ザシャさん。立って下さい」
ザシャさんは少しおどけて肩をすくめ、立ち上がる。
「夜中に悪かったね。ホットミルクでも持ってこよう」
「あ、いえ大丈夫ですから、そんな子供扱いしないで下さい」
「すぐ戻るから」
ザシャさんは早足で遠い遠い厨房の方へ歩いて行ってしまった。すぐ戻ると言っても、この城は広すぎる。
カンパニュラは、再びどこか遠くを見つめていた。遠くにいるトムの精霊の状態を探っているのだろう。
『……トムが寝ているから、精霊は見守っているだけで今後の動向についてはわからない。ただ』
気になるところで、カンパニュラは立派な牙が覗く口を閉ざした。
「ただ、何?教えてよカンパニュラ」
『準備と覚悟はしておくべきだな』
カンパニュラは、太い尻尾でペシッと私の背中を叩く。それだけで大体の意味は理解した。トムが大人しく隠れ続けるなんてあり得ない。もし暴れだしたら、私たちが動かざるを得ないだろう。ほかに止められる人はいないのだから。
翌日、国中に勝利宣言が出され、人々は歓喜に沸いた。ユーゲンベルクの街も、お祝いだとして仕事を臨時休業にし、朝から飲酒する人で溢れた。
そんな中、国立製薬研究所周辺は、変わらずひっそりとしていた。私は馬車から降りて久しぶりの空気を吸う。
もう世の中は、戦争の勝利と風の英雄トム・ブレヒトの失踪の話題で持ちきりであり、私がどう動こうと大して気にする人はいない。オスカーが心配だし、様子を見に来たのだ。
「デイジーさ……あっ、ディートリンデさん! お久しぶり……あっ、こんにちは」
連絡をしておいたので、久しぶりのヨハナさんが出迎えてくれた。名前を変えたことで言い惑っているが、きっちりまとめられた髪と軍服姿が何だか懐かしい。
「お久しぶりです。所内ではデイジーでいいですよ」
「そうですか? それにしても、すごくお綺麗になられましたね!」
今日も出掛けに侍女のエルケさんに、しっかりドレスから髪から化粧までセットされて出てきた私を、ヨハナさんはしげしげと見つめる。
「ありがとうございます。それより、オスカーは元気にしてますか?」
一番気になっていたところを私は訊ねる。でもオスカーは部屋から出ないし、何なら誰にも姿を見せないから訊いても無駄とはわかっている。ヨハナさんは視線を泳がせた。
「ちょっと良くわかりません。所長は扉越しに話しかけてますけど、元気はないようです。食事の量が減ってますし、デイジーさんが来てくれないとどうにも……」
「困った人ですね、オスカーって」
私はとにかく、地下のオスカーの研究室に足を急がせた。
踵の高い靴を履いているので足音が響く階段を駆け降りて、見覚えがある護衛の兵士に黙礼をする。この人達は守秘義務があるそうなので、安心だ。
「オスカー、私です。デイジーです。開けて下さい」
懐かしい黒檀の扉を叩く。なぜか以前より重々しい雰囲気を放っていたが、中から、ガラスが割れたような音がした。
「だ、大丈夫ですか?」
勢い良く扉が開き、青いサファイアのような瞳と目が合った。オスカーは少しだけ痩せたようだけど、相変わらず無駄と思えるくらいに美しかった。鼻筋が細く、白い肌は化粧いらずにきめ細かい。背後の兵士達が息を呑む音が聞こえた。彼らは初めてまともにオスカーの顔を見たのかも。
「オスカー、久しぶりですね。といっても、一月も経ってないですけど……どうして固まってるんですか?」
オスカーは怯えたように目を見開いて、ドアノブに手をかけたまま動かない。
「な、な、何、その格好」
やっと口が動いたと思ったらひどく、どもっている。早口で流暢に喋るオスカーらしくもない。
「変ですか? 失礼ですね。久しぶりに会う野良猫だってもうちょっと愛想良くしてくれますよ」
「ち、違う! 僕、そういうお嬢様みたいな格好すごい好き……好み……」
「バカなんですか?」
オスカーがバカなことを言うので、心の声が正直に出てしまった。私と最初に会ったときはあんなに堂々としてたのに、格好が違うだけで顔を赤らめて照れるなんて、あまりに浅はかでバカ。本当に、ほかに言うべきことがある。
「ひどい、僕なりに褒めてるんだよ! かわいいよ」
「はいはい。中でちょっと話がありますから、お邪魔しますよ」
私はオスカーの横をすり抜けて勝手に中に入った。オスカーが慌ててあとをついてくる。
「やめて! ブローディアはいじめないでよ」
「いじめませんよ、お礼を言いたいだけです」
散らかった研究室の一番奥に、小柄な体をもっと縮めている毛の長い三毛猫の姿を見つけた。精霊の女王となったことで初めて見えた、オスカーの精霊ブローディアだ。淡いグレー、オレンジ、白の三色の毛並みがかわいらしい。
「こんにちは、ブローディア」
『はわわ……女王様、大精霊様、こんにちは』
ブローディアはなかなかオスカーと似た者同士だなと思った。毛を膨らませて緊張している。
ブローディアは、私が精霊の女王になった瞬間に居合わせていたけど、いつの間にか帰っていたので、やっと話せた。
「私のことは普通に名前で呼んで下さい。演説のときはありがとう」
『いいえ、大したことじゃ。それより、オスカーの元気がなくなっちゃうから、もうずっとここに居てよ』
「野暮用が片付いたら、そうします」
ブローディアは、三角の耳を不満そうに倒す。後ろにいたオスカーがさっとブローディアを抱き上げた。
「野暮用って? トム・ブレヒトの失踪に関すること?」
「知ってましたか。絶対にトムは暴れ出しますから、止めにいく役をやるってことです」
オスカーはブローディアを撫でる手を止めた。
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
「え? オスカーがこの部屋を出られるんですか?」
演説のときには、ブローディアしか来なかったのによく言えたものだと思う。
「ば、馬鹿にしないでくれるかな、出られるよ。やれば出来る」
「お仕事は?」
「少しくらい休んでもいいよ。僕は5年間無休で働いてきたから」
オスカーは弓なりの、美しい形の眉を上げて胸を張った。
「だって君、折角名前を変えてまでトムから逃げようとしたのに会ったら意味ないよ。僕が矢面に立ってあげるから。君は姿を隠して、僕の後ろから攻撃してればいい」
「悪いですよ」
「いいから。僕は君の誠意に報いる」
不安しかないが、オスカーはブローディアを机に下ろして、旅に必要なものリストを紙に書き連ね始めた。その買い出しは他の人にやらせるくせに、本当に外出なんて出来るんだろうか。
「オスカーが直前に怖じ気づいたら、置いて行きますからね……」
「ふふん、僕を舐めないでもらいたい」




