精霊の女王のお仕事
やがて馬車は山の麓に到着した。そこには、もう一台の馬車が待ち構えている。
「彼らは俺が手配した証人だよ。俺の……昔からの知人で信頼できる人だから」
「そうなんですね」
ザシャさんがそっと説明してくれた。確かに私が大地の精霊士としてひと仕事をし、息絶えたと証言してくれる人は必要だ。ザシャの用意周到さはすごいなと思った。
「やあ、やっと会えてうれしいよ。かわいい精霊士さ
ん。私はフランク・ガウクだ」
私が馬車を降りるなり50代くらいの男性が、にこにこと笑顔で握手を求めてきた。ガウクさんは黒髪で榛色の瞳を持ち、逞しい体格をしていた。
「初めまして、ガウクさん。私たちにご協力下さるそうで、ご厚意に心から感謝します」
多分ザシャさんのお知り合いなので、ある程度の身分のある人なんだろう。ガウクさんは山登り用のカジュアルな格好でも、隠しきれない風格がある素敵な紳士だと感じた。
「いやいや、私の方が感謝しているんだよ、デイジー。あなたは魔獣を祓い、更にこのユーゲンベルクも、オスカー君も救おうとしている。あなたの尊い心からの行動に、どうして協力しないでいられようか」
ガウクさんは握手した手を放してくれずに、榛色の瞳でじっと私を見つめてくる。
「えっと……」
『デイジー。反応しないで聞け。この男はザシャの父親だ。気遣わせないように身分を偽っている』
反応するなと言われても、カンパニュラの囁きに私はどっと冷や汗をかく。カンパニュラがきっとザシャさんの心を読んだ情報だから間違いない。昔からの知人で信頼できる人という、ザシャさんの言葉にも嘘はなかった。その通りザシャさんが生まれたときから知ってるとは思う。でも、お父さんって!!ラインフェルデン公爵って!皇帝の弟だし!!
「ガウクさん、デイジーが困ってるから……」
「ああ、そうだな。これは失礼」
ザシャさんが助け舟を出してくれてガウクさんは、やっと手を放してくれた。ラインフェルデン公爵の本当のお名前はなんか長かったので私は覚えてない。しかし言われてみると、優しい笑顔がザシャさんと似ている。
取り敢えず知らないふりをして、馬車の中で交代で登山服に着替え、私たちは樹々が生い茂る山道を歩き始めた。川に沿って歩き、源流を目指す。
恐らく腕っぷしも足腰も強い従者の人が2人いて、先頭としんがりを務めてくれた。先頭に続きザシャさん、私、ガウクさんと5人ぞろぞろと一列になって歩く。私は精霊の加護によって身体能力が強化されてるから問題ないし、ザシャさんや従者さんは多分大丈夫だろう。体力が一番心配なのは一番年齢が高いガウクさんだ。
険しい道はカンパニュラがさっさと整備してくれたのでずいぶん登りやすいはずだが、私は何度も後ろのガウクさんを振り返った。
『ザシャの父は全然疲れてないぞ』
カンパニュラがそう教えてくれるけど、私が個人的にトムから隠れたいばかりに公爵に山登りなんかさせちゃって大変申し訳ない。オスカーとか水問題とか、一応大義名分はあるけれど、メインはトム問題だ。
「デイジー、私が気になるのかな?」
何度目かに振り返ったとき、ガウクさんは堪えきれないように笑った。
「あの、お疲れではないかと……休憩を取らなくて大丈夫ですか?」
「まだまだ若いものには負けないよ。それに、デイジーの精霊が道を整備してくれてるから快適だ。良ければデイジーをおぶって登りたいくらいだよ。かわいい小さな足が痛んでいないかい?」
「えっ、私は大丈夫ですよ。精霊の加護がありますから」
この喋り方はやっぱりザシャさんのお父さんだなと実感した。貴族社会では、とにかく女性に何か言わなければいけないのかもしれない。
「おや、ザシャはお怒りかな?」
はっとザシャさんの方を振り返ると、珍しく眉をひそめた厳しい表情でガウクさんを睨んでいた。
「ふはは! デイジー、疲れたらザシャにおぶってもらいなさい。ザシャがそうしたいそうだ」
「私は本当に大丈夫ですから!」
「……ガウクさん、あまり喋りすぎると体力を消耗しますよ」
ザシャさんはぷいっと前を向き、枯れ枝を踏みしめた。
父子だとわかっているから、私はザシャさんの反応がとてもおかしかった。でもガウクさん――もといラインフェルデン公爵の気さくな雰囲気からすると、ダム計画には賛同してくれてるようだ。後からザシャさんが怒られるとかではなさそうで安心する。途中一回休憩を取り、長い登山は続いた。
樹海を抜けると勾配がきつくなり、尖った岩だらけの風景となった。日が沈み始め、灰色一色の世界にみんなの規則的な足音だけが響く。
川の源流は、段々に巨石が積み上がる急斜面だった。地中から透き通った水が湧き出て、滑らかな巨石から細い滝になりさらさらと流れていく。喉が渇いたみんなは、手のひらに水を掬って飲んだ。私も歩き続けて流石に体が火照ったので、一口飲んでみると体に染み入るような最高の水だった。
「……じゃあ、始めますね」
ひとしきり落ち着いてから、私はみんなに声をかける。
「デイジー、無理はしないで」
何か察しているザシャさんが心配そうに私の肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ。危ないですから皆さんは離れて、岩などに掴まっていて下さい」
大精霊とか精霊の女王だとかの話はあとにしたい。
「カンパニュラ」
『わかっている。計画通りに』
カンパニュラが青い瞳を向けると、巨石群はぐにゃっと収縮を始めた。次の瞬間、隕石でもここに落ちて来たかと思うような、衝撃波と轟音が発生した。
吹き上がる水蒸気の煙で視界が奪われる。巨石の収縮と同時に熱も発生するからだ。あまりにも熱いと思っていたら、カンパニュラは熱を風で上空に吹き飛ばすべく竜巻まで作り出した。天空まで届くような風の柱だ。
巨石から地面の土まで見えるもの全ては圧縮を続け、とても硬い岩盤層が築き上げられていった。
私は精霊の女王として記憶を受け継ぎ、わかったことがある。この場所は、70年前の火山の噴火によって水と、星のエネルギーが塞き止められていた。だから少しずつ水が減り、渇水が起きたりしていたのだ。先代の大精霊様はわかっていたけれど、修復する力がもうなかった。
大精霊と、精霊の王または女王は、ペアで本当の力を発揮するからだ。だけど先代の精霊の王はかなり前に亡くなっていた。人間の寿命は短いし仕方ないが、長く跡継ぎが現れなかった。
風が止み、底が見えない程深い、大きな穴が出現した。カンパニュラが蔦の梯子をかける。
「ちょっと底まで。ちゃんと仕上げをして戻って来ますのでご心配なく」
私は離れているみんなに聞こえるように大きく叫んだ。有無を言わせず、さっと蔦に手をかけて滑るように、冷える地底へと降りていく。カンパニュラが上の方の蔦を消してついてこられないようにしてくれた。
光の精霊に声をかけて薄く辺りを照らす。そう、私は、精霊の女王としてここに来る必要があったのだ。全ての事象は少しずつ繋がっている。この星の人間は、それぞれ星と繋がっているからだ。私たちは、干渉しあって星を動かしている。
「あった」
『あったな』
静かな海のような、どこかふわふわする深い穴の底には、光る欠片が落ちていた。欠片というか、種だ。
「こんなに小さくなっちゃって、しかもこんなところに」
『うむ』
カンパニュラは雪豹の姿をうすぼんやりと見せてくれている。私は種を握りしめ、深呼吸をした。この種は生命の樹だ。星のエネルギーの循環と関わっているこの樹を元気にするのも、精霊の女王と大精霊の仕事のひとつである。
「とりあえずここで育てておいていいよね?ここなら、エネルギーが水に溶け出して川から海へと循環して、みんなに行き渡るし」
『その実を愛する者に特別に食べさせてもいいんだぞ。デイジーの気持ちはもうわかっている。早くけっこん……』
「それはまだいいから!」
目を細め、フンと鼻息を荒くしてカンパニュラは種に力を与えた。小さな芽を出し、二葉になった生命の樹の苗を私は地底に埋めた。私からも、元気に育てよと祈りを込める。この樹の実を人に食べさせると、私を永遠に愛するようになるという。
まだそんなの使いたくないと思えるけど、金色に輝く樹を見ていると誘惑に負けそうになるのだった。