光属性
「……うっすらだけど、見える。今初めて見えたけど。カンパニュラって雪豹なんだ、美しいね」
ザシャさんは、はっきりカンパニュラに焦点を合わせてそう言った。あまり表情がないカンパニュラだけど、青い目を見開いて驚いている。
「声は?! カンパニュラの声は聞こえてるんですか?」
「いや、聞こえてないよ」
『本当か? 私が森の家を探ったことはわかっていたのか?』
カンパニュラがカマをかけても、ザシャさんは反応しない。だから本当に声は聞こえていないんだと思う。
「多分、魔獣の影響だと思う。デイジーが森の家を出発した後、魔獣の墓標になった木に、ずっと話しかけてたんだ。今まで色々あったなとか。そしたら俺の周りにリスとか、ウサギとか集まってきてさ……」
「童話じゃないですか」
今も窓ガラスの向こうで、フクロウやキツネが仲間になりたそうにこちらを見ている。
『魔獣が完全に星に還る前に、ザシャに何かしたのかもしれないな。何せあの魔獣は、元々は光の精霊だった』
「そうなの?」
カンパニュラが語る、初めて知る事実に息を呑んだ。光の精霊は、水や風や大地の精霊とはまたちょっと違う。ただ眩しい光を放つだけではなく、生き物の精神を操れるのだ。天気が良い日に気分が良くなったり、天気が悪い日に気分が落ち込みやすくなるのに近いと言われている。その効果を実際目の当たりにするのは初めてで、感動すら覚える。
『私の姿が見える理由はわからないし、ザシャの状態も前例がない。あとで大精霊様に報告しておく』
「大精霊様ってカンパニュラのお母さん的な?そんな報告ってどうやってするの?」
『色々あるんだ』
ザシャさんが、カンパニュラが見えるというのでつい安心して私は話し込んでしまった。それなら虚空と話す変な人には見えない。気がつくとザシャさんは私をつまみに――?ワインを嗜んでいた。
「す、すみません。カンパニュラとばかり話して」
「いや、こうして好きな人を、好きだと思いながら食事出来るのが俺は幸せだから気にしないで」
「そうで……?!」
ザシャさんがあんまり簡単に好きだなんて言うので、そうですかと流しそうになった。でもこの場合、人類愛的な好きとして受け止めるのが正解なのかもしれない。これを特別な好きとして対処するのは思い上がりかもしれない。
「う、えっと……」
「はは、デイジーはパイが好きだよね?」
「好きです」
「次の料理がキノコと魚のパイ包み焼きだから」
「おいしそうですね」
なるほど、私はパイが好きだけど、他にも好きなものがたくさんある。ザシャさんが私を好きというのも、たくさん好きな人がいる中のひとりという暗喩だったんだ今のは。間もなく香ばしい匂いを漂わせて、パイが運ばれて来た。
だけど光の精霊の魔獣は、大変なものをザシャさんに遺していったんじゃないかと思う。
光の精霊の恩恵は、動物だけじゃなくて人間にも効いてると思う。だって、ザシャさんは以前とは明らかに違う。ザシャさんは多分元々もてる人だから気づいてないだけだ。指摘しておくのが友人というやつだろう。
「ザシャさん、お気づきじゃないようですが、光の精霊の恩恵は人間にも効果があるようですよ」
「そう?」
「今のザシャさんは、春の森の木漏れ日みたいな雰囲気を出してるんです。すごく落ち着いていい気分になるから、彼らも近寄りたくなっちゃうんでしょうね」
窓から覗く動物達はフクロウ、キツネに加えて鹿まで来ていた。
「デイジーはそう感じてくれてるんだ?」
「光の精霊の効果じゃ抗えないですね」
自分でも何言ってるんだとちょっと恥ずかしいけど、事実なので伝えておいた。ザシャさんは嬉しそうだった。でも、ザシャさんの背後に控える給仕の男性は得心がいったようにザシャさんの周りの空気を吸っている。きっとあまりに惹かれるから戸惑っていたんだろう。
「もう俺と居ても居心地悪くないなら良かった。また食事に誘ってもいいかな?」
「……嬉しいです」
断れる人なんていないと思う。光の精霊のせいだとわかったら、私は却って安心感が増した。
その後、ダム計画を少し詰めた。そういった案はあったものの、規模的に前例がないこと、戦時下で人手が足りないという点で進んでいなかったようだ。私がオスカーのようにならないように作戦を考えるというのでザシャさんにお任せした。
また、ダムの計画を直接口外した訳ではないけれど、マリアンネさんに山の高低差がわかる地図を頼み、軍部の男性に私という大地の精霊士の存在が伝わる可能性も伝えておいた。これで抜けはないはずだ。ユーゲンベルクの常識や、治世的なことなど全然知らない私は、当分大人しく過ごして沙汰を待つことになった。
翌日、オスカーの研究室に私は出勤した。世間から隔絶されたここにいるのが、今は一番良いと思われる。部屋に入った途端に、入り口付近に積まれた本が目に入った。
「オスカー、折角片づけたのに何で散らかってるんですか?」
「えー、それは君にあげるやつだよ」
「私に?」
本の背表紙を読むと、『薬学の基礎』『薬学用語集』『薬学応用編』などとあった。
「僕が使ってたやつと、新しく発注したやつとあるけど、今日は一通り読んでね」
「ありがとうございますと……言うべきなんでしょうね」
素直に言い切れずに私は、精神的な重圧で重く感じる分厚い本をめくった。こんなの理解できる気がしない。何でこんなことになったんだっけ――?
「あれ、その指輪は?ザシャ氏から?」
目敏くオスカーが、私の指輪を発見した。昨日宝石屋から引き取ってきた指輪だ。それにしてもみんな指輪好きなんだなあと思う。朝からヨハナさんや、マリアンネにも訊かれた。私がアクセサリー付けるのがそんなに意外なのかと思ってしまう。
「そんな訳ないじゃないですか、これはカンパニュラが私に掘ってくれたペリドットを加工したものです」
「大地の精霊ってそんなことまでしてくれるんだ」
「カンパニュラですから」
ねえ、と傍らのカンパニュラに微笑みかける。カンパニュラは、汚れないから必要はないというが、ゆったり毛繕いをしていた。
「……ザシャ氏は変わってない?」
「会いたいなら会ったらどうですか。ザシャさんもオスカーと話してみたいと言ってましたよ。会ったらびっくりすると思います」
「何で?」
オスカーとザシャさんは、旧知の仲だと言う。オスカーが地下にこもる前、まだ学生ながら優秀なオスカーをザシャさんのお家が支援していた縁で、交友があったそうだ。オスカーは知りたくてたまらないと言った感じで息を詰めて私を見た。あんまり引っ張ってもかわいそうだけど、面白くて数秒黙ってみる。
「ねえ、何で」
「ザシャさんに取り憑いてた魔獣は光の精霊だったんです。それで、魔獣の最後の力で、恩恵みたいのを受け取ったようです。近寄ると癒されちゃいますね」
「そんな現象ある?! 嘘でしょ」
オスカーはサファイアのような瞳を大きくする。
「野生動物も集まってくるし、本当ですよ。疑うなら会ってみればわかります」
「嫌だよ、怖いよ。地下で5年のさばってる僕が、そんな光属性の完璧人間ザシャ氏に照らされたら浄化されて昇華して霧散しちゃうよ」
演技なのか本当なのか、オスカーは小さく震えた。月日が経つ程、オスカーが表に出づらくなるのは予想できる。早いうちに何とかしてあげなきゃと思う。




