旅立ち
小さな村のレストランには、トムとみんなの一時帰還を祝ってご馳走が並べられていた。トム以外にも若い男たちはほとんど出征した。一般兵でも農民をやってるよりいいお金がもらえるからだ。
おかげでほとんどの農村は人手不足で収穫が減ったけれど、この村は私がいるからその限りではない。
レストラン中と店の外にまで、料理が満載のテーブルが置かれていた。私も途中までは料理を手伝っていた。乱暴にあんな村の外れに連れていかれたけど。
中央の席には子豚の丸焼きや、臓物パイ、丁寧に裏漉ししたジャガイモのスープなど、トムのために用意された好物がある。そこにトムは悠々と座り、今日の宴は始まった。
「はい、トム。この村でのワインが完成したから、飲んでみて」
「あん?昔は貧しくて種芋さえかじってたのに、最近は豊作なんだな」
トムのグラスにワインを注いであげながら、私は少し笑った。だってこの村は大地の生活の加護を、盛大に受けている。ちなみに昔、春に植える種芋を盗んで食べたのはトムで、罪を被せられて叱られたのは私。
「おっ!このワイン、いけるな。酸っぱくない」
「そうでしょう、いっぱい飲んで」
ブドウ自体の糖度をかなり上げないと、おいしいワインは出来ない。その辺りをトムに説明しても意味はなさそうなので私はどんどん注いだ。トムには早く酔いつぶれてもらって、私は荷造りをしたい。
「ほら、肉ばかりじゃなくて人参も食べて。人参を食べると夜目が効くようになるっていうから」
私は特製ディップをつけた人参スティックを勧めた。
「仕方ねえな……ん!この人参なら食べれる!えぐくない」
「まさか、まだ人参食べれないなんて言ってたの?」
図体ばかり大きくなったのにまだ子どもみたいなトムに追加の人参を差し出した。トムは無遠慮にかじりつく。
「行軍の糧食はさ、あんまりうまくないよ。やっぱりこの村の飯が一番だな」
「良かったね。もっと食べて栄養つけていって」
厳しい戦地を想像すると、私もつい甘くしてしまう。トムはこんなだけど、一応長い付き合いだ。別に死んで欲しくはない。私に関わらないでいてくれたら、それだけが私の望み。風の噂で元気であると聞くだけでいい。
だけど酔いが回り始め、目がすわってきたトムは遠慮なく私の胸元やなんかを見ている。
「デイジーも飲めよ……なあ、ちょっと早いけど二人で婚約祝いするか?」
いやらしく肩を抱かれて、全身に痛いくらい鳥肌が立った。無理、絶対に無理。
「あ、私は料理の続き手伝ってくる。好きでしょ?半熟卵の揚げたやつ。手を離してくれる?」
「そうだぞトム!この村で一番のご馳走なんだからな!」
村長が、さっと隙間に割り込んでくれた。ほかの男性たちも加勢してくれる。私はその隙にキッチンに逃げた。
良い飲みっぷりだと誉めそやす声が響いてくる。おだてられると調子に乗るトムだから、酔っ払うまであと少しだろう。
「――すっかり酔って、寝たようね」
しばらくしてから、テーブルに突っ伏して、いびきをかいて寝ているトムを私は見下ろす。私が避難している間にみんなでトムを酔い潰させてくれた。
「オレらで、宿に運んでくるよ」
「お願いするわ」
男性数人に抱えられてトムは運ばれていく。大地の精霊士になってからというもの、すっかり私の言いなりになった村人たち。でも、戦争が終わってトムが常に村にいるようになったら、私の天下も終わる。どのみち私は村を出ていく運命だったのかもしれない。
翌日、昼過ぎに起きたトムはみんなに盛大に見送られ、再び出立した。もちろん私も見送りはする。
「昨日はつい飲み過ぎちまったが、帰ったら結婚式を挙げるからな。戦地の情報は良く聞いておけよ」
「それはもちろんそうするわ」
「それだけか?デイジー。俺に何か言うことあるだろう?」
不満そうなトムに、私は仕方なく言葉を探す。
「……体に、気をつけて。生きて帰って」
「当たり前だろ!ていうかそれしかないのかよ?!」
強めに頬をつねられ、私は痛みに顔をしかめる。無事ていて欲しいとは思う。でも愛の言葉なんて言いたくない。だって愛してない。
「はあ、まあいいや。じゃあまたなデイジー」
案外あっさりとトムは背を向けた。同じく家族と別れを済ませたほかの兵士たちと、大型の馬車に乗り込む。
「トム!元気でね!」
これが今生の別れだ。もう二度とトムには会わない。トムが戦争に行っている間に私は姿を消す。
卑怯だと責められても、私はトムに逆らうのが怖い。幼い頃に植えつけられた苦手意識は、もう直しようがない。そんな労力を払わずとも、幸せになれる道があるはずだ。
「村長、お話があります」
私は村を出ることを告げようと、見送りに立っているみんなの中から村長を見つけて話しかけた。
「大体の察しはつく。昨日、トムはお前と結婚するんだと騒いでいたが……」
「はい、以前からお話はしてましたが、もう無理です。私は姿を消します」
「そうか……デイジーはいつ出発するのかね?」
村長は深く刻まれた顔の皺を、ふと歪めた。
「今日です。早い方がいいかと」
「養護院のみんなに別れを済ませたら、私に話しかけてくれるかね?私の馬車で途中まで送ろう」
「いえ、ひとりで大丈夫です」
「いや、それでは困る……」
村長は焦ったように目を見開くが、里心が疼く前に、私は駆け出した。
畑や放牧地をずっと走り、養護院に着く。ここは田舎の農村だけど、歴史ある大きな修道院がある。50年前のお姫様が、俗世を捨て神に仕えるとして建てられたらしい。
それに付随して、様々な事情により親がいない子供を育てる養護院が設立され、教会に運営されてきた。
自分の部屋に駆け込み、昨夜にまとめた荷物を詰めた鞄を持ち出す。中くらいのトランクひとつだ。身軽な方がいい。
「ついに旅立つんですか?」
開いたままの扉をノックして、養護院のシスター、クララさんが声をかけてきた。クララさんはそろそろ60代にさしかかる。丸い老眼鏡をかけ始めた。
「ええ。勝手でごめんなさい。クララさん、今までお世話になりました」
「いいえ、何が正しいのか、見抜けなかった私達がいけないのです。子供の頃に真偽を糺せていたら、トムを野放しにしなければこんなことにはならなかった。ああ、今さら悔やんでも遅いのですね……うっ」
「えーっと、小さい子供たちをしっかり見てあげて下さい」
クララさんは最近涙もろくなって、すぐに泣く。どことなくじっとりした空気を振り払うように、私は足早に養護院の出口に向かう。
「デイジー!行っちゃうのかよ!」
「デイジーお姉ちゃん!行かないでよ!」
訓練でもしていたのかと疑うほど勢いよく、各部屋から一斉に子供たちが飛び出してきた。
「みんな、元気でね、仲良くやるのよ」
私の足にしがみつく子供たちを怪我をさせないように手足を一本ずつほどいて、カタツムリのような歩みでちょっとずつ出口を目指す。
「デイジーお姉ちゃんがいなくなったら村の大地の加護はどうなっちゃうんだよ!」
「前から説明してあるでしょ?空き地で実証実験もしてる。畑にかけた加護の効果は1年は持つ。だから1年に1度は戻ってくるわ」
「そんなの信じられるかよ!」
やんちゃな男の子、エルマーの発言に私は向き直った。
「ええ、その通りね。信じなくていいわよ、どうぞひどい人間だと恨んでちょうだい」
「ううっ!ひどいこというなよぉ!」
私とエルマーのやり取りに周りの小さい子たちまで泣き出してしまった。クララさんがおやおやといった顔で見ている。
「も、もう!戻ってこないとは言ってないでしょ?でも人にあんまり期待しちゃダメよ」
これは、トムや周りの人から散々な扱いを受けて育ってきた私なりの人生観だけど、子供には早かったかもしれない。
「デイジー……いつか、あなたにも信じられる人が現れることを、お祈りします」
クララさんは同情と悲しみと涙を瞳に湛えて、お祈りしてくれた。それから子供たちをたしなめ、私の足から引きはがす。
「ありがとうございます!!じゃあね!」
上方にステンドグラスが使われている養護院の出口が、祝福のように輝いていた。描かれているのは、賢者が人々を導く光景。『あらゆる悩みは永遠には続かない』私はその方向に走った。