大地の精霊の加護
長い時間馬車に揺られ、やがて会話はなくなった。車内のみんなは沈黙に慣れた。まどろみ、浅い夢を見ているとたまに誰かが頭をぶつける音がした。馬車の移動は結構揺れるから、本当に快適ではない。
お尻が痛くなってきた頃、馬車が緩やかに速度を落とすのに気がつき、やっと到着したのだとため息を吐く。
「デイジーさん、降りるときは、ベール付きの帽子を被って下さいね」
「はい」
ヨハナさんに言われた通りにする。少し視線が遮られる濃いめのベールだ。
馬車から降りて体を伸ばすと、土のしっとりした空気がおいしかった。辺りは一面、畑が広がっている。遠くの山まで見通せる平地だ。まだ植えられている苗はどれも小さい。
遠くに農家の人が働いているのが見えるけど、ベール付き帽子なんて被らなきゃいけない程かなあと思う。
「この辺りは、製薬研究所が持っている畑なんです。大地の精霊の加護をお願いします。今日は1区画くらいでしょうか?」
ヨハナさんも控えめに伸びをしながら訪ねてきた。
「えーと……」
どう答えようか迷っていると、カンパニュラが私の耳元で答えた。
『デイジーが見渡せる範囲なら一度にかけれると答えておけ。何度も来るのは面倒だ』
「そうなの?」
畑への加護は、フューゼン村でやっていたから知っているつもりだったけど、知っている以上に出来るという。
「面倒なの?というか前と言ってることが……」
『デイジーの移動が面倒だ。こんな遠くに毎日来てたら、食堂の昼食を食べそびれるだろ』
「そうね……」
私は深く頷く。見えないカンパニュラと会話している私を、ヨハナさんが真顔で見つめていた。でも議題は昼食問題だ。
製薬研究所の食堂は、お昼は品数も多くて食べ放題だけど、夜はパンとハムしか出ない。なのに昼と同じ値段なのだ。利用者が少ないせいかもしれない。
『デイジーの栄養状態が一番大事だ。この一帯は数日は収穫が早くなるようにしておくから。あとは、いつもの注意を伝えておけ』
「……うん」
それにしても、カンパニュラはそんなに大規模に出来るのに、やっぱり力を隠していたらしい。ヨハナさんに顔を向ける。
「……見渡せる範囲なら、カンパニュラは一度に大地の加護をかけられます」
「えっ?!ひえっ?!」
ヨハナさんは初めて私に動揺を見せた。恥ずかしそうに手で口を押さえる。私はあまり構わず、言い慣れた注意点を述べる。
「ただし、畑への加護は、大地のエネルギーを呼び覚ますだけのものです。極端な天候不順、害虫、害獣などによる減収は防げません。それから栽培法が作物に合っていない場合には何ともなりません」
「それは承知しています。でも……正式な記録に残ってる大地の精霊士でその様な人はいなかったので驚いてしまいました……」
「いえ、私も今カンパニュラに聞かされました。最近急に力が強まったんですよ」
――ということにしておく。ヨハナさんは素直に受け入れてくれたようだ。軽く自分の頬に触れて色々考えている。
「今さらの質問で申し訳ないのですが、1日にかけられる、加護の回数制限はありますか?」
『ないと言っていいぞ』
「ないです」
「素晴らしいことです……では、スケジュールを変更してもいいですか?帰りが少し遅くなりますが、もう一ヶ所行ってしまえば、明日は来なくて良くなりますから」
『そうしよう』
「そうしましょう」
カンパニュラの腹話術の人形のように私はヨハナさんに伝えた。カンパニュラの声は私以外に聞こえないから仕方ない。
『ほら、もう加護はもう終わったぞ。こんなだるいことはとっとと終わらせてしまおう』
「終わったそうなので、次に行きましょう……」
でも、畑への加護を付与する作業がだるいなんて、大地の精霊がそんなこと言っていいのかと思う。
『大体、この国の耕作地には既にほとんど加護をかけてあるんだぞ。戦争なんてやってるのに、食糧難に陥っていないのはそういうことだ』
「え?!本当なのカンパニュラ」
突然の告白に私は大声が出てしまった。ヨハナさんと、二人の軍人の視線が集まる。
『デイジー。秘密にしておくように』
「……あ、カンパニュラとの下らないお喋りなのでお気になさらず」
これは言ったら面倒になりそうなので私は誤魔化したかった。
「ええ、私たちの前ではどれだけ精霊とお喋りしてても大丈夫ですよ。変な人だなんて思いませんから」
ヨハナさんはいつもの冷静さを取り戻し、真面目な顔でそう言った。そう言われてもやりにくい。
「では、次の畑へ参りましょう。乗って下さい、デイジーさん」
「はい」
私は馬車に乗り込んだ。御者がかけ声を発し、ゆるゆると馬車が動き出す。
『別に恩着せがましく言うわけじゃないが、私はデイジーがちゃんと食べられるよう、大地の精霊としてできることはやり尽くしている。だからデイジーはたくさん食べて栄養をつけてくれ』
馬車での道すがら、フューゼン村にいた2年間のことをカンパニュラが教えてくれた。
とりあえず村の畑全部に加護を与えたもののそれだけでは不十分だと思ったらしい。
国全体で食糧不足であれば、村の収穫もすぐに軍に召し上げられてしまう。それじゃ私がまた餓えて変なものを食べる可能性がある――だからカンパニュラは2年かけて、不自然じゃない程度に少しずつ国中の畑に加護を与えた。もう、この国全土はカンパニュラの手中に収められているようなものだ。
すごい精霊に愛されてる、と私は初めて実感した。私は、絶対に迂闊に死んじゃいけない。カンパニュラが魔獣化したら大変なことになる。
でも、部屋に戻ったらカンパニュラをいっぱい褒めてあげようと思ったのだった。