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きっかけ

「この戦いは多分、最後の戦いになる」

「そうなってくれると助かるわ」


 半年ぶりに村に帰って来ているトムに、私は深く頷いた。ベルストク帝国陸軍第25師団に属するトムは、敵国との最終決戦を前に数日の休みが与えられたそうだ。とにかく戦争なんて早く終わって欲しい。


 トムは癖のある茶色い髪の、特に短く刈り上げられた後頭部を撫でた。じりっと微かな音が聴こえる。アーモンド色の瞳はなぜか、瞬きを繰り返していた。


「なあ、デイジー」

「なに?」


 私とトムは、崩れかけの低い塀に並んで寄りかかっていた。話があると強引に引っ張ってこられたのだ。そのトムは、急に距離を詰めてきた。手まで握ってきて、嫌な予感に襲われる。


「ちょっと……やめて」

「そんなに嫌がるなよ。俺は国のために命をかけて戦ってきたんだぞ」

「……」


 それを言えばいいと思ってるの?という言葉を呑み込んだ。トムの手は固く荒れていて、苦労しているのはわかる。でも過去の恨みつらみは消せない。


 私の2歳上で、昔から私よりずっと大きく強かったトム。同じ養護院で育ったトム。だけど、私を守ったりは全くしてくれなかった。それどころかトムは私をずっといじめてきた。虫をけしかけたり、雑用を押しつけたり、悪事を押しつけたり。


「俺はデイジーに素直になれなくて、昔はちょっと嫌がらせをしちまったけどさ、わかるだろ? 男が女に構う意味。今だって貴重な余暇をお前に使ってるんだぜ」

「じゃあ使ってくれなくていい、私も暇じゃないの」


 言い方が全部気持ち悪くて、私は逃げようとする。けれど、手をしっかりがっしり握られてしまっている。


「痛い、やめてトム! 離して」

「大声出すなよ」

「ぐっ……」


 私は激しく手を引かれて、背が高いトムの胸に顔をぶつけた。素早く両腕で上体を締められる。いや、一応抱き締められてるのかな?トムの軍服からは汗と土埃と、何か焦げたような匂いがしていた。


「好きなんだ。ずっとデイジーが好きだったんだよ。お前は昔から顔がかわいいし、最近体も女らしくなった。金髪はバカっぽいけど、その若草色の瞳がさ、戦地でも忘れられなかったんだよ。結婚しよう」

「やだ」


 誉められているはずだけどトムに言われると全然嬉しくないし、なんならちょっとけなされた。ずっと私にブスブスって言ってきてた。どうしてそのプロポーズが受け入れられようか。


「ははは、照れるなって。デイジー、大人になれよ」

「照れてない。あと、大人っていうのはトムに都合が良いことだけいう人のことじゃないの」

「あー? 声がもごもごして聞こえねえな」


 更にぎゅっと締められ、私の顔面はトムの胸筋に隙間なく押しつけられて息ができない。


「く、くるし……」

「降参するか?」


 少し緩められたので私は何とか腕を突っ張って、距離をあけた。


「トム、こんなこともうやめてよ」

「ん? もっとして欲しいのか?」


 鼻筋に皺を寄せる表情を見て、私はゾッとした。この顔になるともう絶対、終わらない。トムの意見を私が受け入れるまできりなんてない。トムは蛇のようにしつこいし、冷酷なところがある。


「……わかった。わかったから」

「最初からそう答えておけばいいんだよ。俺はがっぽり報奨金をもらってくるから、金の心配はしなくていいぞ。派手な結婚式にしようぜ? ドレスでも縫って待っとけ」


 顎を持ち上げられて、トムの顔が近付いて来たけれど、私は慌てて首の筋を傷める勢いで顔をそむけた。頬にキスをされた。濡れた感触が気持ち悪いし、首は痛めた。でも守りたいものがある。口は絶対にいや。


「何だよ、勿体ぶりやがって。まあいいや、帰って来てからだな」

「……」


 舌打ちするトムを見て、逃げよう、私はそう決意した。キスのあとに舌打ちとかあり得ない。戦争のゴタゴタの最中、女ひとりの身を消息不明にするなんて簡単だろう。


「デイジー、何だかんだ言って素早いよな。最弱とはいえ大地の精霊がついてるだけある」

「ううん、トムには敵わないよ! 風の精霊には勝てない」

「ふん、そうだろう」


 私がおべっかを使うと、トムは得意げに風を操り、ふわふわと私のスカートの裾を揺らした。めくれそうになって、私は必死に押さえつける。悪趣味だ。


「俺の子どもが欲しいって女はいくらでもいる。そんな俺が選んでやってるんだぞ」


 じゃあその女の人と結婚でも何でもしたらいいのに、どうして私の意思を無視してこういうことをするのか、いつもわからない。


「おーいトムー!! 酒の用意が出来たぞ!」


 遠くから村長である、ゼゼットおじいちゃんが呼び掛けてきた。助けに来てくれたんだと私はほっとする。


「ずいぶん早いな。仕方ない、行こうぜ。一緒に飲もう。デイジーはもう、俺の婚約者なんだからな」

「う、うん」


 私はトムの後ろを歩き、ゼゼットさんに目配せを送った。気遣わしげに、ゼゼットさんは頷く。


 トムは知らない。戦争に行っている間に、この村の人はみんな私の味方になっていることを。


 トムが私になすりつけてきた罪の数々は、全部トムがやって来たと、時間をかけて証明して、更に恩の上塗りをした。2年前に、大地の精霊と出会えたからだ。


 この世界を構成する、風、大地、水、光の精霊たち。彼らは気まぐれに、好きになった人間に加護を与え、加護を与えられた人は『精霊士』と呼ばれる。

 加護によって見た目はそのままでも常人より遥かに強靭な肉体になる。そして一途な精霊は、精霊士が天寿を全うして死ぬまで寄り添い、常に力を貸してくれる。


 そんな精霊に好かれたいというのは、ほとんどの人の夢だ。子供などは精霊に好かれたくていい子になろうと頑張るし、大人になっても精霊が来てくれますようにと神に祈る人は多い。


 ただし精霊が好きになるかどうかは、人間の基準でいい人とかではない。トムを見ているとつくづく思う。私だっていい人ではないけど。でも、精霊に好かれるのは、雷に打たれて死んだ後に生き返るくらい珍しいことなのだ。


 この小さな村から二人も精霊士が出たのは奇跡か、運命のいたずらかと思っている。


 トムは10歳で風の精霊から加護を授かり、めきめきと力をつけた。トムが18歳のときに始まった戦争には、意気揚々と出兵を志願した。


 風の精霊士として大変な戦果をあげ、もうほとんど英雄扱いされている。なぜなら風の精霊は強風を起こしたり、砲弾を防いだり、あるいは火を広げたりと戦争に大いに役立つからだ。貴族でも軍人でもなかったトムだけど、あっという間に階級を上げた。


 一方で、大地の精霊士である私は、村でみんなの畑に大地の加護を与え、豊作を約束した。それだけだ。精霊士の中でも一番珍しい大地の精霊士は、最弱と呼ばれている。私は平和に、お腹いっぱい食べられる今の生活に満足してたけど。


 こんな生活も今日で終わりだ。食堂までトムに引っ張られるようにして歩きながら、私は強い春の風に吹かれた。

自己肯定感の低い主人公がちやほやされて幸せになるというお話です。

前半暗いんですが段々良くなっていくのでお付き合い頂けるとありがたいです。


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