8 君と秘密のワルツを
夏休みだ。とは言っても私達は受験生。連日課外に次ぐ課外。課題にも追われる日々だ。美術部の引退は秋なので、課外後には制作に打ち込む。そしてあの人たちからのいじめも止まない。疲れきってしまいそうな毎日だけど、無月がいるからどうにかやっていけている。
そんな私の救いになっている無月は今、私の前でお弁当の卵焼きを美味しそうに頬張っている。大好物を前にして嬉しさを隠せていない。見えない尻尾がぶんぶん揺れている。
私達は夏休みになっても変わらず、美術室で昼ごはんを食べていた。ささやかな幸せの時間がある事に感謝をしながら、今日も最後の一口を食べ終える。食後のお茶を飲んで落ち着く頃、無月が口を開く。
「ねえ、まだ時間あるよね」
「そうだね」
「屋上に行ってみない?」
「え?本校舎の?」
「ううん、ここの」
「え、立入禁止だから、鍵かかってると思うけど……」
「ものは試しだよ、行ってみよ」
そう言うと無月は私の手を引いて歩き出す。美術室は三階なので屋上まですぐそこだ。
別棟は本校舎と違って建物が古く、屋上が立入禁止だ。三階より上に向かう階段も立入禁止で、その踊り場には使われない椅子や机がたくさん置いてあり、物置のようになっている。
二人で椅子をかき分け階段を上りきると、ドアが現れた。無月がドアノブに手をかける。立入禁止の札がかかっているそれは、いくら回してもがちゃがちゃと音がするだけだった。
「ほら、やっぱり開けられないよ」
「あはは、駄目だったね……でもここ、いい空間じゃない?」
「え?」
言われて周りを見る。階段とドアの間にあるちょっとしたスペース。ここだけ何も置かれていないし、人目につかない。確かにいい場所かも。ちょっと埃っぽいけど。
「確かにいいかもね」
「ねえ、ここ、二人の秘密の場所にしない?」
「いいね、素敵だね」
「ここでお菓子食べたりお話したりするの」
「ふふ、秘密基地みたい」
「春海の部活終わったらまた集合しよっか」
「うん」
午後の講義と部活を終えてその場所に向かうと、無月は既にそこに座っていた。
「早いね」
「まあね。部活行かずにここの掃除してたから」
「相変わらず幽霊部員なんだね」
「そうだよ。部活にはもう飽きちゃったし」
そう言って、おどけて肩をすくめてみせる。部活に飽きるなんて無月は面白い人だなと思う。すくめた肩を元に戻すと、無月は辺りを見渡して何か考え込み始めているようだった。
「どうしたの?」
「うーん、ここに絵が欲しいな……」
「絵?」
「うん。なんかこう……明るい絵」
「明るい絵……」
「あ、ヒマワリとか、どうかな。春海描いてよ」
「それなら二人で描こうよ。二人の場所だし」
美術室から画材を持ってきて二人でそれぞれヒマワリを描く。いつになく真剣な無月の手元を見ると、そこには大輪のヒマワリが咲いていた。
「ねえ、春海」
「ん?」
「夏休み最後の日、予定ある?」
「んー、特にないよ」
「じゃあさ、一緒にヒマワリを見に行かない?」
「ヒマワリを?」
「うん。ここからだと列車に乗って行くんだけどね。すごく綺麗な所があるの」
「へえ……気になる、行こう」
一体どんな場所なんだろう。このわくわくだけで、休みのない夏休みを乗り切れるような心地がした。
完成したヒマワリの絵を壁に貼る。無月は満足げだ。
「咲いたね」
「咲いた」
「今日はもう帰ろうか。まだ明るいけど、こんな時間だし」
「そうだね」
「……春海」
「ん?」
「ありがとうね」
「?……う、うん」
なんで感謝されたのかよく分からないけど、お礼を言われるとなんだか照れてしまう。感謝の理由を探しているうちに、気づけば無月がこちらに手を差し出していた。なんだか熱くなってきた頬も夏の暑さのせいにして、彼女の手を取り階段を下りた。