7 真意を
靴がない。
忘れてきたわけではない。そもそも今日は水曜日だから、靴を持って帰ったりはしていない。
またか。私は一つの可能性で頭がいっぱいになる。
靴箱の前で固まっていると、横から無月が声をかけてくる。
「どうしたの?」
「靴がない」
「えっ……まさか、隠された?」
「そうだね……思い当たる所はあるの」
玄関にあるゴミ箱を覗く。幾多のゴミの奥の方に白の布地が見える。それを引っ張り出すと、驚きで動けなくなった。大量に書かれた罵倒の文字列。無月も視界の端で固まっているようだった。
無月と一緒に勉強しようと思って朝早く登校したのに、今の私達といえば水道で靴を懸命に洗っている。こんなはずじゃなかったのに。落胆やら申し訳なさやらで涙が出そうになった時、隣で片方の靴を洗う無月が話しかけてきた。
「これ、水性でよかったね。洗えばちゃんと落ちるみたい」
「……うん」
「美術室のベランダにこっそり干しておこうね」
「……うん」
優しい無月の言葉にも、うまく返事ができない。声を出せば、震えてしまいそうで。水にずっと手を晒しているので、次第に手の体温が奪われていく。その冷たさは静かに、私の惨めさを助長していた。
「……春海、そんなに落ち込まないで。大丈夫だよ」
「……だって、せっかく二人で早く学校に来たのに、こんな事しなきゃいけないなんて、申し訳なくて……」
「気にしてないよ。それに私は春海と居られればなんでもいいんだ」
「え?」
発言の意図が気になって無月を見る。靴を洗う手を止めない彼女の横顔は、浅く微笑みを湛えていた。
「私はね、春海がいれば暗く長い夜でも輝くことができるの」
「つまり、どういうこと?」
「私にとって春海は太陽だってこと」
少し食い気味に言われる。靴を洗う手はいつの間にか止まっていて、その目は私をまっすぐ見据えていた。上手く理解ができなくて言葉が出ない。無月にとって私は太陽、それはどういう意味?
「もうすぐ夏休みだね」
開けた正面の窓の風を受けて、無月はそちらの方を向いて言う。話題を逸らすでも恥ずかしさを隠すでもなく、ただ風に乗せられてその言葉が出たようだった。顔色一つ変えずに美しい言葉を紡げる彼女を、少しだけ羨ましく思ってしまった。
「受験生だけど、いっぱい遊ぼうね。二人で過ごす初めての夏だから」
無月はそう言って、また靴をごしごしとこすり始める。すっかり夏めいた風が私の熱くなった頬を撫でた。